このまま、時が止まってしまえばいいのに。

心から思った。
















Peter-Pan Syndrome











暦の上ではまだ春だと言うのに、日差しはもう既に初夏を思わせる。
裸足で降り立った砂浜は太陽の熱を吸収して熱く、じりじりと足の裏を焼いた。
その熱さに耐え切れなくて、私は脱ぎ捨てた靴と靴下をまとめておいてあるカバンの傍に放り出して、打ち寄せる波をザブザブ蹴散らして海の中へと進んだ。
ひんやりとした水と、足の下で動く砂の感触が心地良くて、ほっと息をつく。


「あー気持ちイイー……」
「ババくせー」
「うるさいなーバネ!同い年でしょ!」
「実年齢の問題じゃないだろ、台詞がババくさいってことなんだからさ」
「うわムカつく!亮まで何よー!」
「ほらほら、あんまり怒ってると余計暑さが増すぞ?」


後ろから伸びたサエの手に頭を撫でられて、私はむすっとして黙り込んだ。
次々に学ランとシャツを脱ぎ捨てたバネたちが、私の横を水を蹴散らして走っていく。
平日の午後の海に私たち以外の人影はない。
土日にもなればサーファーのお兄ちゃんたちが姿を見せ始めるんだけど、さすがに平日はね。
制服のスカートの裾が濡れないように、ごく浅いところでパシャパシャと水を跳ね上げる私をよそに、皆は服が濡れるのも構わずに盛大に水の掛け合いを始めていた。
あーあ、おばさんたちが怒る顔が目に浮かぶよ……。
まだ衣替えまで日があるのに、皆そんなこと少しも考えていないようで、冬服の制服のズボンは裾を捲り上げた意味もないくらいすっかり水に濡れている。
学ラン脱いでるだけ、まだマシってとこかなぁ。
そういう私も、セーラー服はとっくに脱いで、下に来てたTシャツ一枚になっていた。
だってそうしておかないと、ちょっと気を抜いた瞬間に。


ちゃん覚悟ー!!」


そんな声と同時に、ばしゃっとしょっぱい水が顔面に命中する。
水を滴らせる前髪の間から水の飛んできた方を睨むと、近所の駄菓子屋さんで売ってるプラスチック製の水鉄砲を手に、剣太郎がにーっと唇を左右に引き上げた。


「けーんーたーろーおーっ!!」
「だって制服脱いでるからさぁーっ!」
「制服脱いでたら水かけてもいいなんて教えた覚えはないっ!」
「うわーっ」


スカートをたくし上げてざばざば水を蹴散らしながら剣太郎を追いかけて。
後ろから羽交い絞めにして、取り上げた水鉄砲の中身を全部その坊主頭にぶちまける。
やめてよーと言いながら剣太郎が笑う。


ちゃん、てっぽー返してよー!」
「ヤダ!戦利品だもんねー」
「ソレ僕のお気に入りなのに!」
「新しいの買ってくればいいじゃん」


青いプラスチックの水鉄砲が、私の手の中で太陽の光をはじいてきらきら光る。
中に海水を満たしてフタをしめて。
ぐるんと身体を翻した途端、バネやサエたちがばっと腕を上げて臨戦態勢に入った。
見つめあった瞳がふっと笑う。


―――結局。
私のスカートも、水に濡れてその重さを増すことになった。
















赤く染まりながら水平線に沈み始めた太陽が、きれいな朱色に海を染めていく。

「うあー、冷たいー寒いー!」
「ちゃんと髪拭けよ、


冷たくなってきた風にぶるりと大きく身体が震えた。
濡れて張り付くシャツの上からぎゅっと自分の身体を抱きしめる。
その私の頭の上にばさりと大きめのスポーツタオルが落とされた。
振り返るとみんなテニス部のジャージに着替え終わってて、そしてそれぞれ手に持った予備のシャツとか短パンとかをこっちに向かって差し出していた。


「おら、早く着替えろ」
「……あのね、バネの短パンじゃウエストゆるすぎてずり落ちるんだけど」
「僕か亮くんのでないと無理だよねー」
「誰の着ようがいいけど、早く着替えないと風邪引くよ、


一番私と身長の近い剣太郎の短パンに、サエのシャツとダビデのジャージを借りた。
私がそれを受け取ると、みんな一斉にこっちに背中を向けてぐるりと私を隠すように円陣を組んだ。
海岸にも上を通る道路にも人影はないんだけど、念の為だと言っていつもこうして着替える私を隠す。
子供の頃は一緒になって着替えてたのにね。
いつからか、誰が言い出したのだかもはっきりしないけど、みんなしてこうして私を庇うようになった。
女の子扱いするようになった。


「……着替えたよー」
「おう」
「オッケー」
「了解」


私の声にこっちを振り返ったみんなを見上げて、ありがとうと言おうとした瞬間、羽織っただけのジャージがずるりと肩をすべり落ちた。
ぶかぶかのそれをたくし上げて前のジッパーを一番上まで上げる。
だぶだぶの袖は私の指先までをすっぽりと覆ってしまう長さ。
あれ……?


