オフホワイトのタオルが、動きに合わせてふわりと揺れる。
それを見つめていた私に気付いて、その人は優しく笑った。

























合宿三日目、の、午後。


「―――ちゃん。ちゃん?」
「……え、あ、はい!?」


我に返った私の目の前で、杏さんが明るい色の髪を揺らしてひょこりと可愛らしく首を傾げた。


「ぼーっとしちゃって、どうしたの?何かあった?」
「あ、いえ、別に……」
「ならいいけど。練習中にぼんやりしてると怪我しかねないから気をつけてね」
「す、すいません、ありがとうございます」


杏さんはどういたしまして、と言って小さな子供にするように頭を撫でてくれて。
くすぐったいその感触に目を細めた私を見て、杏さんはくすくすと笑った。


ちゃんって、ホント素直で可愛い」
「ええっ?」
ちゃんみたいな兄弟欲しかったのよねー私」
「私みたいな、ですか?」
「うん。ねぇ、今付き合ってる人とかいないんだよね?うちのお兄ちゃんとかどう?」
「……は、はい!?」
「結構お買い得品よー?」


面食らっている私をよそに、杏さんは悪くないと思うんだけどなー、なんて楽しそうに話す。
お、お買い得品って……。
こないだ紹介してもらった橘さんは確かにとても良い人だったけど、何ていうか貫禄も十分で、私なんかが傍にいていいような人には思えなかったよ……。
どう切り替えしたらいいものか戸惑ってるところへ、不意に背中にずっしりと圧し掛かる重み。
それに続いて、聞き慣れた明るい声×2が鼓膜を震わせた。


「杏さんダメですよー。ちゃん恋愛中なんだって、昨日話したじゃないですか!」
「そうそう!橘さんは確かにカッコいいけど、初恋の人には敵わないよね!」
「とっ、巴ちゃん那美ちゃん声が大きいーっ!!」


きゃらきゃらと笑い声を響かせて、二人は私の左右にしっかりと陣取った。
ついさっきまでやっていた練習試合の所為か、二人とも額にうっすらと汗をかいている。
そう言えばどっちが勝ったんだろ、途中から見るの忘れてた……。
文句を言われるのは覚悟の上で聞いてみると、二人は一瞬顔を合わせてから、わざとしかつめらしい顔を作ってじろりと私を睨んだ。
口元こそ怒ってはいるけれど、その目は明らかに笑っていて、嫌な予感、と思ったその途端。


「試合結果もチェックしないで、一体何を見てたのかなぁ〜?」
「私らの試合そっちのけ?一応仮にもライバルなのにー?」
「……えーっと……」
「そう言えばうちらの隣のコートで男子ダブルスの練習試合やってたっけ、巴」
「そう言えばそうだね、那美ちゃん」
「そっかそっか、ライバルの試合よりも好きな人に意識がいってたのね、は」
「んななななな那美ちゃんっ!」
「うーん、それじゃあ仕方ないか。好きな人を間近で目にしたら、そりゃ意識もそっちに行くよねー」
「巴ちゃああぁぁぁん!!」


隣コートまでそんな距離ないのに、聞こえちゃったらどーすんのー!!
そんな私の心の声に絶対気付いていそうなのに、からかうのを止める気配のない二人。
右から左から、交互に好きな人好きな人、と連呼されて、半泣き状態で対応して(というより単に泣きついて)いたら、その様子を見ていた杏さんが笑って、助け舟を出してくれた。


「那美ちゃんも巴ちゃんも、その辺でやめてあげたら?ちゃん泣いちゃうわよ?」
「杏さぁん……」
「そうだね、つつき過ぎてヘコまれちゃっても何だしね」
「やっと訪れた初恋に免じて、今日はこの辺でやめといてあげよっか」
「……二人ともひどい……」
「あはははは、ごめんごめん」


恨めしい気持ちで二人を睨んだその時、後ろからぽこんと軽く頭を叩かれた。
何だろうと思って振り向くと、そこには桃城先輩。
いつもの笑顔でラケットを肩に担いで、こっちを見下ろしていた。


「話してっとこ悪ィけどな、そろそろ俺らの番だぜ、練習試合」
「え!?嘘、もうそんな時間!?」
「早くしねーと榊コーチに叱られっぞ」
「い、今行きます!すいません!」


慌てて置いてあったラケットに手を伸ばした私の横をすり抜けて、桃城先輩はさっさと目的のコートに向かって歩き出す。ただし、歩調は至極ゆっくりめで。
笑顔で手を振って頑張っておいで、と激励してくれる三人に手を振り返して、私は小走りに桃城先輩の背中を追いかけた。
すぐに追いついて隣に並ぶと、桃城先輩は横目でこっちを見下ろしてきて。


