暗い色の空がゆっくりと漂白されていく、その時間に。

月が白く色褪せて、一秒ごとに影が濃くなっていく、この時間に。

君と。


























深夜と言うより明け方に近い時間帯、コンビニを出てぼんやりと歩いていたら、声を聞いた。


「――――――」


どこか艶めいた聞き覚えのあるその声は、数メートル先でガードレールに寄りかかるようにして立っている人影から発せられたものだった。
夜風に銀色の髪がさらさらと揺れた。



「……仁王?」
「やっと気付きおった」


街灯の光と月明かりに照らされてにっと笑って立ち上がって。
ゆっくりとこっちに向かって歩いてくる、その動きはゆっくりなのにしなやかで隙がない。
ジーンズのポケットに指を引っ掛けて、ふらりと私の前までやって来た。
どうして彼がここにいるんだろう、と疑問を抱きながら身体全体で彼の方に振り向く。
仁王は目に被さった前髪の隙間からじっと私を見て。


「こんな夜中に何しとんの?」
「……この通り買い物だけど」
「ほうか」
「仁王は何してんの」
「見ての通り、夜遊び」


悪びれない様子でしれっとそんなこと言って。
長い前髪が風にさらわれて、一瞬その下の目が露になる。
切れ長の目に感じる鋭さは、今は街灯の光を映して不思議な柔らかさに変わっていた。


「真田にバレたらやばいんじゃない?」


仁王の所属してるテニス部の副部長の名前。
別に意地悪とか嫌味のつもりじゃなくて、自然と口をついて出た。
同い年とは思えない、古風で硬くて融通のきかなそうな彼が、夜遊びなんて許すとは思えない。
仁王はちょっとだけ目を瞠って、それからまた、にっと笑った。


「そうやのう」


何が面白いのか、楽しげにうっすら笑う。
その笑顔を見て、ふと。
仁王って猫みたい、と思った。
月明かりで染めたみたいな銀色の毛並みの、猫。


長い人差し指をぴっと立てて、形のよい唇にそっと当てる、その仕草は、しなやかで綺麗で。
ひどく蠱惑的だった。


「―――内緒ちゅうことで、ひとつよろしく」


あんまり深刻さを感じさせない、笑い含みの声が言う。
内緒、と言いながら、でも別にばらされても構わないとでも思っているような。
冗談めかして、大したことではないと言うように。
低く抑えたその囁きが耳に忍び込んで、背筋をぞくりと震わせる。
でもそれは一瞬のことで、仁王はすぐに表情を改めて人懐こい感じのする笑顔になった。


「口止め料にコーヒーでも飲まん?」
「……安い」
「お前さんだって、こんな時間に一人で出歩いとるんが知れたらやばかろう?」
「そんなことないと思うけど」
「その自信の根拠はなんなんやろね」


何でか妙に楽しげに笑う仁王の目の前に、今さっき出てきたばかりのコンビニの袋を突き出す。
中にはノートが二冊、シャーペンの替え芯に蛍光のラインマーカー、眠気覚まし用のブラックガム。
そのラインナップを見て、仁王は降参とでも言うように両手を肩の辺りへ挙げてみせた。


「勉強熱心なことで」
「誰もが夜遊びしてる訳じゃないんですよ、仁王君」
「失礼致しました。―――は何がよかかね?」
「え?」
「コーヒー。自販機で勘弁してな、この時間まで空いとるコーヒーショップはこの辺にはないんで」
「……じゃあ、カフェオレ」


まさか本当に奢ってくれるとは思ってなかったので、少し面食らいつつ、そう答えた。
ジーンズの後ろポケットから薄い財布を引っ張り出した仁王は、すぐ傍にあった自販機にふらりと近寄って、取り出したコインを飲み込ませる。
ガシャンガシャンと音をたてて落ちてきた小さなスチール缶を手に私のところまで戻ってくると、冷えたカフェオレの缶の水滴をシャツの裾で軽く拭ってから私に放って寄越す。
お礼を言って受け止めた缶のプルタブを引き起こしながら、自分の分に口をつけた仁王の横顔をそっと仰ぎ見る。
何処かビスクドールを髣髴とさせる整った綺麗な顔は、月明かりを映していつもより更に蒼白く、闇に溶けてしまいそうに透きとおって見えた。











「ごちそうさまでした」
「どう致しまして」


ぽつぽつとあたりさわりのない会話をしながら、190mlのスチール缶を空にして。
空き缶をゴミ箱に放り込んでから、私はじゃあまた学校でね、と型どおりの挨拶をして家に向かって歩き出そうとした。
腕を掴まれたのはじゃあ、まで言った時。
テニスプレイヤーと言うよりはピアニストみたいな、長くて骨ばった指が手首に絡まる。
振り返った私が問うよりも早く、仁王はさっきと同じ笑みをうっすらと口元に浮かべて言った。


