未来予想図 〜嶋本の場合〜
くん、と軽くスカートを引っ張られる感覚に、私はぎょっとして下を見た。
待ち合わせている彼氏の悪戯かと思ったのだ。
普段は別にそれほどガキっぽい訳でもないのに、時折ものすごくしょうもない悪戯をしたりするから。
でも予想ははずれて、見下ろした先にいたのはまだ四、五歳位の小さな男の子だった。
こっちを見上げる黒目がちの大きな瞳には、涙。
私と目があったその子の顔がくしゃくしゃっと歪んで、小さな手で私のスカートの端をぎゅっと握ったまま、声を上げて泣き出してしまった。
「ママぁーっ!」
「え、え……!?」
思わずその場にしゃがみ込んだ途端、小さな手が私の肩に抱きついてきた。
うわあぁぁん、と声を上げて泣くその子を反射的に抱きしめ返して、あやすようにその背中を軽く叩く。
……これってもしかしなくってもあれだよね……『迷子』。
因みにここは新しく出来たばかりのショッピングモールの前。
駅前から少し歩いたところにあって、近くに交番らしきものも無し。
手っ取り早いのは交番を探して預けることなんだけど、あいにくと私の待ち合わせ相手はまだ来ない。
仕方ない、ちょっと遅れるって言っとこう。
バッグの中から携帯を取り出そうとして抱きしめていた手を離したのがまずかったのか、男の子がしがみつく力を強くして一層激しく泣き出した。
「ママ、ママーっ」
「あー大丈夫、大丈夫だよー!お姉ちゃん電話するだけだから、泣かないで、ね、ね?」
「ママぁーママーっ!」
……まいったぞこりゃ。
その子を抱っこしている所為で両手は自由にならない。
どうしたものかと途方にくれた時。
「……何やっとんのや、」
「ふわっ!?」
背後から聞こえた声に首から上だけ動かして後ろを振り向く。
呆れたような顔をしてシマ―――言わずと知れた私の彼氏―――が、私たちを見下ろしていた。
「シマ!よかったぁ、今連絡しようとしてたんだ」
「あーそうかい。―――で、いつ産んだんやそれは」
「……アンタね……」
そんな冗談言ってる場合じゃないっつーの!!
ぎろっと上目遣いに睨みつける私の視線を軽く受け流して、シマは身動き取れずにいる私の傍らにしゃがみ込むと、まだ私に抱きついたまま泣きじゃくっている男の子の肩に手を掛けた。
何するの、と言いかけた私の方には目もくれず、男の子を乱暴に私から引き剥がして抱き上げる。
いきなり抱き上げられて一瞬泣き止んだ男の子の顔が、真正面からシマと向き合って更に歪む。
ヤバイ、と思った次の瞬間、男の子は今までの比じゃないくらいの大声で泣き喚いた。
「うわああぁぁぁん!!ママぁー!!」
「ちょっとシマっ……」
「泣くな!!!」
お腹の底から出したような、ずしんと重たい一喝。
周りの通行人も思わず足を止めるほどのその声に、ぴたりと子供の泣き声が止む。
でもそれもやっぱり一瞬だけで、ダメだまた泣き出す、と思ったその時、間髪を入れずにシマが怒鳴った。
「男がピーピー泣くなアホ!!」
「ふぇっ……」
「泣いても母ちゃんは戻ってこんぞ!男やったらシャキっとせぇ、シャキっと!!」
「シマ!こんな小さい子に何怒鳴ってんのっ」
「お前は黙っとれ。母ちゃん探して欲しかったらな、いつまでも泣いとらんで名前言え!」
見ず知らずの、しかも泣いてる子にまで何でこんなスパルタなのよコイツはー!
