スケジュール帳に挿んだままの一枚の写真。
明らかに隠れて撮りましたって感じの、ピンボケで端の方に壁とかもばっちり映ってる写真。
それでもずっと手放せないままの、それは大切な大切なたった一枚だけの。
















盗撮











「―――先輩!」


その声は本当に唐突に、すぐ後ろで響いた。
反射的に振り向いた私の視界の中、笑顔で駆け寄ってくる背の高い男の子。
その優しそうで人懐っこい笑顔は半年前と同じで、でも元々高い位置にあった目線は記憶に残るそれよりも更に高くなっていた。
私の前まで来て立ち止まってその子は軽く深呼吸して息を整える。
一緒に歩いていた友達の存在も忘れて、私は呆然とその顔を見上げた。


「……ちょ、たろ……?」
「やっぱり先輩だ、後ろ姿でそうじゃないかと思ったんですよ!お久しぶりです!」


突然すぎる再会に声も出ない私の顔を、長太郎は心配そうに覗き込んできた。


「先輩?」
「えっ?あ、ご、ごめん、何?」
「どうしたんですか?ああ、驚きました?俺もですよ、まさかこんなとこで会えるなんて思ってなかったから」
「そう、だね……ホントびっくり……」
「先輩の卒業式以来ですよね」


まだどこか夢見心地のまま頷く私の袖を、誰かが横から引っ張った。
一緒にいた大学の友達が、興味津々といった風情で私の顔と長太郎を交互に見比べていた。


「なーに、この子?の友達?」
「あ、うん。えーと高校の部活の後輩でね」
「へぇー!」
「いきなりお邪魔してすいません。鳳といいます」


不躾な視線を送る友達に、丁寧に頭を下げて名乗る。
相変わらず礼儀正しい子だなぁ……。
感心しかけて、はたと我に返る。


「ごめん長太郎。せっかく声掛けてもらったのに悪いんだけど、あのさ……」
「……あ、これから何か用事なんですね。俺の方こそすいません、先輩に会えて嬉しくて、つい」
「……うん、じゃあまた今度」
「やだ、せっかく久しぶりに会ったんでしょ、こっちはいいからお茶でも飲みに行きなよ」
「え!?」


その提案に自分でも驚くほど大きな声で叫んでしまって。
しまったと思って友達の顔を見たら、明らかに面白がってる顔になってた。
おろおろしてる私の肩をがっしり掴んで耳元に囁く。


「うまくいったら何か奢りなさいよねっ」
「ちょっ……違うってば!」
「じゃあえーっと、鳳君?あと頼むわねー」
「あ、はい……」
「ちょっとーっ!」


掴んでいた肩をそのまま突き飛ばされてつんのめった私を、長太郎の腕が受け止める。
慌てて身体を起こして振り返ったら、友達はひらひら手を振りながら人ごみの向こうに消えるところだった。
……こんな時ばっかり素早いんだからっ……。
気まずい思いに駆られながら、視線を上げてそっと長太郎の顔を見る。
途端、じっとこっちを見下ろしていた眼差しを真正面から受け止めることになって。
瞬時にかっと頬が火照って顔が赤くなってくのが自分でもわかった。
でも長太郎はそれを指摘したりはしないで、優しい声音で。


「せっかくだし、どこか入りましょうか」
「……うん」


気の利いた言葉を返すも余裕もなく、ただ頷いただけの私の顔を見て。
長太郎は、なぜかとても嬉しそうに笑った。





















高校三年生の一年間。
私の好きだった相手は二つ下のテニス部の後輩だった。
皆が面倒くさがる雑用も嫌な顔一つしないで手伝ってくれていた背の高い優しい笑顔のその子に、いつの間にか恋をして。
でも二歳の年の差は私にはとても重くて、ただ見ているしか出来なくて。
結局何の進展もなく卒業した私の手元に残った彼の思い出は、友達に頼んで隠し撮りしてもらった一枚のピンボケの写真だけ。
テニス部の部員とマネージャー、先輩と後輩、そんなありきたりの関係を崩せないまま、何も言えずに見つめるだけで終わった、そんな恋だった。


まさか卒業して半年も経った今になって、こんなふうに再会するなんて思ってもみなかった。





















駅ビルの中にある小さな喫茶店に入ってダージリンとアメリカンを頼む。
やがて運ばれてきたアメリカンのカップを片手に、長太郎が最近の部の話をし始める。
懐かしい名前が次々に出てくる中で少しずつ緊張がほぐれて、いつの間にか私は自然に笑えていた。


「……そっか、皆頑張ってんだ。安心したぁ」
「今度暇な時にでも遊びに来て下さい、皆喜びますよ」
「うーん皆には会いたいけど、跡部には会いたくないわねー」
「そっか、先輩って跡部さんのこと苦手でしたっけ」
「苦手って言うか、徹底的に馬があわないのよ、あいつとは。無茶なことばっかり言うんだもん」
「樺地のこととかで跡部さんと真っ向からやりあってましたね、そう言えば」
「だって後輩を自分の従者扱いするなんて認める訳にはいかないじゃない……って言うか跡部の奴、相変わらずどこに行くにも樺地のこと付き従えてんの?」
「相変わらずですよ。樺地にとってもあれが当たり前みたいだから、仕方ないんじゃないかな」
「しょーがないわねー……」


