人気のない放課後の昇降口で。
ひらり、足元に落ちた白い封筒は、差し込む西日の色を映してオレンジに染まった。
















靴箱のラブレター











屈んで拾い上げた封筒の表書きに目を凝らす。
白い地に淡い色のペンで書かれた文字を読むには、夕暮れの昇降口はちょっと暗過ぎて目が辛い。
ほのかな夕日の光にすかして、封筒の表書きに連ねられた、如何にも女の子っぽいチマチマした文字を何とか読み上げた。


「天根、ヒカル様……」


―――ダビデ宛て?

小学校入学当時からの腐れ縁で今も同じクラスの天根ヒカル、通称ダビデ。
出席番号順とか気にしなくていいから早い者勝ちで好きなとこを使え、という適当極まる担任の科白に従った結果、私の下駄箱とダビデの下駄箱は隣同士になった。
上から三段目、廊下側から数えて五番目が私の、六番目がダビデの。
つまり、この封筒の差出人は入れる場所を間違えたって訳だ。


「……今時靴箱に手紙とはねー」


古風というか何というか、今時珍しいんじゃないの、こういう告白。
ていうか意外にモテてんだよね、ダビデの奴……さっむいダジャレばっか言ってるような奴なのに。
まぁ顔は悪くないし、一見とっつきにくそうだけど実はそうでもないし、何よりテニスやってる時は文句なしにカッコいいけどさ……。
ひらっと目の上に翳した白い封筒をじっと見つめて、少しの間立ち尽くす。
……ダビデの下駄箱に入れ直してあげるべき、なんだけど。
これがダビデの手元に渡ったら?中身に目を通して、それで。


「相手の子と付き合ったりなんか、すんのかな……」
「……何一人でブツブツ言ってんの、お前」
「―――っ!」


それはホント、不意打ち、で。
慌ててばっと振り返ったすぐ目の前でダビデが明るい茶色の髪をかきあげて、不思議そうな顔でこっちを見下ろしてた。
咄嗟に封筒持ってる手を隠すように後ろに回してしまう。
当然動きは不自然なものになって、ダビデは訝しげに私の背後を覗き込んだ。


「何隠してんだ」
「ベ、別に何も隠してない」
「だって今見えた、何か白っぽいの」
「こっ、これは、そのっ……」


しどろもどろになりながらじりじりと後ろに下がる。
私の立ち居地が変わってきたことに気付いてダビデが大きく一歩、こっちに踏み出して。
それに合わせてこっちも一歩後退したら、カタンと音をたてて背中が下駄箱にぶつかった。


「観念しろって」
「何でよ!」
「そんなに俺に見られると都合の悪いモンなのか?」
「別にそんなんじゃ」
「じゃ、何で隠すの」
「それは―――」






―――何で隠すの?

ダビデ宛の、白い薄い封筒。
ダビデのことを好きな女の子がきっと一生懸命気持ちを込めて書いて、勇気を振り絞って靴箱に入れたんだろう、小さな封筒。
その、ダビデの手に渡って当たり前のものを、何で私は咄嗟に隠したりしたのか。


それは、私が。

その、ダビデのことが好きだからで。


でも、こんな状態でそんなこと、言えるはずがないじゃんかっ……!






黙り込んだ私の顔を覗き込むように、ダビデがゆっくり腰を屈めた。
近付いてきた彫りの深い端正な作りの顔の中、少し鋭い切れ長の目に私の姿が映って。
真っ直ぐに見つめてくるその眼差しをいつものように受け止めることが出来なくて、私は思いっきり俯いた。

「―――?」
「……別に、隠したわけじゃないよっ」
「言ってることとやってることがちぐはぐなんだけど」
「いきなり背後から声掛けられたからびっくりして隠すような形になっちゃっただけ!」
「じゃあ、何それ。見せて」
「……好きなだけ見たら」


手の中の白い封筒、表書きのダビデのフルネームがよく見えるように目の前に突き出して、ぶっきらぼうな口調で答えた。
テニスやってる大きな手のひらの長い指が、そっとそれを私の手から受け取る。
さっきよりもっと暗くなった昇降口にほんの少し差し込む西日にすかして、表書きを視線でなぞる。
ほんの数秒間の沈黙が、まるで何時間もの長い長い時間に思えて。
やがてぽつりと呟いただけのダビデの声は、私たち以外誰もいないがらんとした昇降口にやたら大きく響いた。


「……んで、何これ?」
「何って……」


見ればすぐわかりそうなもんなのに。
何でいちいち聞くの。そんな質問するの。私が一番答えたくない質問をするの。
鈍感な奴ってわかってはいたけど。今更だけど最悪。
―――ホントに最悪。


