か細い僅かな光でいい。

どうかあの人を優しく照らして。
















三日月











藍色に染まった空の下。
海は吸い込まれそうに黒く、波の音だけが静かに響く。
人口の灯りなどほとんど無い海岸沿いの道で立ち尽くしている私の耳に、波の音に紛れて砂を踏む音が聞こえてきて。
宵闇の中から現れたのは、ジャージ姿の背の高い人影。
色素の薄い柔らかな髪が、俯きがちの顔に更に深く影を落としていた。


私の存在に気付いて歩みを止めたその人影に、ゆっくりと近付く。
さくり、さくり、と砂を踏む音。
50pの距離まで近付いたところで足を止めたら。
いつもの彼らしくない、掠れた低い声が小さく響いて耳朶を打った。


「……何してるの」
「虎次郎君を迎えに来たの」


返る言葉は無く。
その代わりのようにさらりと柔らかそうな前髪が揺れて、背中を丸めた彼の額が私の左の肩に軽くぶつかった。
肩に感じる彼の体温。
吐息の温み。
そのまま彼は消え入るように呟く。
いつもの艶やかな声とは違う、乾き掠れてひび割れた、声。


「……俺、負けちゃった」
「……そう」
「皆、応援してくれてたのに」
「…………」
「全然、力が、足りなかった」


言葉の最後は微かに震えて消えた。


返す言葉なんて一つも思いつかない。
何を言っても慰めにはならない気がして。
言葉の代わりに、だらりと下げたままだった両方の腕をゆっくり持ち上げて、脆い硝子細工に触れるようにそっと、彼の背中に回した。
広い背中を撫でたら、目の前のジャージの肩が大きく震えて。
音をたててテニスバッグが肩からすべり落ちて、二本の腕が私の身体に回されて。
強い力が私の身体を束縛した。
いつの間にか私を追い越して見下ろしていた身長。男の子らしい広い肩。大きな背中。
なのに何で。






どうしてこんなにも。
たよりなく小さく感じてしまうの。
昔、もうずっとずっと昔の。
小さな子供の頃の彼、そのままに。






彼が顔を伏せたままの肩口に、微かな熱を感じた。
熱い雫。
―――涙。


「……ごめん、


私の名前を呼ぶ低い声が、胸の奥に小さな灯を灯す。
―――ねぇ、いつからだった?
私のことを名前で呼ぶようになったのは。


幼馴染の小さな男の子。
私のことをお姉ちゃんと呼ばなくなったのは。
そうして『』と名前を呼ばれるたびに、胸の奥に小さな痛みを感じるようになったのは。


―――いつから?






さらさらと。
潮風に揺らされた彼の髪が私の頬を撫でる。
抱きしめる腕の力は緩まない。


』と。
もう一度、彼の声が私の名前を呼んだ。






「もう少しだけ、このまま―――」






このままでいてと。
言われた言葉に、無言で背中に回した手のひらに力を込める。
微かにまた彼の肩が震えた。


声を、押し殺して。
……彼は少しだけ、泣いた。











彼の肩越しに見上げた藍色の夜空に。
細い細い銀の三日月。


いつもはたよりなく感じるその銀の光に。
今日だけ私は感謝する。
今の彼を照らすには、満月の光は強すぎるから。


そのか細い三日月の光のように、優しく彼を包むように。
私はまた少しだけ、抱きしめる腕に力を込めた。






















本誌ネタバレ読んで、感情のままに書き上げた話。
日記で散々言ったので、これ以上語る言葉はない。ただ哀しい。
ネット復活後リニューアルが済んでからUPしようかとも思ったんですけど、今UPしなくちゃ意味が無いものに思えたので……ネット落ちする前に急ぎUP。
ヒロインは二十代前半くらいのつもりで書いてます。

05/01/13up