男の子とか女の子とか、年下とか年上とか、気にする必要もなかった頃。
彼らの傍はただひたすら心地良いだけの場所だった。
















  2











おじいちゃん手作りのヒノキのお風呂で、存分に足を伸ばして一日の疲れを癒した後。
うちとは比べ物にならない広い脱衣所で大判のバスタオルに包まって、洗面台の大きな鏡の中を覗き込む。半年前に同じ鏡を覗き込んだ時より、少しだけ子供っぽさが抜けた気がする自分の顔が、正面からじっとこっちを睨んでいた。
風呂上りで火照る顔をぱちんと軽く叩くと、薄く上気した頬が僅かに赤みを増して、小さな子供の頃に戻ったような気がした。
あくまでも気がしただけで、そんな簡単に年が戻ったりするわけがないけど、すぐ赤くなる顔をからかわれていたのは小学生の頃までだったから。
ふう、と溜息をついて着替えに手を伸ばす。今日洗濯したばかりのお気に入りのパジャマの上に乗ってる、タンクトップタイプのスポーツブラとお揃いのショーツ。
つけ始めた頃の違和感が嘘のようにすっかり馴染んだその下着を手早く身につけてパジャマを着る。
白地に赤のチェックの少し大きいサイズのパジャマ。
まだ濡れている髪にバスタオルをぐるっと巻いてから、私はお風呂場を後にした。






田舎のおじいちゃんの家は古い木造で、天井が高くて縁側が広くて、庭に面したガラス戸の鍵なんかむちゃくちゃ古い。防犯って言う観点から見たら相当やばいんじゃないのこの家、って言いたくなるくらい古い。
トイレとか台所とかお風呂場とかのリフォームより、まず鍵の付け替えするべきじゃないかなあ。
一歩進むたびにキシキシ鳴る廊下を通って一番広い12畳敷きの和室に向かうと、何かすごい騒ぎが聞こえてきた。



「サエさん覚悟ー!っぶ!!」
「おらダビデ逃げんじゃねえ!」
「わっ、ちょっ、バネさんタンマ!」
「ダビデ、逃げないでちゃんと枕受け止めてよ!何で僕が顔面に食らわなきゃなんないの!」
「とか言ってる間に隙あり!4の字固め!」
「わーっギブギブギブ!」
「ギブアップ無しってさっき決めたばっかりだろ。亮、カウント!」
「ええ?俺、今本読んでるんだけど」
「ノリが悪ィぞ、亮!樹っちゃんいけ、トドメさしちまえ!」
「合点!」
「ちょっと待った、本しまうから待て樹っちゃ」
「待たないのねー」
「だあぁぁっ」



もういい時間だって言うのに、どったんばったんと騒がしいその部屋の襖を開けた途端、まるでタイミングを図ったように枕が飛んできた。
間一髪で避けて、ぼすんと音を立てて背後に落ちた枕を拾う。
うちの枕は蕎麦殻だから当たると結構痛いんだって、いい加減学習しないかな、こいつらは!



「ちょっと、今投げたの誰!?」
「うわっ、ちゃんっ」
「やっと風呂上がったか、
「お、そのパジャマ可愛いじゃん」
「うんうん、に似合ってるのね」
「ホントだ、可愛いよ」
「枕がジャマでパジャマが見えない……」
「お世辞も笑えないダジャレもどうでもいいから、これ投げた人、とっとと自首して」
『…………』



既にぐちゃぐちゃになってる布団の上で、一斉に口を噤んだ幼馴染たちをぐるりと睨みつけた。
みんな私より先にお風呂に入っちゃってたのでパジャマ姿、もう髪もほとんど乾いてる。
私の視線を受けて揃って神妙な顔をしてみせてるけど、目が笑ってたり口元がひくついてたり、反省の色が見えない。
とりあえず部屋の中に入って、動かないみんなの間を縫うようにゆっくり歩きながら、手に持ったままの枕を軽くぽんと投げ上げてキャッチして。また投げ上げてはキャッチして。
それを何度か繰り返した後、私はあえて誰か一人に狙いを定めないでそれを投げつけた。
ボスッと鈍い音がして、咄嗟にバネに盾にされたダビデの顔面にぶち当たる。それを合図にそれまで身動ぎしなかったみんながわっと声を上げて、我先に手近な枕に手を伸ばした。
枕が宙を飛び交って、笑い声と叫び声が交差して、さっきの騒ぎなんか目じゃないくらいのうるささ。
私も髪を包んでいたバスタオルが外れるのもお構い無しで応戦する。




