―――この腕に君を抱きしめてすべてから守れたなら。
抱きしめたい
もうすぐ、日が沈む。
誰もいない薄暗いテニスコートを見下ろせる、ギャラリーの片隅に。
ぽつんと立っているのは、あたしの好きなひと。
「……ししど」
声を掛けて、数メートルの距離をゆっくりと縮める。
振り返らない背中は、いつもよりずっと小さく頼りなく見えて、あたしは唐突に泣き出したくなった。
「宍戸……」
「…………」
「ししど?」
「…………」
時間をかけてゆっくりと進んだ先、手を伸ばしたら宍戸の背中に触れられるところまで来て、もう一度名前を読んだら。
前触れもなく、宍戸の背中が震えた。
それから、不意に。
がつんとコンクリートの壁を殴りつける、痛い音。
ガンガンと何度も響きわたる鈍い音が鼓膜に突き刺さる。
「ししどっ……」
「……っくしょ……」
その声は。
拳でコンクリートを殴りつけるその音よりも、ずっとずっと痛々しく。
「ちっくしょぅっ……!」
「宍戸、ししどやめてよ……」
「何で……何でここで終わらなきゃなんねーんだ!」
終わり。
そう、終わってしまったの。
数時間前の試合の余韻も、もうコートには残ってないけれど。
氷帝学園の夏は。
―――もう終わってしまったよ。
がつり、とひときわ大きい音がコンクリの壁で鳴って。
セピア色の風景に鮮やかな赤い色が散った。
「ししどっ!」
「ちきしょぉっ!」
必死に腕を伸ばして、赤く染まった宍戸の手にしがみつく。
それはすぐに振り払われて、その時耳元で響いた声が。
―――あたしの身体を、凍りつかせた。
「俺は、俺はまだ、もっと上に行ける……行けんだよ……!!」
―――ああ。
どうしてあたしはこんなにも無力で。
こんなにそばにいるのに、君の力になれないの。
ぽたりと落ちた雫が、コンクリートの地面に小さな黒いしみを作る。
宍戸は振り返らない。
背中を向けたまま、長い長い沈黙の後、ぽつりと小さく呟くように。
「……」
低く掠れたその声で、今日初めて、あたしの名前を呼んで。
「ひとりにしてくれ」
静かに、あたしを拒絶した。
本当は。出来ることなら。
―――この腕を伸ばして、宍戸を強く抱きしめたかった。
抱きしめたかった。
だけど。
「」
「…………」
「今はお前の顔、見れねぇ」
「…………」
「ごめんな」
薄闇の中遠ざかっていくひとりぽっちの背中が、涙で霞んで。
あたしは自分の弱さに、静かに泣いた。
涙を見せない、そんな強がりの君を。
―――この腕の中に抱きしめて、何もかもから守れたなら良かったのに。
・・・・・・・・・・あとがき?・・・・・・・・・・
だからあたしは何が書きたかったのかと一頻り自問自答(そして答えは出ない)。
悲恋を書くつもりはないのに、気がつくと悲恋一歩手前?みたいなものばっかり書いている気がする今日この頃です。
明るい話書くぞ週間みたいなのを設けてみようかと真剣に検討中。