「家まで送っちゃる」
「え、いいよ、別に。すぐそこだし」
「男としては女の子を一人で帰す訳にはいかんぜよ」
「……仁王が柳生君みたいなこと言ってる……」
「俺も柳生に負けんくらい紳士だと思うんやがのう」
「似合わない……」
もなかなかキツいな。まぁとにかく遠慮せんと人の厚意には甘えときんしゃい」


そんなやり取りの間も、仁王の手は私の腕をしっかりと繋ぎ止めたままで。
会話の雰囲気に流されて、結局そのまま並んで歩き出した。
うちのマンションまでは徒歩五分ほど。
人気のない住宅地の路地を二人並んでのんびり歩く。
仁王の動きはやっぱりとてもしなやかで、全くと言っていいほど足音をたてない。
そんなところからやっぱり猫を連想して、私はふと笑みを零した。


「―――、何考えとんの」


本当に微かな笑みだったのに、仁王は目敏く気付いて私の顔を覗き込んだ。
色素の薄い淡い色の瞳が、月明かりの下で妖しく金色に煌いて見える。
それがますます猫のようだと思いながら、私は仁王の目を見返した。


「仁王は猫みたいだなぁと思って」
「猫?」
「そう、銀色の毛並みの猫。動きがしなやかで軽やかで隙がなくって」
「なかなか洒落た例え方やのう」
「そうかな?」


思ったことを口に出しただけのつもりだったから、そんなふうに言われて少し驚いた。
仁王は小さく頷いて、ほうか猫か、と楽しげに呟いた。
その時マンションのエントランスが見えて、私は足を止めた。


「ここでいいよ、ありがとね」
「ドウイタシマシテ?」


おどけた口調で仁王が言う。
今日二度目のその台詞に私はちょっと笑って、さっき買ったブラックガムを袋から取り出すと、その場で包みを破いて一粒を仁王に差し出した。


「帰り道、寝ちゃわないようにね」
「道っ端で寝たりせんよ」
「猫じゃないし?」
「ははは」


小さく声をあげて仁王は笑って、いただきますとガムを手に取った。
銀紙を広げて灰色の小さな粒を唇の間に押し込む。
ちらりと見えた舌の赤さに一瞬胸がどきりと鳴った。
じっと見つめてくる眼差しに、急に高鳴った胸の鼓動を見透かされているような気分になって、思わず視線を逸らして。
会話のネタを探して必死に頭をフル回転させた時、ふと引っ掛かったこと。


「……ねぇ、仁王って、さ」
「……何?」
「家、こっちの方じゃなかった、よね?」


記憶の片隅にある、クラス名簿の住所欄。
仁王の家は、うちのマンションからはかなり離れたところだったのに。


「何で、あそこにいたの?」
「……何でやろうのう」


からかうように呟いた仁王の唇にうっすらと浮かんだ笑みが、身体と心をぞくりと震わせた。


金色の瞳が艶っぽく煌いて私を捕らえた。
赤い舌がちろりと唇を舐めて。


に会いたかったからじゃて言うたら、信じるか?」
「……私?」
「そう」


ジーンズのポケットに片手を突っ込んで、もう片方の手で前髪をかき上げて。
うっすらと白み始めた空をゆっくりと振り仰いで。
どこまで本気なのかわからない、いつもと同じ何処か飄々とした口調で、ぽつりと言った。


「月を見とったら、無性にの顔が見とうなった」
「……ふうん」
「時間が時間やったし顔は見れんやろうけど、行けるだけ近くに行ってみるかと思っての」
「…………」
「ちゅう訳で目的は果たせたし、帰るわ」
「……うん」
「また、学校でな」


最後の表情はよく見えなかった。
ひらりと手を振って私に背を向けて、仁王は歩き出す。
足音を立てず、しなやかに、軽やかに。
夜が明ける直前の、より濃い闇に溶けて消えた。











部屋に戻って、買ってきた新しいノートを机の上に広げる。
やりかけの問題集に視線を落としはしたものの、頭はぼんやりしていて、うまく動かなかった。
どのくらいぼうっとしていただろうか。
ふとブラインド越しに微かな光を感じて、隙間から外を見る。
白んでく空と、光を失って色褪せていく月を見ていたら、ふと仁王の背中が脳裏に浮かんだ。
思い出した瞬間、何だかすごく、仁王に会いたくなった。
ただひたすらに会いたかった。


……仁王もこんな気持ちだったのかな。
明るくなっていく空を見つめながら、今日学校で会ったら訊いてみようと思った。






















いろんな意味で支離滅裂。
て言うか、どなたか仁王語変換CGI 作って下さい、マジで。

05/08/21UP