差し込む夕日で赤く染まった、誰もいない教室で。
主のいない席に座ってうつ伏せて、傷だらけの机にそっと頬を押し当てて眼を閉じている。


それはまるで一枚の絵のような風景。


























「おはよう、
「あ、おはよう佐伯君。今日も朝からお疲れ」


予鈴ギリギリに教室について、いつものように隣の席に声を掛ける。
朗らかな声で挨拶が返ってきて、同時に俺の机の上にころりとひとつ飴が転がった。
二、三分もあれば食べ終わっちまうような、小さな飴。黄色い包みのレモン味。


「サンキュ」
「どう致しまして」
ってホントに甘いもの好きだよね」
「まぁねー」
「太るんじゃない?」
「……そういうこと言う人にはもうあげない」
「ハハハ、冗談だって。ゴメンゴメン」


じろりと横目で睨んでくるの頭にぽんと手を置いてよしよしと撫でる。
俺が撫でたところを押さえて『そうやってすぐ子供扱いするしー!』とますますむくれるその顔はとても可愛かった。
同い年なのにおかしいかもしれないけど、見てると妹とかいたらこんな感じなのかなといつも思う。
いちいち反応が可愛くて、ついついチョッカイ出したくなるんだよな。
悪かったよってもう一度謝ったらは少しだけ俺を睨んでいたけど、やがて小さく溜息をついてもういいよと笑った。
その時。
廊下からバタバタとうるさい足音が聞こえてきて、勢いよくバネが教室に飛び込んできた。


「サエー!悪ィ、英和貸してくんねー!?」
「英和?俺今日持ってないよ」
「何ィ!?」
「昨日、課題やるのに家に持って帰った」
「マージーかーよー……」


思いっきり脱力してその場にしゃがみ込んだバネに、笑ってゴメンな、と謝る。


「や、サエの所為じゃねぇし」
「亮か樹ちゃんは?」
「二人ともアウト」


マジどーすっかなー、と頭を抱え込むバネを前に、俺はふと思いついて隣のを振り返った。
何故かさっきまでの笑顔は再び消えて、妙に表情の強張っているを怪訝に思いながらも声を掛ける。


は今日英和持ってる?」
「え?英和、辞書……?持ってるけど」
「悪いんだけど、コイツに貸してやってくれないかな?」
「え!?」
「ダメ?」
「あ、ううん、いいけど……」


いつも闊達なには珍しい、歯切れの悪い話し方。
どうかしたのかと訊く前に、は机の中からきちんとケースに入ってる英和辞書を取り出して、俺の方に差し出した。


「はい」
「―――サンキュ。ほらバネ、貸してくれるってさ」
「おっ、サンキュー!」


俺の手を経由して辞書はバネの手の中へ。
バネはしっかりとそれを掴むと、に向き直ってにかっと笑った。


「マジ助かったぜ、ありがとな!えーとだっけ?今度礼するからよ」
「えぇ!?い、いいよ!辞書貸したくらいで」
「仲介してやった俺にお礼は?」
「おう、今日の帰り何か奢る!じゃ、後で返しにくっから!サンキュな!」


来た時と同じようにバタバタとやかましく足音を響かせて、バネは廊下の向こうに消えた。
いつもながら賑やかな奴だなぁ。
とりあえずもう一回俺からも礼を言っとこうと思って振り返ったら、心なしか顔の赤いとばっちり目があった。


「……?」
「な、何?」
「……いや。ありがとな、辞書」
「うん……」
「せっかくだからしっかりお礼もらっとけよ」
「え、いいよそんな、悪いもの……辞書貸したくらいで」


―――違和感を感じた。
らしくない、今ひとつ語尾のはっきりしない話し方が、なんだか気に掛かった。
でも問いただそうにもどう言ったらいいのかわからなくて、二人して何となく黙りがちになってしまったところに絶妙のタイミングで予鈴が鳴って。
HRを始めるぞーと言いながら担任が教室に入ってきた。
俺はの方を気にしながら担任にばれないように口の中の小さなレモンキャンデーを噛み砕く。
甘酸っぱいはずの飴は、なんだか嫌な苦さを喉に残した。





















その日の放課後。
部活が終わって部室で着替えてる時に教室に忘れ物をしたことに気がついて、バネたちには先に帰ってていいからと言い残して一足先に部室を出た。
人気のない校舎の廊下を歩いていたら、3−Aの教室内から、かたんと小さな音が聞こえて。
何となく気になってそっと覗いたら、そこにいたのは何故かだった。


何やってんだ?他のクラスで……。
ああでも確か、A組の教室って美化委員の委員会で使ってたっけ。
は美化委員だし、委員会の関係で今まで残ってたってとこだろう。


そんなふうに考えながらドア越しにの姿を目で追う。
そろそろ帰らないと遅くなるぞって、声掛けてやった方がいいのかな。
でもなんだか声が掛け辛くて躊躇っていたら、はおもむろに窓際の席に腰を下ろして、その机にそっとうつ伏せた。


机の表面にそっと頬を押し当てて、は静かに目を閉じる。
白い顔が夕焼けの色を映して朱く染まって。
物音一つしないその空間は、なんだか一枚の絵のように綺麗で、踏み込んではいけない場所のように思えた。
俺は足音を立てないようにそっとドアの傍から離れて、自分の教室には向かわないでそのまま学校を後にした。











水平線の向こうに沈みかけている夕焼けをぼんやり見つめながら、いつもの海岸沿いの道を歩く。
やがていつもの場所で遊んでいる皆の姿が見えてきて、その中でも一際背の高い影が俺に気付いて大きく手を振り上げて笑った。


「おっせーぞ、サエー!」




―――バネ。


の伏せていたあの窓際の机。
―――あれは。


あれはバネの席。






パチンとパズルの最後の1ピースがはまったみたいに、俺の頭の中で今朝から感じてた違和感の正体がはっきりと形を成して。
ああそうか、そうだったんだと納得するのと同時に、胸の奥に鈍い痛みを覚えた。






―――は、バネのことが好きだったんだな。


そして俺は。

―――俺は。
















次の日の放課後、誰もいない3-Aの教室で、俺は傷だらけのバネの机にそっと手のひらを押し当ててみた。
昨日のの頬の温もりは、そこには欠片も残ってはいない。
それでも、もうない温みを確かめるように、何度も何度も俺は手のひらを押し当てて。


こんな形で自分の想いを自覚したくはなかったなと、ぼんやりと思った。





















・・・・・・・・・・ あとがき? ・・・・・・・・・・

もうなんていうかホントにごめんなさい。