直接目に映る世界が全てじゃないってことに、その瞬間やっと気付いた。
鏡に映るキミ
いきなり後ろからどかんと蹴っ飛ばされて、俺は思いっきり前につんのめった。
因みに目の前は車の通りこそ少ないが、一応道路だ。
何とか踏み止まってほーっと息をついた俺の目の前を、制限速度を忠実に守ってそうなのんびりしたスピードで軽自動車が一台、走り抜けていった。
後ろを振り返って確認するより早く、蹴りを入れた張本人が自分から俺の視界に飛び込んでくる。
女とは思えない迫力に満ちた怒鳴り声が、あげかけた抗議の声を打ち消した。
声の主はクラスメイト。副級長の 。
「あぶっ……!」
「一人でさっさと帰ってんじゃないわよ、黒羽!」
「はあ!?何言ってんだ、何すんだいきなり」
「何してんだって言いたいのはこっちなの!」
「つーかお前は俺を殺す気か!?コケて車道に飛び出しちまったらどーすんだ、おい!」
「今日の予定、忘れてるでしょ!!」
「俺の話は無視か!って……あ?今日?」
夏休みが終わって、二学期が始まって、今は体育祭の準備で学校は連日騒がしい。
ん?体育祭?
体育祭関係で、なんかやらなきゃいけねーことがあったような。
に睨まれながら思い出そうとすること十数秒、脳裏に蘇ったのは数日前のホームルームでの会話。
「あ」
「……やっぱり忘れてたんだ、体育祭の買出しのこと!」
「いや、なんつーかアレだ、ここんとこ忙しかったんだよ」
「忙しいのはみんな一緒なの!もうっホラ行くよ!」
「行くって今からかよ?もう五時だぞ、明日でいいじゃねーか」
「ダメに決まってんでしょ!明日は明日でやることあんのよ!」
細い腕が伸びて俺の腕をしっかり捕まえた。
軽く力を入れれば簡単に振り解けそうな、小さいその手に引っ張られるままに歩き出す。
早足で一歩前を行くの後頭部を見下ろしながら、俺は捕まえられていない方の手でそろそろ空腹を訴えて鳴り出しそうな腹を押さえて、気付かれないように小さく溜息をついた。
大分腹も空いてるし、早く帰りたかったんだけど……忘れてた俺が悪いんだし、仕方ねぇか。
さっさと用事を済ませて夕飯にありつく為、次の一歩を大きく踏み出しての隣に並ぶと、もう逃げないだろうと踏んだのか、それまで俺の腕を掴んだままだった手が緩んで開放される。
黙々と目的の店に向かって歩くの歩調に合わせてゆっくり足を動かしながら、そっと見下ろしたその横顔には、すっかり見慣れた不機嫌そうな表情が浮かんでいた。
何でかわからねーが、どうも俺はこいつに嫌われている、らしい。
俺に話し掛ける時は大抵しかめっ面で、口調も態度も妙にケンカ腰。
三年になって同じクラスになって半年、ここまで嫌われるようなことをした覚えはないんだけどな、と先日部活中にぼやいていたら、サエと亮が面白そうにあれこれ聞いてきた。
『ってA組の副級長だっけ?』
『ああ、?去年同じクラスだったけど、人懐っこくて結構人気高かったな。笑った顔がすごく可愛くてさ』
何気ない亮の言葉に思いっきり面食らった。
俺の中にあるのイメージとはあまりにもかけ離れた評価。
単純に見た目だけの評価だってんなら確かに悪くないと思う。だけど。
『……笑うと可愛い?』
『可愛いじゃん。見たことない?笑った顔』
『ねえよ。俺に向かってくる時はしかめっ面か無表情だぜ?』
『ふーん……その態度ってバネに対してだけなんだ?』
『多分』
正面に座って頬杖をついたサエが、俺の横にいる亮と視線を交わして意味ありげに笑う。
別にバカにしてる訳じゃないんだろうけど、何となく面白くなくて軽く睨みつけた。
ふう、と小さな溜息をついたサエが頬杖をつく腕を変えながら口を開いた。
からかうような、諭すような、微妙な口調で言う。
『……それって嫌われてる訳じゃないと思うけどね』
『だったら何であんな態度なんだよ。俺が一体何したってんだ?』
『何したって……それは、なあ』
『寧ろ何もしないことが悪いんじゃないの』
『なんだそりゃ』
謎掛けみたいな亮の言葉に、ますます訳がわからなくなった。
何もしないことが悪いって何だ。何をしろってんだ。
サエと亮はまたも視線を交わして、二人だけすっかり納得したような顔でまた笑った。
『ダイレクトで視認出来る部分だけが全てじゃないんだよ、バネ』
『はあ?』
『そうそう。角度を変えて普段見えないところから見てみると、案外簡単なことだったりするんだよな』
『訳がわかんねーんだけど!』
『これ以上言っちゃうと、に悪いから言えないなー』
『バネが自分で気付かないと意味がないことだからさ。ま、頑張って』
『何なんだよ!』
そのあと俺の抗議の声はサエにも亮にも見事にスルーされて、この話題は終わった。
マジで訳がわかんねえ。
ダイレクトに視認出来る部分だけが全てじゃない?(何でそう小難しい言葉ばっか使うんだ)
普段見えないところから見てみる?(そのやり方を教えてくれ)
そうして何かが見えたとして、その見えた部分に何があるって言うんだろう。
に悪いって、何が悪いのかすら俺にはわからない。
これと言った会話もないまま、俺たちは駅前のショッピングモールにあるこの辺じゃ一番デカいスポーツショップまで行って、クラスユニフォーム用のTシャツを選び、人数分の注文を済ませてから店を出た。
腕時計に目をやると、針はちょうど17時半を指していた。
かなり暗くなった空の下、それなりに賑やかな通りを駅に向かって並んで歩く。