だけど、不思議なことにシマの一喝が効いたように男の子は泣き喚くのをやめて。
まだしゃくり上げながらも、小さな手で一生懸命自分の顔を拭った。
それを見てシマはにやっと笑って、腕の中のその子の身体を軽く揺すり上げた。
「よーしよし泣き止んだな。ボーズ、名前は?」
「……っ、……」
「おーしよく言えたなぁ。んではどっから来たんや?あっちか?それともこっちの店の中からか?」
「おみせっ……なか、でっ……っく」
「そか。なら多分お前の母ちゃんもまだ店の中にいるやろ。店の人に言って呼んでもらったるからな」
だからもう泣くなよ?と笑いながら片腕で軽々と男の子を抱いて、もう片方の手でがしがしと頭を撫でた。
呆気にとられていた私に行くぞ、と短く声をかけて、シマはモールの入り口に向かって歩き出す。
我に返ってその背中を追いかけた私の視界で、男の子は真っ赤な目でにっこり笑った。
入り口近くのインフォメーションで呼び出しをかけたら、君のママはすぐにやってきて。
何度も私たちに頭を下げるお母さんの横で、君はさっきまでの泣き顔が嘘のような満面の笑顔で「おにーちゃんおねーちゃんバイバーイ!」と手を振った。
手を振り返してモールの中を歩き出す。
隣で大きくあくびをしているシマの腕に笑って自分の腕を絡めると、シマはちらりと横目でこっちを見た。
「……何や」
「ん?君可愛かったよね。っていうかシマすごいなぁって思った」
「アホか、何がすごいんや」
「照れなくってもいいじゃない。ああいうのも飴と鞭の使い分けって言うの?ばしっと一喝して、泣き止んだらまたうまーいタイミングで笑ってあげてさー。いいパパになりそう」
意外な一面を見たなぁ、なんて言って笑った私の隣で、シマは仏頂面を微かに赤く染めた。
珍しいこともあるもんだ。
何だか面白くなって、ちょっとしつこいくらいにじーっとシマの横顔を見つめていたら、こっちに向かって手が伸びて。
綺麗にセットした髪をぐしゃぐしゃに引っ掻き回された。
「ぎゃ!何すんの、もうっ」
「やかましいわ、ボケ。人からかった罰じゃ、罰!」
「からかってないじゃん、シマはいいパパになれそうだねって褒めてあげたんでしょ!」
「人の顔見てニヤニヤして、十分からかっとるやろが」
「あのね、もうちょっと素直にストレートに受け取れないの?」
そりゃちょこっと面白がっていたのは事実だけどさ。
いいパパになりそうだなぁって思ったのもホントなのに。
さっきまでと反対に少し面白くない気分になりながら軽く唇を尖らせる。
そしたら今度はシマの方が私の顔をジーっと見つめてきて。
「ストレートに、なぁ」
「何よ」
「お前の言葉を俺なりにストレートにとっていいんやな?」
「……何が言いたいの」
にかっと笑ったシマが人差し指で私を差し招く。
何だろう、さっきとは打って変わって機嫌の良さげなこの笑顔は……なんか不吉。
思わず身を遠ざけようとした私に対して、シマは組んでいた腕を解いて私の肩に回して、笑顔のままこう言った。
「俺にいい親父になって欲しいイコール、俺との間に子供が欲しいと、そういうふうにとったるぞ」
「―――はぁ!?」
何ですか、その無茶苦茶な解釈の仕方は。
思わず呆れ返る私の肩をしっかり抱いたまま、シマは笑顔を消さずに言葉を続けた。
「そういうことなら協力したるわ。ほな今日はもう買い物やめてアパート帰ろうや」
「……何でそういうバカなこと言いだすかなぁ!」
「俺なりにお前の言動をストレートに受け取ってやったんやろが」
「バカ!」
肩を抱く手をばしっと一発引っ叩いて腕の中から抜け出すと、私は歩調を早めた。
そんな私の後ろを声を上げて笑いながらシマがついてくる。
歩幅の差も手伝ってさっさと追いついてきたシマは、私の横に並んでまた口を開く。
「―――おい、」
「アンタの戯言なんか聞く耳持ってませんっ」
「戯言とか決め付けんな、ボケ」
「じゃあ何よ」
横目で睨んだ私に、さっきと同じ笑顔で。
さらりと一言。
「今すぐじゃなくていいから、いつか俺の子供産めよ」
なんていうかもうホント ごめんなさい(土下座)。
軍曹は子供の相手とか意外に上手な気がするなぁ、と思ってた何故かこんな風に……。
05/03/12up