「何やってんの、
「……ダビデさぁ、またおっきくなった?ジャージワンサイズでっかくした?」
「うん」
「あー、みんな何だかんだ言って伸びてるからわかりにくいんだよな」
「そうだな、結局差はそれほど縮まってない訳だから」
「……私との差は十分過ぎるくらい開いてるよ」


一番小さい剣太郎とだって、もうそれなりに差がつき始めてる。
一応(ギリギリ)標準サイズなんだけどな、私だって。
みんなしてどんどん大きくなっちゃって(特にバネとダビデ!育ちすぎ!)、私はとっくに上に向かって伸びる方の成長は止まったし、差は開くばかり。
もう同じ高さには並ばない視線。
差のなかった足のサイズも手の大きさも、肩幅もなんもかんも。
男と女じゃ育てば育つほど違ってくるのは当たり前なんだけど、それでも何だか。




―――淋しい。






「―――。?」
「え?」
「何ぼーっとしてんだ、行くぞ」


バネとダビデの大きな手が伸びて、濡れた制服を入れたビニールバッグ(こんなもん用意しちゃってる辺り、私もなぁ……)と学生カバンを私の手から取り上げた。
空っぽになった私の手、右手をサエが、左手を亮が掴んで引っ張る。
私たちの前には、バネとダビデと聡。
その広い背中を追いかけるように、サエと亮と手を繋いだまま歩き出した私の後ろに、剣太郎と樹っちゃんが続いた。
今日の小テストはどうだったとか、明日の給食のデザートなんだっけとか、来月から産休に入る担任の子供が男と女どっちか賭けようぜとか、今年の父の日はオジイに何あげようかとか。
深い意味なんかない、些細な会話を交わしながら、みんなで海岸を歩く。
少しずつ沈んでいく太陽の朱色の光の中、笑いながら。のんびり、ゆっくり。
いつもと同じ、昔からずっと同じ、もう何度も繰り返してきた時間。
でも、何もかもが同じじゃない。


―――昔は淳も一緒にいた。
身長なんかほとんど変わらなくて、肩を並べて、自分の荷物は自分で持って歩いてた。
同じ高さの視線で、同じものを見ていた。


今は、淳は県外の学校に行ってしまっていない。
身長はバラバラになって、肩も視線も、もう同じ高さに並ぶことはない。
まるで当たり前のように私の荷物を引き受けて、守るように前と後ろと左右を囲んで。


―――知ってるよ。
私が一緒に遊んで服を濡らした時の為に、みんなしていつも余分に着替えを持ってきてること。
遊ぶたび、変わりばんこに貸してくれるタオルも。
何も言わないで、私の分も用意してくれてる、いつも。
誰が言い出した訳でもなく、私も何も言ってはいないのに。
みんないつの間にか、私を当たり前のように女の子扱いするようになってた。


ああ男の子なんだよなぁ、て。
意識し始めたのは、みんながそうやって私を女の子扱いするようになってから。
だけど、ホントはね。

それよりもずっと前から、男の子なんだってわかってたよ。
だけど、わかってないフリ、気付いてないフリしてた。
意識してしまったら、もうこのままではいられないと思ったから。
だから今も、気付いてるけどわかってないフリしてる。


ずっとこのまま、みんなで一緒にいたかった。
男とか女とか、好きとか嫌いとか、恋とか愛とか。
考えないで、考えさせないで、ずっとずっと、みんな一緒に並んで歩いていたい。
そんなの無理ってわかってても、それでも。


子供のまま。少年のまま。少女のまま。
時を止めてしまえたら。永遠に今のままでいられたら。






夕暮れの中でみんなの笑い声を聞きながら。
私は今日も叶わない願いに想いを馳せた。






















大人にならない少年たち。
子供の頃は早く大人になりたかった。今は時を巻き戻せたらと思う。
人間ってホント、ワガママで勝手な生き物だよね。

05/05/18 UP