「今日も勝とうぜ」
「―――はい!」
「おっし、いい返事!」


頷いた私に満面の笑顔を向けて、くしゃくしゃと少し乱暴に頭を撫でてくれた。
入学したばかりの頃は、男の人にこんなことされたらガッチガチに固まってた。
完全に苦手意識が消えた訳じゃないけど、昔に比べたらマシになったのは桃城先輩のおかげ。
―――高校から青学に入って、一番最初に打ち解ける事の出来た男の人が桃城先輩だった。
テニスの為に青学に入ったものの、男の人への苦手意識は簡単には消えなかった。
何かというと巴ちゃんたちの背中に隠れてしまっていた私に、桃城先輩はそれは根気強く辛抱強く話し掛けてくれて。
おかげで少しずつだけど話せるようになって、一年近く経った今ではさっきみたいなじゃれ合いも(誰とでもって訳じゃないけど)出来るようになった。
桃城先輩がいなかったら、男の人と向かい合って話すなんて今だに出来なかったかもしれないな。
鳳さんを好きになることだって、出来なかったかも……。


ぼんやりとそんな事を考えながら歩いていたら、不意に後ろから肩を叩かれて。
しっかりと記憶してある、優しい声で名前を呼ばれた。


さん」
「―――おっ……」
「こんにちは」


振り返るより先に名前を呼びかけて、思わずぱっと口元を手のひらで覆う。
さっき見たのと同じタオルを肩にかけたままの姿で、鳳さんはにっこり笑った。
私より少し遅れて振り返った桃城先輩が、驚いたような顔で私と鳳さんを交互に見る。


「鳳じゃねーか」
「やあ桃城」
「あれ、お前のこと知ってたか?」
「あ、あのですね、桃城先輩」


一昨日、巴ちゃんと一緒にいたとこを跡部さんに連れ去られて、氷帝の人たちと知り合った事を話すと、桃城先輩はなるほど、と納得したように頷いて、また私の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。


「そーりゃ災難だったな!」
「ええもう、ホントにびっくりしました……」
「あの時は本当にごめんね」
「え、いえっ、鳳さんのせいじゃないですから!」
「悪かったな、コイツが世話になっちまってよ」
「大したことはしてないよ」


私たちの青学と鳳さんたちの氷帝とは中学時代からのライバルだと聞いていたけど、鳳さんと桃城先輩の間にはそこから連想するようなピリピリした空気は感じられなくて、寧ろ同年代ならではの打ち解けた友好的な雰囲気さえ感じられる。
こういう雰囲気で話せるのって、桃城先輩の人付き合いの良い性格ももちろんだけど、鳳さんの持っている穏やかな雰囲気のおかげでもあるんだろうな。
こないだも思ったけど、ホントに優しい空気の人だな。
……てゆーか桃城先輩、海堂先輩と一緒にいる時のがよっぽど空気が悪いかも……。
二人はそれから少しの間、今回の合宿についての情報交換なんかも交えて話していたけれど、鳳さんが前の試合が終わりそうなことに気がついて、話を打ち切った。


「―――そろそろじゃないか?」
「お、みたいだな」
「引き止めて悪かったな」
「んなことねーよ。情報サンキュー」
「あ、ありがとうございました」
「どういたしまして。試合見させてもらうからさ、頑張ってね」
「あ、は、はい!」
「おいおい、人のパートナーにプレッシャーかけんなよ、鳳」


冗談めかして言った桃城先輩の台詞に、鳳さんはごめんと笑った。
そんじゃあ行くか、と促されて、ラケットを手にコートへ向かおうとした時、思い出したように鳳さんが、肩にかけたタオルを軽く触ってにこりと微笑んだ。


「そうだ、言い忘れてた。このタオル、本当にありがとう」
「え、あ……そんなたいしたものじゃ……」


ないです、と言いかけた私の言葉を遮るように、鳳さんは軽く首を横に振った。
昨日の昼休み、巴ちゃんと那美ちゃんにアドバイスしてもらって買った、オフホワイトのタオルがそれに合わせてふわりと揺れる。


「そんなことないよ、すごく使い心地良いし。それに俺この色好きなんだ」
「そうなんですか?良かった」
「何だか気を遣わせちゃって、反対に悪かったな。でもその分大事に使わせてもらうから」
「……あ、ありがとうございます!」
「それだけ言いたかったんだ。ごめんね、引き止めて。試合頑張って」


そう言って、鳳さんは私の肩をそっと前に押してくれた。
肩に感じた大きな手のひらの感触にドキドキしながら、私はギクシャクと頭を下げて、少し離れて待っていてくれた桃城先輩の方へと駆け出す。
桃城先輩に追いついてコートに入って。
最後にもう一度振り返ったら、鳳さんはさっきと同じところに立って、穏やかな笑顔で手を振ってくれていた。