相変わらず会話らしい会話がないのがどうにも居心地が悪くて、何でもいいから何か適当に話をと口を開きかけた時、が小さく言葉を発した。
「……選ぶの手伝ってくれて、ありがとね」
「え?ああ……いや、まあ、係りの仕事だしよ」
「でも、受験やら何やらで忙しいのはみんな一緒なんだから、もうちょっとしっかりしてよね」
「……へえへえ、悪うござんした!」
「ホントに悪いと思ってるの?」
「思ってるっつーの」
「…………」
殊勝な雰囲気は一言目で消えて、あとはいつも通りの憎まれ口。
笑いもしない、いつもと同じ不機嫌そうな顔のまま。
やっぱり嫌われてるとしか思えねーよ。
サエや亮の言った言葉の意味を考えるのも嫌になって、さっさと帰ろうと少し歩調を速めた時だった。
「……わあ」
通りのざわめきに紛れて、小さな感嘆の声が聞こえて。
スピードを上げた俺とは反対にが歩くスピードを緩めた。
そのまま完全に足を止めたらしく、咄嗟に同じようにスピードを落とした俺の視界からその姿が消える。
慌てて足を止めて振り向くと、は如何にも女が好きそうな服やら小物やらが並ぶ店の前で、ガラス張りの壁の向こうにじっと視線を注いでいた。
首や腕のないマネキンに着せられた女物の服一式、重ねたシャツにジャケット、スカートにブーツの組み合わせ。冬物らしい暖かそうな色のそれがよほど気に入ったのか、俺が隣にいることを忘れてるんじゃねーかってくらい柔らかい表情で見入っている。
「いいなあ、これ」
「…………」
俺が隣に並んでもいつもみたいに不機嫌そうな顔はしない。
ただじっとその服を見つめ続ける姿を見て、やっぱり見た目は悪くないよなあなんて思いながら、すっかりハマっちまって店の前から動かないと並んでショーウインドウの中に視線を送る。
女の服なんてよくわかんねえけど、マネキンが着ているひらひらしたスカートはに似合いそうだと思った。
別にお世辞を言うつもりじゃなくて、ただ単純に似合うんじゃねーかって思ったら、口が動いて。
「に似合いそうだよな」
「……えっ」
「いや、だからあの服。いいんじゃねえ?」
「……っ……」
横で小さく息を飲む音が聞こえたけど、それ以上のリアクションは返らなかった。
余計なお世話だとか思われたんかなー……まあ嫌ってる男に褒められても嬉かねえよな。
柄にもねえこと言うんじゃなかったか、と目を伏せて小さく溜息をついてから、もう一度ショーウインドウに目をやって。
―――――― それを見た。
ぴかぴかに磨かれたガラスに映っている、俺と、の姿。
さっきまでマネキンを見上げてたは今は俯いていて、横目で見ても流れ落ちた髪を押さえる手に隠れてその表情は見えない。
だけどガラスにはその隠された表情がしっかり映ってた。
赤く染めた顔にめちゃくちゃ嬉しそうな笑みを浮かべてる、が。
今まで一度も見たことがない、すっげえ可愛い笑顔で。
映って、いた。
「―――別に、着たい訳じゃないし。ちょっといいかもって思っただけだから」
「……へっ?あ、あー……」
「……黒羽?」
ぶっきらぼうな声にぶっ飛びかけていた意識を引き戻されて我に返る。
聞き慣れた声に反応して視線を送ると、そこにはいつも通りのしかめっ面のがいて。
ガラスに映り込んでたあの姿がまるで幻だったみたいにいつも通り。
帰らないの?と促されるままに、ふらふら駅への道を歩き出した俺の頭の中で、ついさっきまでは考えるのも嫌だと思ってたサエと亮の言葉がぐるぐる回る。
『ダイレクトで視認出来る部分だけが全てじゃないんだよ』
『角度を変えて普段見えないところから見てみると、案外簡単なことだったりするんだよな』
二人の言ってた意味が、やっとわかった。
ガラス越しに見えた、直接見るだけじゃ見えない部分、見せてもらえなかった部分。
の本当の顔。
あの顔は、つまりはそういうことか?俺は自惚れてもいいのか?
もうすっかりいつもと変わらない不機嫌そうな横顔を見ながら、心の中で何度も問いかける。
言葉にして訊いてしまいたいけど、まだそこまで自信が持てない。
一層グルグル回る頭を押さえて軽く呻いた俺の声に、何事かとがこっちを振り仰いだ。
「……何?」
「あー、いや……何でも、な」
い、と言いかけた俺の言葉が不自然に途切れる。
俺を見上げるの顔。いつも通りの、不機嫌そうなしかめっ面。
だけどその頬は、いつもと少しだけ違って。
少しだけ、赤くて。
その微かな赤が、幻になりかけていたガラスの中のを俺の中に蘇らせた。
――――――自惚れてもいいのかもしれねえ。
そう思ったら、自然と腕が伸びて、の腕を捕まえてた。
俺の手の中でびくっと小さく痙攣した細い腕が、俺の確信を後押しする。
口にする言葉はもう決まってた。
「あのよ」
――――――の笑顔をガラス越しじゃなく見られるようになるのは、それからもう少しあとのこと。
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「HAPPY BANE BIRTHDAY」参加作品。
お題は『「鏡」に映るキミ』なんですが、鏡じゃなくてガラス。
しかもなんかニセモノっぽいバネちゃんでごめんなさい(土下座)。
因みに首や腕のないマネキンはトルソーと言うのよ、バネちゃん……何かバネちゃんがすっごいおバカな子みたいでホントすいませんすいませんすいませ(以下エンドレス)
06/09/19UP