頬杖をついて小さく溜息をついた私を見て、長太郎が困ったように微笑む。
微笑み返してダージリンのカップを手に取ろうとした時、傍らに置いたバッグの中で携帯電話が控えめに鳴った。


「ちょっとごめんね」
「はい」


カバンの奥から取り出そうとしたら、ラインストーンのストラップが内ポケットに引っ掛かった。
なかなか取れないそれを、無理やり引っ張る。
取れた、と思ったら、目的の携帯以外のものまでが一緒に鞄の中から飛び出て床に散らばった。


「あーやっちゃった……!」
「俺が拾っておきますよ。先輩は電話に出て下さい」
「あ、ありがと」


椅子を立って腰を屈めた長太郎にお礼を言いながら、床に散らばる小物にざっと視線を走らせる。
見られて困るものは落ちてない、よね……。
大丈夫だろうと安心して、携帯の通話ボタンを押した時。
長太郎のすぐ足元に落ちている一枚の紙切れが目に入って。
ドキッと心臓が大きくはねた。




あれは。
あの、写真は。




手の中の携帯が繋がっていることも忘れて。
男の子の割に節の目立たない長くてきれいな指が伸びてそっとそれを床から拾い上げるのを、私は止めることも出来ずにぼんやりと見つめていた。


怪訝な面持ちでそれを見つめていた長太郎の瞳が、少しだけ見開かれる。
ゆっくりと私の方に視線が向いて。
目があった瞬間すっと全身から力が抜けて、手の中の携帯が音をたてて床に落ちた。


ばれてしまった。
今更のように、こんな形で。
よりにもよって写真なんかで。しかも隠し撮りだとはっきりわかるようなもので。






「……先輩」


囁くように名前を呼ばれて。
自分でも驚くほど、全身が大きく震えた。
次に来る言葉を予想して、膝の上でぎゅっと両手を握り締める。
―――疑問?戸惑い?それとも非難の?
怖くて、怖くて。
俯いてかたく瞼を閉じた私の手に、不意に温かくて柔らかな何かが触れた。


「先輩」
「……なに」
「こっち向いて下さい」


優しい、優しい声。
促されるままにそっと瞼を上げると、正面に片膝をついてじっと私を見つめる長太郎の姿。
大きな手のひらで私の手を包み込んで、少し迷うように唇を震わせる。
……迷う?何に……?
些細な疑問が頭の隅をかすめたその瞬間、長太郎は意を決したようにきゅっと口元を引き締めた。


「―――俺は自惚れてもいいんでしょうか」
「え……」
「これ。……俺、ですよね」


床から拾い上げられてテーブルの上に置かれた写真。
そこに映る小さな人影は、ピントがずれてボケてはいても、誰かわからないほどではなくて。
どうにも誤魔化しようなんてなくて、私は小さく頷いた。
途端、長太郎はホッと小さく息をついて。


「驚いた……」
「……ごめん、ね」
「どうして謝るんですか?」
「だって」


隠し撮りの写真なんて、あんまりいい気持ちしないと思う。
増してそれが自分を撮ったものなら、尚更。
また俯いて呟いた私の手を包み込んだままの長太郎の手にそっと力がこめられて、私は驚いて顔を上げた。
その私の目の前で、長太郎は口元をほころばせて、とても嬉しそうに笑って。


次に彼が口にした言葉は。




「俺、ずっと先輩が好きでした」




そっと囁かれた言葉が耳に届いても、私は何も言えなかった。
まるで夢を見ているようで感覚が覚束無い。
呆然としている私に、長太郎は笑顔のままで同じ言葉を繰り返した。


「ずっと先輩が好きでした」
「嘘……」
「こんな時にそんな嘘つきませんよ。本当です、ずっと好きでした。今でも好きです」
「だって、そんな素振り、少しも……」
「それは先輩だってそうでしょう。それに俺、先輩よりも二歳も歳下で……何度も言おうと思ったけど、そのたびにどうしてもそれが引っ掛かって言い出せなかったんです」


それは私が気にしていたことと、同じ。
同じこと気にして、同じように言い出せないで。
私たち、なんて遠回りをしていたんだろう。


言葉が出ない私の前で、長太郎はちょっと写真に視線を転じてから、すぐにまた私に向き直って。


「だから嬉しいです、この写真。先輩が、俺の写真持っててくれたことが」
「…………」
「もう一度聞いていいですか?」
「何……?」
「俺は自惚れても、いいんですよね」


そう言って、触れたままの手にまた少し力をこめる。
真っ直ぐに見つめてくるその目を、もう怖いとは思わなかった。
同じように見つめ返して、まだ少し震える唇にそっと言葉を乗せた。




「―――今度、一緒に並んで写真撮って、くれる?」
「……はい」


長太郎は一瞬だけ目を見開いて、そして大きく頷いた。
写真の中のそれよりも、もっと優しい笑顔で。






















チョタの話を書くと実家の犬に会いたくなります。何故だ。