あんたって落ち着きなさすぎ、ってよく言われる。
自分でも常々そう思ってます、私は落ち着きがなくてドジでおっちょこちょいです。
今だって、ほら、寝惚けてたとはいえ。
バスマットに躓いてコケるなんて、誰にでも出来ることじゃないわよね!(威張れることでもない)
幸せのカタチ
そのまま勢いよく洗面所のシンクに突っ込むかと思った私の顔は、陶器製のシンクよりもやわらかい何かにぶつかった。
振動、それから。
「つっ……」
「……え?」
頭上で聞こえた小さなその声を聞いた途端、まだ半覚醒状態だった頭がすっと冴える。
そろそろと身体を起こすと、見慣れたTシャツの広い背中がすぐ目の前にあって。
さらに視線を上にあげると、広くたくましい肩越しに見える鏡の中で、あごを押さえたタカミネさんが微かに眉をしかめていた。
「ごっごめんなさい!痛かった!?」
「……いえ、大丈夫ですよ。さんは大丈夫でしたか?怪我は?」
もう付き合って随分経つのに、タカミネさんは今でも私に対して敬語を使う。
きっと結婚しても子供が出来ても、ずっとこうなんだろうなぁ……。
そんなことを考えつつ、大丈夫と頷いてみせると、タカミネさんはホッとしたように優しく微笑んだ。
「そうですか、良かった」
「タカミネさんの背中、クッションにしちゃって。ごめんなさい……」
「平気です、さんは軽いから」
ぶつかったところでちっとも痛くありませんよ、とまた笑ったタカミネさんの右手には、泊まりの時用にうちに置いてある安物の剃刀。
嫌な予感がしてもう一度じっとタカミネさんの顔を見ると、彼は少し困った顔をした。
左手であごの辺りを押さえたままで。
「……タカミネさん」
「何ですか?」
「左手、どけて見せて」
「……大丈夫ですよ」
「ダメ!見せて!」
筋肉質の腕に半ばぶら下がるようにしてしがみつくと、タカミネさんは困ったようなその表情を崩さずに少しだけ迷ってから、そっと左手をはずした。
かっちりとしたラインを描くあごの一部に滲む赤い色。
私がぶつかったその衝撃で、剃刀の刃が滑って出来た小さなその切り傷にじんわり滲んだ血の色を見ながら、私はしみじみと自分の落ち着きの無さを呪った。
あと残り少しだから、とタカミネさんが髭剃りを済ませた時には、血は殆ど止まっていた。
何かというと怪我をする私の為に友達がプレゼントしてくれた、充実した中身を誇る救急箱をテーブルに置いて、私は座っているタカミネさんのあごの傷に脱脂綿をそっと押し付けた。
消毒液が少し染みたのか、ほんの僅かにタカミネさんの表情が歪む。
「本当にごめんなさい……」
「そんなに気にしないで下さい、たいした怪我じゃないんですから」
「だけど」
「それにあそこに私がいなかったら、さんが怪我していましたよ。そうならなくて良かった」
優しすぎるその言葉と笑顔にますます申し訳なさを募らせながら、救急箱から絆創膏を取り出した私にタカミネさんがストップをかける。
「ああ、絆創膏はいいですよ」
「え、でも」
「もう血も止まりましたしね。直接空気にさらしておいた方が治りも早いですから」
「そう……?」
「はい。どうもありがとう」
私の所為でした怪我を、私が手当てするのなんて、当たり前のことなのに。
当然のようにタカミネさんが口にする『ありがとう』の五文字は、本当に心のこもった、優しい響きを伴っていて、私はなんだか無性に泣きたくなった。
どうしてこの人は、いつもこんなに優しいんだろう。
こんなふうに私の所為でタカミネさんが迷惑をこうむるのは、もう日常茶飯事。
落ち着きが無くてドジでおっちょこちょいの私に巻き込まれて、今日みたいにしなくてすんだ怪我をしたことも一度や二度じゃないし。
次の日も仕事なのに、家の鍵を失くした私の為に深夜にうちまで来てくれたりとか。
それでそのまま泊まることになったら、今度は目覚ましかける時間を間違えて遅刻させちゃったりとか。
数え上げればキリが無い私の失敗のことごとくに、それでもタカミネさんはいつも。
『大丈夫ですよ』
『気にしなくていいんですよ』
いつだって、そう言って笑ってくれる。
その笑顔を見るたびに、もっとしっかりしなくちゃって自分に言い聞かせるけれど。
