ほんのりと。温かく。

貴方の言葉は、仄かに輝く灯火のように優しくて。

消し去れずにいた喪失の痛みを、ゆっくりと癒してくれた。


























「―――本日の報告は以上です」
「ああ、ありがとう」


やわらかく流れる空気の中、窓の外に注がれていた眼差しがふっと動いて。
真白の髪の下の穏やかな瞳が私を見つめて優しく笑った。


「いつもいつも悪いなぁ、本来なら俺がやらなきゃいかんことなんだが」
「大丈夫です!隊長はとにかく御自分の御身体のことを一番に考えて下さい!」
「……さすがの俺でも事務仕事くらいで身体は壊さないぞ」
「そんなこと言って、先日徹夜なさって熱を出されたばかりじゃないですか……」


ぽつりと呟いた私の顔を見て、浮竹隊長はしまった藪蛇、とばかりに軽く顔を顰めた。
私よりもずっと年上の男の人なのに、こんな風に時折見せる表情はどこか少年めいていて、失礼かもしれないけれど可愛らしいとさえ思ってしまう。
でもそれを表に出すのは失礼だからと、私は緩みそうになる表情を引き締めた。


「では私はこれで失礼します。また明日、同時刻にご報告に参りますので」
「何だ、もう帰るのか?」
「まだ仕事が残っておりますから」
「相変わらず真面目だなぁ。お前の処理能力ならそんな必死で働かなくても十分対処出来ているだろ。たまには早めに職務を終えてノンビリしたらどうだ」
「早めにって……それってつまりサボリじゃないですか」
「うん?まぁそうとも言うか」


あっはっはっはっは、と軽い調子で笑う浮竹隊長にどう答えればいいものか戸惑う。
書類の束を抱えて隊首室の入り口で立ち尽くした私に、浮竹隊長は穏やかな笑みを浮かべて、まるで子供にするようにおいでおいでと手招きをした。


「この間清音が買ってきてくれた菓子があるんだ。たまには一緒に茶でも飲もう」
「は……」
の好きな抹茶入り玄米茶もあるぞ。あ、そこの円座使ってくれな」
「…………」


呆然とする私を尻目に、浮竹隊長は実に楽しげに鼻歌なんか歌いながらお茶を入れ始めて。
隊長お手ずから入れて下さったお茶をいただかない訳にもいかず、私はその日初めて、隊長公認で仕事をサボることになった。





















堂内に焚かれた薬香の香りと玄米の香り。
どちらも普段は気持ちを落ち着かせてくれる大好きな香りのはずなのに、今は全くその効果がない。
湯飲みを手にそわそわと落ち着かない私を見て、浮竹隊長は面白そうに言った。


「そんなに緊張してたら、味なんかわからないんじゃないか?」
「……いえ、そんなことは」
「俺がいいと言ったんだから、気にせずにゆっくり寛いでいけよ」
「はぁ……」
「誰かとこうやって茶を飲むのも久しぶりだよ。前はよく仙太郎や清音が付き合ってくれたんだけどな、あいつらも今は何かと忙しいからなぁ」
「…………」


今、うちの隊は副隊長がいないから、その分の仕事は全て第三席以下の席官たちに割り振られる。
席官の最上位に位置する第三席の二人は、その仕事の割り振りそのものや隊長の代わりに隊をまとめたりもしなくてはいけないから、他の席官たち以上に忙しくなってしまうのは仕方のないこと。
第三席の片割れである清音とは真央霊術院時代からの友達だけれど、あまりに忙しい為に私も最近はあんまり顔を合わせていなかった。
そんな状態になって大分経つのに、隊員たちの中から新しい副隊長を任命して欲しい、と言う声は今まで全くと言っていいほど聞かれない。
副隊長の座は空のまま、十三番隊は機能し続けている。
まるでそれが当たり前のことのように。


にもかなり負担をかけているし、本当にすまん」
「負担だなんて。全然そんなことはないです」
「しかし、お前も色々きつかっただろう」
「え……」
「……海燕が死んだ後。随分とショックを受けていただろう?」