それから、流石のうるささに辟易したおばあちゃんが叱りに来るまで騒ぎは続いた。
















「―――いい加減にして寝なさいよ?」
『はーい』



きれいに声を揃えて返事した私たちを見やって、やれやれって顔しておばあちゃんが部屋を出て行く。
あれだけ大騒ぎしたにもかかわらず無傷だった襖がぱしんと音を立てて閉まって、ゆっくりした足音が遠ざかって完全に聞こえなくなったところで、私たちは揃って正座してた足を崩した。
おばあちゃんのお説教、怒鳴られたりはしないんだけど、すっごい長いんだよね……。
溜息をついた私の横に座ってた剣太郎が、前のめりに倒れこんでずるずると布団の上を這った。
……足痺れてやんの。
私に続いて剣太郎の異変に気づいた亮が、満面の笑顔で背後に移動する。
そっと手を伸ばしてぽんと軽く足をひっぱたいた途端、奇声が上がった。



「うぎゃあぁっ!やめてーっ」
「何だ剣太郎、足痺れたのか?なっさけねーなー」
「そう言うバネもいつまで転がってんの。そこ俺の布団だから早くどいて」
「ちょっ、ちょっと待て、今どくからっ」
「バネさん足マッサージしてあげようか」
「バッ、やめろバカ!ぎゃああぁぁっ」



亮と樹っちゃんにおちょくられている剣太郎に負けない奇声を発して、ダビデに思いきりふくらはぎを掴まれたバネが仰け反る。
あまりの大声に慌てて手近な布団を引き寄せて二人の頭を被せた。
せっかくお説教から開放されたのに、おばあちゃんが戻ってきちゃうじゃん!
私と同じ考えに思い至ったらしいサエが、まだちょっかいをかけている亮たちをやんわりと制した。



「亮もダビデもその辺でやめといてやれよ」
「はいはい」
「てめーダビデ!覚えてろよ!」
「ヤダ」
「樹っちゃん手貸してー……立てないぃー……」
「あーもう、しっかりするのね」
「うわ、布団ぐちゃぐちゃ。ちょっとバネ、いい加減そこどいて」
「鬼かお前!」



しっちゃかめっちゃかになってる布団をぱぱっと直して寝られる状態に戻し終えた頃には、剣太郎もバネも何とか立てるようになってた。
流石にもうプロレスも枕投げも自重して、みんな思い思いに布団の上に寝転がったり座り込んだり。
バネとダビデが向かい合って腕相撲を始めると、樹っちゃんと剣太郎がそれに加わった。
亮が読みかけの本を引っ張り出してきてページを開く。
一つにくくってあったその髪がほつれているのが気になって、私は部屋の隅においてあった自分のバッグからブラシを取り出して亮の横に座った。



「亮、髪の毛いじらせてね」
「ん?いいけど」
「じゃあ俺がの髪をやろうかな」



そういって後ろに座り込んだのはサエ。さっきの枕投げの時に吹っ飛ばしたバスタオルで、まだ生乾きだった私の髪を拭き始めた。
優しく髪を引っ張る感覚を気持ちよく感じながら、さらさらの亮の髪を梳いてまとめる。
まとめた髪を髪ゴムで括ってブラシを置いたら、今度はサエがそれを手にとった。
絡んだ部分をそっと丁寧にほどきながら梳いてくれる。
手持ち無沙汰になって、さっきまとめた亮の髪を一房選り分けてみつ編みにしてみたりしていると、開いた本のページに視線を落としたままで亮が口を開いた。



、次に休みもまた来る?」
「え?うん、そのつもりだけど」
「おばさんに止められたりしないの?」
「―――」



返す言葉に詰まった私の後ろで、サエが、亮、と声をあげた。たしなめるような響き。
気がつけば、腕相撲をしていた四人も手を止めて、こっちに視線を向けていた。
優しい眼差しが全部わかってるんだって告げていて、泣きそうになった。






おじいちゃんの家でのお泊り会。
数年前に私が引っ越すまでは月に一回くらいの割合でやってた。
引っ越してからも長期の休みに私が遊びに行くと、何も言わなくてもみんなおじいちゃんの家に集まってきて、いつも同じこの部屋に布団を敷き詰めて、普段よりずっと遅い時間まで起きて、いろんな話をしたり遊んだりした。
物心ついた時から当たり前のように一緒にいたから、一緒の部屋で寝ることに何の抵抗もなかった。
だけど周りはそういう訳にはいかなくて。
今回、こっちに来る前にお母さんに言われた言葉。



『もう中学生なんだから、同じ部屋で寝るのはやめなさい』
『もう小さい子供の頃とは違うんだから』
『お母さんたちはあんたたちが本当の兄弟以上に仲がいいってわかってるけど、それを知らない他の人から見たら中学生にもなって、って思われちゃうのよ』
『おじいちゃんたちに言って、寝る部屋は別にしてもらいなさい。ね?』
『そうしなければ、次からは泊まりに行くのは許可出来ないわ』