結局また怪我させちゃって。
どうして私っていつもこうなんだろう……。
「―――さん?」
やわらかな声音で名前を呼ばれて、はたと我に返ると。
椅子に座ったまま、タカミネさんが立ち尽くしている私の顔をじっと覗き込んでいた。
優しく穏やかな眼差しを正面から受け止めて、私は何でもないよと笑おうとして失敗した。
さっき見たタカミネさんの傷に滲んでいた血のように、じんわりと涙が目尻に浮かんで、慌ててパジャマの袖でそれを拭い去ろうとした私の手を、やんわりとタカミネさんの手が掴む。
「どうしたんですか?」
「目に、ゴミが入っちゃった」
「―――下手な嘘ですねぇ」
「……嘘じゃないよ」
「本当は、どうして自分はこんなにドジなんだろうとか、自己嫌悪してたでしょう」
ぴたりと私の考えを言い当てて、タカミネさんはくすりと笑うと両手を私の腰に回して、そっと自分の膝の上に引き寄せた。
少しだけ高い位置にある私の顔を至近距離から覗き込んで、ふうっと目元を和ませる。
「当たりでしょう?」
「……どうしてわかっちゃうの?」
「さんのことは、一つでも多くわかっていたいと思っているからじゃないでしょうか」
「それ、あんまり理由になってないんじゃない?」
「わかりたいと思って一生懸命さんのことを見ていれば、自然とわかってくることもあるってことですよ」
にこりと微笑んだその顔の少し上向いたあごにさっきの傷を見つけて、そっと指先でそれに触れたら、タカミネさんは少し首を傾けて私の目から傷を隠した。
「本当に、気にしなくていいんですよ」
「でも私の所為だもの。痛かったでしょ、ごめんね」
「そういう優しいところも、さんの良いところですね」
「私なんかよりタカミネさんの方が、ずっとずっと優しいよ……」
私のドジをいつだって笑って許容してくれるタカミネさんの方がずっと。
私なんかよりもずっと優しいよ。
「ごめんね、もっとしっかりするから、私。ホントに、頑張るから……」
タカミネさんに、あんまり迷惑かけないように頑張るから。
そう言って俯いた私の顔を見つめて、タカミネさんは少しだけ目を丸くして。
それからゆうるりと目を細めて静かに口を開いた。
「そんなに無理しなくていいんですよ」
「でも」
「無理に自分を変えようとしなくてもいいんです。さんはそのままで、十分私を幸せにしてくれているんですから」
「…………」
「さんが元気で、傍で笑っていてくれたら、それだけでいいんですよ」
穏やかに、でもきっぱりとそう言って。
タカミネさんは、ね?と念を押すように私の目をじっと見た。
その視線に応えてこくりと頷くと、タカミネさんはとても嬉しそうに微笑んだ。
私は笑い返して、そっと口を開く。
「あのね、私も」
「はい?」
「タカミネさんがそうやって笑ってくれると、とても幸せ」
「そうですか」
「うん」
貴方がそうして笑ってくれるだけで。
―――すごく幸せ。
「じゃあ、話が落ち着いたところで、朝ご飯にしましょうか」
「あ、うん」
私を抱き寄せていた腕を緩めて席を立って、タカミネさんはキッチンでコーヒーの用意を始めた。
その隣に立ってトーストの用意をする私に、そう言えば、と声を掛ける。
「今日は買い物に行く約束でしたよね。確か新しいバッグを買うんでしたか」
「―――うん。あ、でもその前にね」
「はい、何ですか?」
ふと思いついて。
聞き返すタカミネさんのあごの傷に、手を伸ばしてもう一度触れた。
不思議そうな顔をしたタカミネさんとの身長差を縮めるように目いっぱい背伸びして、爪先立ちでその耳元に囁きかける。
「横滑りしても切れない剃刀も、買いに行こうね」
「――― そうですね」
いたずらっぽく笑って言った私の言葉に、タカミネさんは楽しそうに笑い声をあげた。
敬愛するトッキュサイト『smooch!』の管理人・つむぎさんへ捧げます。
お約束しました髭剃りタカミネさんドリ……なのですが、すいませんつむぎさん!
髭剃りあんま関係ないじゃん!タカミネさんはもっと素敵よ!等々、苦情その他諸々、24時間受け付けておりますのでいつでもどうぞー!!(土下座)
いつかもっと素敵なタカミネさんを書けるよう、日々精進します……。
05/04/26UP