その名前を聞いた瞬間。
周りの音という音、光という光が一瞬にして消えたような、そんな感覚に襲われた。




―――海燕、副隊長。











誰に対しても明るくおおらかで、いつも屈託なく笑いかけてくれた、優しい黒髪の死神。
今まで生きてきた月日の中で誰よりも愛した人。
それは恋というよりも、憧れに近いものだったように思う。
出逢った時にはもう既に奥様がいらしたけれど、不思議なことに嫉妬心など欠片も感じなかった。
優しく聡明な女性だった。私にもとても優しくしてくれた。
姉様と呼んで慕い、懐いていた。彼と同じくらい大好きだった。
彼を取り巻く全てのものが愛しくて、ただ傍にいられれば、もう他には何も望まなかった。
彼と一緒の戦いの中に身を置いていることさえ最上の幸せに思えた。


―――なのに。
姉様は虚に殺され、そして彼も、死んだ。


私は何も、出来なかった。











「……


優しい声に名前を呼ばれて、はっと我に返る。
その瞬間、涙が一粒頬をすべり落ちて、死覇装の膝に小さな染みを作った。


「―――す、すみま、せ」
「海燕が死んだ時、お前は泣いてなかっただろう」
「……私……」
「あんまりショックが強すぎて泣けなかったんだな。海燕のこともあいつの嫁さんのことも好きだったから」
「―――」




あれからもうどのくらいの時が過ぎたのか。
あの時、立て続けに知らされた二人の死の事実を受け止めることが出来ず、呆然と日々を過ごし。
気がついた頃には、周りは日常を取り戻してしまっていた。
海燕副隊長と姉様だけがいない。二人の笑顔も温もりも、どこにもない。
それでも時は否応なしに流れて、日々の流れに追い立てられるように私も日常に戻った。
今更のように二人の死を悼んで嘆くことも出来ず、だけど二人のことを忘れることも出来ずに。
心のどこかで何かが動きを止めたような、そんな状態のまま、日々を過ごして。


―――なのにどうして、何で今になって、私は泣いているんだろう。




温かくて、大きな手のひらが、すっと視界を過ぎって。
包み込むように私の頬に触れて、指先がそっと涙を拭い去る。
視線を上げれば、そこには。
優しく、哀しげに微笑む、浮竹隊長の顔があった。


「た……」
「―――あの時、海燕が死んだ時」


少し俯いた浮竹隊長の真っ白い髪が、さらりと揺れて滑り落ちて僅かに表情を隠す。
淡々とした声に変化はなく、ただ、頬に触れた手はとても温かった。


「俺は朽木ばかり気にかけていて、お前のことに気を回してやれなくて。すまなかったな」
「……隊長?」
「気がついたら何もかもが終わっていて、泣くに泣けなかったんだろう?」
「…………」
「だけどなぁ、。哀しいことがあった時は泣かなけりゃ、いつまでも傷は癒えないよ」


さらさら、真白の髪が揺れて。
温かな吐息が鼻先に触れるほどすぐ間近で、浮竹隊長は私の目を覗き込んで囁いた。
この上なく優しい、声。


「どれほど時間が経とうが気にすることはないさ。哀しいなら泣いていいんだよ」
「……っ」
「ずっと張り詰めっぱなしじゃあ、いつか心が壊れてしまうぞ」


泣いていいんだよと。
繰り返し囁く声と、頬を包み込む手のひらと、覗き込む眼差しの優しさに、胸の奥で凍りついていた想いがゆるゆると解けて。
堰を切ったように一気に涙が溢れた。
まるで小さな子供のようにボロボロ涙をこぼして、何度も何度もしゃくりあげて。
今までの分を取り戻すかのように、泣いて泣いて泣き続けた。


そして浮竹隊長は。
もう何も言わずに、泣き続ける私の傍にいてくれた。

そしてやがて泣き疲れた私が深い眠りにおちるまで、ずっと。






















えー……大変中途半端な終わり方ですいません。
続編書こうと思ってたんですが、諸事情によりこれで終わり……
浮竹隊長が激しく似非くさい点については突っ込まないでもらえると嬉しいです。以上!

05/02/24up