お母さんの言ってることが間違ってるとは思わない。
でも、改めて突きつけられた現実を、簡単に受け入れることは出来なかった。
それまで当たり前だったことを容易に変えられるほど、心はまだ大人にはなりきれない。
心の中でお母さんに謝って、おじいちゃんとおばあちゃんには、これで最後にするからお母さんには黙っててとお願いした。
おじいちゃんとおばあちゃんは優しく笑って頷いて、内緒にすると約束してくれた。






「おばさんの言うことは間違ってないよ」
「……うん」
は女の子なんだから」
「うん」



ぽつりと呟いたサエの言葉に小さく頷く。
それはわかってるから、だから今回で最後にしようと決めた。
だけど胸の中に生まれた淋しさは消えない。
今日、お風呂場で考えたことをもう一度考える。
どうして私は女なんだろう。どうして私だけ女だったんだろう。
みんなと同じ男の子だったら、そうしたらこんな気持ちを味わうこともなかったのに。
心の中に生まれたその気持ちはどうしたって消すことは出来なくて、言っても仕方ないことだって思いながらも、私は声に出して言ってしまった。



「……私も、男だったら良かったのになあ……」
「――――――」



そう言って俯いた私の耳に、みんなの吐息や溜息が滑り込む。
ふわりと温かいものが肩を覆って、顔を上げるとサエと亮に左右からそっと抱きしめられていた。
いつの間にか距離を詰めてきていたバネたちが、手を伸ばして私の頭を撫でたり、投げ出していた手にそっと指を絡めたりしてくる。甘えるように私の膝に頭を乗せた剣太郎が上目遣いに私の顔を見上げて、囁くような声で言った。



ちゃんが男だったら困っちゃうよ」
「……なんで」
「なんでも!とにかく、僕らはちゃんが女の子でよかったって思ってるからね」
「俺もそう思う」
「俺も」
「俺もだぜ」
「俺もなのね」
「俺もね。それに淳や聡もそう言うと思うよ」



サエが微かに笑って、今日来られなかった二人の名前を出す。
家族で出かける用事が重なっちゃって、聡はすごく悔しがってた。
淳はまだ学校の寮から帰ってきてない。部活が忙しくて帰れないんだごめんね、と電話越しに謝ってきた声がひどく淋しそうだった。
思い出して、また少し俯いた私の頬に、大きな手のひらが触れた。
バネの手のひら。ごつごつして硬い、男の子の手のひら。



だったから、俺たちは一緒にいたんだよ」
「バネさんの言うとおり」
「淋しいのは俺たちも一緒だけど、二度と会えなくなる訳じゃないんだからさ」
「……うん」
「もう寝よう?明日も予定はいっぱいあるんだからさ」
「うん……」



促されるまま、自分の布団に潜り込む。
私の右と左に剣太郎とダビデ、向かい合わせの布団に樹っちゃん、サエ、バネ、亮が寝る。小さい頃と同じ並び方。ここに淳と聡がいたら、剣太郎の隣に聡が、バネと亮の間に淳が寝てたはずだった。
みんな、私の方に身を乗り出すようにして枕を寄せてくる。
サエの手が電灯の紐を引っ張って、豆電球の柔らかいオレンジ色が部屋を照らし出した。



―――寝ようと言ったのに、誰も目を閉じなかった。
タオルケットに包まって頭を寄せ合って、言葉はなく、視線だけを交わして。
甘えるように手を伸ばしたら、みんなも同じように手を伸ばして、私の手のひらに指先を預けてくれた。
子供の頃とは違う、骨ばって引き締まった指先の感触に淋しさが増したけれど、私はもう何も言わなかった。
言っても仕方のないことだと、わかっていたから。






壁に掛かった古い振り子時計が時間が流れていることを否応なく教える。
オレンジ色の灯りと大好きな人たちの温もりに包まれて、私はこのまま時が止まることを願った。
叶わない願いだと、わかってはいたけれど。






















寝間着祭り夢のつもりが、むっちゃ淋しい終わり方に_| ̄|○il|||li
ほのぼの六角寝間着祭りを期待していた皆様ごめんなさい……!(土下座)
夢にするならヒロインは不可欠だし、と、ヒロインを絡ませようとしたらどうやってもグダグダになってしまって、結果こんな話になってしまいました……。
永遠少年症候群2となってますが、前作のヒロインとは別人です。オジイの孫か曾孫のつもり。
同じテーマの話だからということで、永遠〜をサブタイトルにしただけです。

07/04/18UP