「何って訊いてんだけど」
「……見りゃわかんじゃん。ラブレターってヤツでしょ」
「……ラブレター?」


いつもと変わらなかった淡々とした口調に、ほんの少しだけ驚いたような響きが混じって。
俯いてた顔をすこしだけ上げた私の視界で、ダビデは今は自分の中にある封筒と私の顔を交互に見比べた。
居心地の悪さにぎゅっと唇を噛んで再び俯いた私の頭上で、静かにダビデが私の名前を呼んだ。


「……何」
「これが書いたの?」
「な……いきなり何言い出してんのよ、何で私があんたにラブレターなんて」
「違うのか」
「当たり前でしょっ」
「じゃあいらない」
「……は?」


短い一言と共に、白い封筒が私の手の中に戻ってきた。
封も開けられないままで。


いらないって、何言い出すんだろうコイツ。
そんで、なんで私に突っ返してくるんだろう。


「……何で私に渡すの」
が持ってたから。くれた人に返しといて、んでゴメンっつっといて」
「だからなんで私が……」
「だってが預かってきたんだろ。俺に渡してとか頼まれたんだろうけど、俺受け取る気ないから」
「ちょっ……違うってば、これは」
が書いたんじゃないならいらない、そんなもの」
「……何、言ってんの……」


頼まれた訳じゃないって、訂正しなくちゃいけないのに、言葉が出てこない。
とても予想外の言葉を聞いた気がするのに、何だかうまく頭が回らない。
私が書いた手紙じゃないならいらないって、言った。
どうして……?


「ダビ……」
「俺、どっちかってったら神経図太い方だって自覚はある、けど」
「は?」
「好きな奴に別な女との橋渡しされたら、流石にヘコむんだけど」
「……ちょっと、待って……」






俯いていた顔を上げたら、さっきよりももっと間近にダビデの顔があった。
いつもと同じ、真っ直ぐに見つめてくる鋭い瞳。
長い時間をかけてやっと喉の奥から押し出した声は、自分でも驚くくらい震えて掠れてた。


「……今、何て、言ったの……」
「好きな奴に別な女との橋渡しされたらヘコむって言った」
「……私のこと、からかっ」
「てない」


きっぱりした口調でダビデは私の言葉を遮って。
目を逸らすことを許さない強い眼差しで私の目をじっと見つめて、低い声で囁いた。






以外の女の気持ちなんかいらないから」
「……っ」
「だから、その手紙は返しといて」
「……がう」
「何?」


手の中の白い封筒をぎゅっとダビデの胸に押し付ける。


「橋渡し、頼まれた訳じゃないから」
「え?」
「私の下駄箱の中に、間違って入ってただけなの。私が頼まれた訳じゃないから、だから受け取ってあげて」
「……でも」
「お願い。受け取ってあげて。ちゃんと読んであげて。きっとすごく勇気出して書いたものだから」


名前も顔も知らない、私と同じでダビデを好きな女の子。
応えてあげてなんて言えない。私だってダビデが好きなんだから。
でも、きっと一生懸命気持ちを込めて書いたはずの手紙、目も通してもらえない、封を切ることさえしてもらえないなんて、そんなのは哀しすぎる。
その子は私のこんな気持ちを知ったら、そんなのは偽善だって言うかもしれないけど。
でも、それでも。


私の所為で誤解されて、ダビデに受け取ってもらえないまま消してしまう訳には、いかないの。
誰かが誰かを一生懸命想っている、その真摯な気持ちを。






ダビデはしばらく迷ってたけど、私の手の中からもう一度封筒を受け取って。
封を開けて白い封筒に綴られた文字にゆっくりと視線を走らせた。
私はじっと立ち尽くして、ダビデが読み終えるまで何も言わずに待ってた。
読み終えたダビデは、便箋を折り目に沿って丁寧にたたんで封筒に閉まって、それをそっと肩に担いだテニスバッグに入れた。


「……読んだ」
「うん、ありがとう」
「次はが俺の頼み聞いてくれる?」
「何……?」
の気持ち、教えて。俺のことどう思ってるのか」
「……わかった」


頷いて、顔を上げて、真っ直ぐにダビデを見つめて。
私はゆっくり唇を動かした。
今までずっと言えなかった、たった一言を告げるために。






ねぇダビデ。私は、ずるいね。
ダビデの気持ちがわかった今、こんな形で自分の気持ちを言葉にする私はとてもずるい。
でも言わないで逃げてしまうのは、きっともっとずるいことだと思うから。
だから勇気を出そう。


それはきっと、あの手紙の子が使った勇気の十分の一にも満たない、ささやかでちっぽけな勇気だけれど。











「私も、ずっと好きだったの」






















PCクラッシュ→ネット落ちで時間がなかった上、ネタ(話のネタそのものというより、いかにして東京在住の逆ハーヒロインと千葉在住の六角メンバーを逢わせるか/笑)が思い浮かばず、誕生日夢を書くのは断念したんですが、何とか時間が出来たのでお題でダビデでした。
ダビデの普段の口調って今ひとつよくわからない……ダジャレがないとダビデってわかんない気がしますね。(笑)