君の一番近くにいるのは誰でもない自分でありたいと。
そう思っているのは、皆一緒だってこと。
つまりはそういうハナシ。
Distance with you
太陽が色を変えて、水面とみんなの姿を朱色に染め始める。
夕日に赤く染まる文庫本のページを捲る手を止めて、外してカバンの上に置いてた腕時計に目をやる。
時計の針はいつの間にか六時を回っていた。
「はーい六時過ぎた!今日はここまでね!」
「ええー、もう?」
本を閉じて砂にまみれたチビたちに声を掛ける。
波の音を掻き消すように、ええー、と不満げな声があがった。
「もうちょっといいじゃん、姉ちゃん」
「だーめ!おばさんたちに怒られちゃうでしょ」
「俺らは別にいいもん、なー!」
「うん」
「あんたたちは良くても私は嫌なの!ほら、カバン持つ!」
文句を言いながらも積み上げたカバンの山から自分の物を取り出し始めたチビたちから視線をはずして、波打ち際でじゃれ合っているでっかい子供たちの方に向き直る。
「六時ー!!」
私の言葉に皆一斉に振り向いて、口々に「わかったー」とか「今行くよ!」とか言いながら手を振っているけど、すぐに戻ってくる様子は見せない。
手なんか振らなくていいからさっさと戻って来いっつの。
帰り支度を整えたチビたちの服や髪についた砂を払ってやりながら、寄り道しないように諭すと。
「―――わかった?」
「わかってるってば、もー耳タコ!」
「姉ちゃん、いっつも同じことしか言わねーんだもん、覚えちゃったよなー!」
「なー!」
「大丈夫だよ、六時半から見たいテレビあるもん、ちゃんと帰るよ」
生意気盛りの次期六角メンバーは一言も二言も余計な口をきいてから、やっとこっちに向かって歩き始めた背の高い影たちに向かって手を振る。
「じゃーねー、バネちゃーん!」
「おっ先ー!!」
「ダビデまったなー!」
「おう、また明日な!」
「気をつけて帰れよー」
「はーい!サエちゃんたちも頑張ってねー」
「姉ちゃん、気をつけて帰れよ」
「その台詞そっくりそのままあんたたちに返すわ!」
走り去る背中に最後に一声掛けて溜息。
ホンットにもう、揃って口ばっかり達者に育っちゃって……誰の影響だろ。
もう一つ溜息をついたところで、背後からクスクスと笑い声が聞こえて、振り向けばチビたちに良からぬ影響を与えている一人が楽しそうな表情でこっちを見つめていた。
「……何よ、サエ」
「いや?はいい母親になりそうだなーって思ってさ」
「嬉しくない……」
「褒めてるんだけどな」
「うら若き17歳を褒めるなら、もっと他に言い様があるでしょ」
日に焼けて砂と海水で汚れた顔で、サエがゴメンゴメンと笑う。
その後ろから遅れて戻ってきたバネや樹っちゃんたちが同じように真っ黒に汚れた顔を出した。
「何やってんだ?」
「何でもない。……ホラ、早く身体拭きなさいよ」
「お、サンキュ!」
「ちゃん、タオル俺にも」
「!何でそんなびしょびしょなのよ、ダビデ!」
「バネさんに蹴り食らって顔面からダイブした」
「その状態でタオル使っても意味ない!まず髪の水分しぼって!」
ちょうど傍にいた剣太郎の手に他の皆のタオルを渡して、ダビデの肩を自分の方に引き寄せる。
前屈みになったダビデの髪を一まとめに掴んで、たっぷりと含んでいた海水をしぼる。
ぼたぼたと零れた海水が砂浜に大きな染みを作った。
いつもはワックスでがちがちに固められている髪はぺったり寝てしまって、毛束に引っ掛かった砂の所為でざらざらした。
「もー!こんなことばっかしてると傷んでバリバリになっちゃうよ、せっかく綺麗な髪なのに!」
「スイマセン」
「剣太郎、ダビデのタオル貸して」
「はいはーい」
剣太郎が放って寄越したタオルをキャッチして、ごわつくダビデの髪を丁寧に拭く。
タオルの下で俯いて気持ち良さそうに目を細める姿が猫みたいで。
ちょっと可愛いかもしれない、と思ったところに、いきなり横から伸びた足がダビデを蹴り倒した。
「いつまで甘えてんだテメーは」
「……バネさんひどい……」
「ちょちょちょ、ちょっと!何やってんの!」
「髪くらい自分で拭かせなよ。はダビデを甘やかしすぎ」
「はぁ!?」
サエがにっこり笑って、立ち上がったダビデの頭に私の手から取り上げたタオルを引っ掛ける。
上目遣いで恨めしそうにバネとサエを見ながら、ダビデは自分で髪を拭き始めた。
何だっての、もう。
訳がわかんないまま、手についた砂を払い落としていると、今度は後ろから肩をつつかれた。
「、ちょっとコレ取ってくんない?」
「え?」
「髪が輪ゴムに絡んじゃってさ」
「またぁ?」
そう言って、亮が一つにまとめた髪に引っ掛かってしまった輪ゴムを指差す。
指通りがいい亮の髪は一本一本が細くて絡まりやすいのだ。
