Gospel message
星野富弘
さんの作品の中にこのような詩があります。
いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった
星野さんは24歳の時にクラブ活動の指導中、首の骨を折るという大怪我をし、
手足が動かない身体になってしまいました。
首から下が麻痺し、治る見込みもないという残酷な事実を突きつけられた星野さんは
「こんな自分が生きていていいのか?」
と絶望の中で悩み続けたそうです。
そんな中、大学時代の先輩を通して聖書のことばに出会います。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。」
( 聖書 マタイによる福音書 11章28節 )
もともと宗教嫌いの星野さんでしたが、
しだいに神さまはいるんじゃないかなという気持ちが芽生え、
そしてついに聖書の神さまを信じる決心をし、クリスチャンとなったのです。
今、星野さんは、口に筆をくわえて描く作品によって、
多くの人々に「生きることのすばらしさ」、「生きる勇気」を与えています。
以下、星野さんのことばの抜粋です。
「(キリスト教信仰を持ってからは)なんていうか、気持ちが大きくなったというか、
楽になりました。友達にもらった聖書を読んだり、牧師の話しを聞くうち、
「こういう自分でも生きていていいんだな。
生きて立派なことをする、いい仕事をする、そういうことが人間にとって
いちばん大事なことではなくて、とにかくこの世に生を受けて生き続ける、
それを神さまに感謝して生きる、そのことが非常に大事なことなんだ。
生きていること自体が、不思議で有り難いことなんだから」
と思えるようになりました。」
(「花のように生かされて」より抜粋)
私たちは、何か立派なことをして人から認められ、
社会の競争に勝利していくことが人生の成功であり、
目的であると思いやすいですが、
そういった世の中の言う人生の成功(星野さんのことばを借りるなら「いのち」)より、
もっと大切なものがあるのです。
それは、私たちを愛しておられる天の父なる神さまを知り、
このお方とつながることです。
群馬の生んだ偉大な教育者、新島襄は、
「初めに神が天と地を創造した。」
という聖書のことばに出会い、
天の父なる神さまを信じるに至ったといわれますが、
その神さまは私たちにいのちを与えて下さったお方ですから、
私たちを愛する子として思っておられるのです。
ですが、私たち人間はというと、
利己心、争い、憎しみ、ねたみ、偽り、汚れた思いといった罪の心にまみれ、
神さまから遠く離れた生活をしているのです。
だから、父なる神さまはそんな私たち人間と
いのちの関係を回復するために、
神のひとり子イエス・キリストをこの世に与えて下さいました。
(この救い主イエス様の誕生を感謝し祝うのがクリスマスです。)
「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、
世(あなた)を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
( 聖書 ヨハネによる福音書 3章16節 )
私たちが当然受けるべき罪の刑罰を、
イエス・キリストは十字架の上で身代わりとなって受けて下さいました。
ですから、このお方のゆえに、
「ごめんなさい。ありがとうございます。」という心を持って、
ただイエス・キリストを信じ受け入れるだけで、
私たちのすべての罪(心の汚れ)は赦され、
神さまとしっかりつながることが出来ると聖書は約束しています。
あなたも神さまとつながり、日々神さまに感謝して生きる人生を始めませんか?
天の父なる神さまの祝福があなたの人生に豊かにありますように!
*「星野富弘(ほしのとみひろ)」
群馬県みどり市出身、桐生市在住の詩画作家。
2006年6月には群馬県より名誉県民の称号が贈られる。
長年に渡り優れた詩画の創作活動を続け、
その口にくわえた筆によって生み出される作品は、
多くの人々に生命の尊さを伝え、
深い感動と生きる勇気を与え続けています。
群馬県みどり市には星野さんの作品が展示されている
「星野富弘美術館」
があります。
*「新島襄(にいじまじょう)」
明治の六大教育家のひとり。
同志社英学校(現同志社大学)の創始者。
教育者であると共に、宣教師であり牧師でもあった。
群馬県安中出身の新島襄は、上毛かるたの中で
「平和の使い新島襄」
と紹介されている。
☆京浜キリスト教会 尾島チャペル☆
(群馬県太田市の南部にある教会)
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