「―――あのタオル、お前が鳳にやったのか?」


試合が終わって(何とか勝ちました)コートを出たところで、不意に桃城先輩から掛けられた台詞に、心拍数が一気に跳ね上がった。
まだ少し弾んでいる息をごくりと飲み込んで、桃城先輩の顔を見上げる。


「……た、タオルって」
「鳳の。さっきあいつが持ってたヤツ」
「えーと……はい」
「何でやったんだ?」
「えっと」


試合前に話した、氷帝の人たちに紹介してもらった時、泣いてしまった私に鳳さんが貸してくれたタオルの話をすると、桃城先輩はあからさまに不機嫌そうな表情になった。
……なんで怒ってるんだろ。
不機嫌の理由がわからなくて、でも何だか『どうしたんですか』とは聞けないその場の雰囲気に、私は開きかけた口を閉ざした。


結局、その後ずっと、桃城先輩は不機嫌そうな表情のままで。
妙に気まずい雰囲気を引き摺ったまま、その日の練習は終わりになった。




















夕食が終わって、同じ部屋の仲間でお風呂に入って。
広い湯船に皆で浸かってのんびりと話していた時に、ふとしたことから試合後の桃城先輩の話になった。急に不機嫌になってしまったことを話すと、巴ちゃんたちは意味ありげな表情で聞き入った。


「……って感じだったんだけど」
「ふーん……」
「桃先輩がね。そっかー」
「私、何か気に触るようなことしちゃったのかなぁ……」


いくら仲良く見えたって、やっぱり氷帝とは学校ぐるみでライバルな訳だし、その氷帝の人にお礼とは言えプレゼントしたって聞いたら、やっぱりいい気持ちはしないんだろうか。
でもプレゼントって言っても、もらったタオルの代わりなんだけどなー……。
それに、合宿入ってから結構氷帝の人たち見てるけど、うちの先輩たちとも普通に話したりしてるし、跡部さんなんか巴ちゃんとミクスドで組んでるし。
仲良くしたって問題ないと思うんだけど、部長としてはそういうの、やっぱり気になるのかな。
そんな考えをぽつぽつと口にしたら、巴ちゃんたちは何かものすごく変な顔してじーっと私を見て。


「…………ちゃん、それ本気で言ってる?」
「へ?」
「巴も結構天然だけどさ、は更にその上をいく天然だよねー」
「……那美ちゃん……」
「て、天然?」


天然って何で、と聞こうとした私の言葉を遮って、それまで黙って話を聞いていた原さんが静かに口を開いた。


「それって、桃城君はあなたのことを好きだから、不機嫌になってるんじゃないの?」
「……!?」


あんまりに唐突なその意見に、瞬間的に頭の中が真っ白になった。
桃城先輩が、何て……?
え?ええ?
呆然としている私を尻目に、巴ちゃんと那美ちゃんが甲高い声を張り上げる。


「原さーん、直球すぎですよぅ!」
「だってそうでしょう?それ以外の理由なんてあるかしら」
「そうだけどー!今のには刺激が強すぎるんですって!」
「刺激って……」
ちゃん、大丈夫?ちゃん?」


ざぶざぶとお湯をかき分けて私の傍まで来た杏さんが、心配そうに声を掛けてくれたけど、なんて応えればいいのかもわからない。





―――桃城先輩が、私のことを、好き?
だけど私は。
私が好きになったのは……。





それほど長くお湯に浸かっていた訳でもないのに、頭がボーっとしてくる。
何か今、私ってば顔真っ赤じゃない?
温かいお湯に浸って十分温かくなっているはずの手のひらで触っても熱いのがわかるくらい、私の頬は熱を持って。


「ホントに大丈夫?ちょっと、顔真っ赤よ!?」
!?どーしたの、のぼせた!?」
「……一旦上がった方がいいんじゃない!?」
ちゃん、ちゃんてば!?」
「ちょっ、ヤダ誰か!先生呼んで来て、先生ー!!」


だんだん遠くなる皆の声を聞きながら、私は霞む頭で思い出していた。
今日見た鳳さんの笑顔と、桃城先輩の不機嫌そうな顔と。
それから、揺れるタオルのオフホワイトの色を。





















R&D設定から三年後、高校になってからの選抜のお話、と言うことで。
前回に引き続き、何だか微っ妙ー!な代物になってしまいましたスイマセン……_| ̄|○il|||li
一応チョタ夢ってことで分類していただけますでしょうか、歌穂ちゃん。
次くらいで完結したいなーと思っておりますが、どうなることやら……頑張ります。

05/07/15UP