さっきのダビデみたいに軽く前屈みになった亮の髪に手を伸ばす。
「だから言ったじゃん、私のクリップ貸してあげるって!」
「アレはヤだって言ってるじゃん」
「……だからって毎回の手を煩わすのもどうかと思うのね」
「樹っちゃんの言うとおりだよ、あーもー!淳みたく切っちゃえば!?」
「へぇ、切っていいの?」
「…………ダメ」
本音を言えば、綺麗で触り心地が良い亮の髪は私のお気に入りなので、本当は切って欲しくない。
同じ髪質の淳が短くして帰ってきた時はマジで泣いたわよ……綺麗な髪だったのに!(恨むわ観月君)
私が本気で言ってる訳じゃないのわかってて、あえて聞いてくる辺り、亮も性格が悪い。
クスクス笑う亮の髪を軽く引っ張って黙らせて、絡んだ輪ゴムを何とか外した。
「取れた!」
「ん、サンキュ」
「明日は絶対クリップで留めてやる……」
「がやってくれるなら、まぁそれでもいいかな」
「自分でやれ!お前手先器用なんだからよ!」
「そうだよねー。亮君もちゃんに甘えすぎだと思うなー」
「坊主頭の剣太郎にはわからない苦労があるんだよ、こっちには」
「じゃあ切っちゃえばいいでしょ!僕んちのバリカン貸してあげるよ!」
「だーかーらー!亮の髪は切っちゃダメだってば!」
勢いで剣太郎の頭を叩いたら、ぺちんと小気味良い音がした。
叩いた箇所を押さえて、大袈裟なくらいに剣太郎が嘆く。
「ひどいよちゃん〜!」
「うっさい!って言うかさっさと服着なさいよ、もー!」
渡したタオルで髪やら腕やら拭いたはいいけど、皆揃ってまだシャツは着てなかった。
顔も肩も背中も腕も、綺麗に日に焼けている。
毎日部活に精を出してる割に、皆揃って土方焼けと無縁なのは、帰りは毎日海に寄ってるおかげだ。
テニスバッグと一緒に置いてあったシャツ(皆が脱ぎ散らかしたのを私が畳んだ)をまとめて持ってきたサエが、慣れた手つきで皆に投げ渡した。
キャッチしたシャツが自分のかを一応確かめてから袖を通すのを見ながら、私はカバンを拾って砂を叩き落とす。
腕時計をポケットにしまうついでに時間を確かめる。
時計の針は大分進んで、もう少しで六時半を指そうとするところ。
「結局この時間になっちゃうのよね……」
「え?何時?」
「もうすぐ六時半」
「なんだ、まだそんなもんか」
「まだそんなもんじゃなくて、もうそんなもん、でしょ!」
タオルを引っ掛けたままの髪をがしがしとかくバネに反論する私の手から、不意にカバンの重みが消える。
振り向けば、きちんとシャツを着て自分のテニスバッグを肩に担いだサエが、私のカバンを手に笑っていた。
それを見た途端、皆が一斉に真顔になった。
思わず溜息が零れる。
「……今日もやるの?」
「そりゃもちろん」
「まだ十分明るいし、私一人で大丈夫だってば」
「ダメ。いくら七輪二つ一気に運べるくらい腕力があって、三年女子の中で一番腕相撲強くっても、一応ちゃんも女なんだから」
「……ダビデ、ケンカ売ってんの、アンタ」
「…………ゴメンナサイスイマセンもう言いません」
「バカ」
「正直なのは悪いことじゃないけど、もう少し言葉を選んだ方がいいと思うのね」
「……樹っちゃんもね」
「あーもー!さっさとやろうよ!」
痺れを切らした剣太郎が叫んだ瞬間、皆の表情が再び引き締まる。
私を抜かしてぐるりと円になって。
「――――――せーの!」
『最初はグー!ジャンケン』
『ポンっ!!』
『アイコでショ!アイコでショ!』
…………。
延々と続きそうなアイコの掛け声に、思わず深い溜息が漏れた。
部活の後に海で遊んで、帰り際、ああしてジャンケンで。
私を家まで送ってく役目を決めるのが、いつからか日課になってる。
送ってくれるって言っても私たち皆ご近所さんだから、分岐点からうちまでのほんの数分(一番遠いバネんちでも徒歩五分の距離)以外は皆一緒なんだけど。
勝った一人がその数分の距離を送ってくれる。毎日。
確かに街灯の数も少ないし、遅い時間だったりすると痴漢とか出たりもするから、危ないって心配してくれる気持ちは嬉しいんだけど。
まだ明らかに明るくて人通りも多い時間帯でも、絶対誰かが送るって言って聞かない。
そんな訳で毎日勝者が決まるまで待たされる。
前に一度、
『だったら、皆で送ってくれてもいいんだけど?』
と提案してみたことがあるんだけど、何でか知んないけど却下された。
一人で帰すのは絶対出来ないけど皆で送るのは大袈裟すぎて嫌なんだって(ホントに訳わかんない)。
何であれ、私のことを心配してくれての行動なのはわかる、ので。
「早く決着つかないかなー……」
溜息をつきながら、私は今日も、本日の勝者が決まるのを待っている。
「よっしゃ!勝った!」
さぁ。
本日の勝者は?
……何だコレ。訳わからん。
06/05/18UP