新世紀をむかえた、2001年8月6日。今年もまた、広島市の原爆ドームのほとりを流れる元安川の川面の闇に、鎮魂の祈りがこめられた灯籠たちが、あわやかな光の流れをつむぎます。
 それは、愛という、ほのかな光を宿す織物をつむごうとして、はたせなかった命たちの、哀しい祈りを映し出してやまない光景です。
 映画『鏡の女たち』の最初の撮影は、ここから始められました。

 20世紀の人類は…、いや、あえて言うなら20世紀の男たちは、国境をこえて戦いあった。そして、ささやかな幸せを願う女たちがつむぐ愛の織物を、引き裂き、踏みにじって顧みない時代をもたらしたのではなかったか?戦争に傷つけられるのは、国境をこえて、どんな時代も、女たちの愛の塊だったのではないのか?そんな男たちのおろかさの象徴が、例えば、原爆ではなかったのか?
 闇に浮かぶ光に、ふと、そんな思いが浮かび上がってまいります。
 しかし吉田喜重監督は、本作品を、平和への祈りをこめながらも、家族の絆を求めて心さまよわせる女性たちのホームドラマとして描きました。それは−、
「被爆者でない自分に原爆を描く権利はない。」という映画人、吉田。「戦争体験者として、原爆を描く義務がある。」といういまひとりの人間、吉田。この両者の、長い歳月をようした葛藤の、それが結論であったからなのです。
 この映画の主人公「愛」という女性は、広島で被爆した夫との間に娘を生みます。しかし夫の死語、そのことを伏せたため、その娘は失踪してしまいます。それから28年後、果たして自分の娘かどうかはっきりわからない記憶喪失の女性と出会います。彼女は迷いながらも、しかし、もう一度家族を取り戻そうとする物語です。
 20世紀は破壊の時代でした。しかし、それでもなお、私たちは破壊の時代を乗りこえて生きてきました。
 では、いったい何の力が、私たちをそうさせてきたのか?
「それは女性の持っている聖なる力。」
「子を生む性の、無償の母性の行為。」
 女性たちの、そんな不可思議な本能の力のおかげではないのか?



 そのような考えに至ったとき、吉田監督ははじめて本映画の製作を決意したのです。日本を代表する映画監督吉田喜重は、寡作の作家です。しかし、それは彼が映画芸術の未来に対し、誠実な姿勢を貫いてきたことの、何よりの証であるのかもしれません。
 映画とは、ドラマという虚構世界を、闇と静寂の中におかれた受け身の観客に、光と音の情報として、一方的に発信するメディアです。つまり映画館の間を、作り手側の情報だけが、支配する訳です。だから映画には、ときにはまやかしの虚構に終わる危険性も潜んでいるかもしれません。だからこそ、映画表現者として、吉田喜重は、何よりも、映画と観客とが、五分五分の、対等な関係を築くことに意を尽くし、映像が、観客の想像力を喚起するものでありたいと考えてきました。虚像にすぎない映像も、観客という生きた人間の体温を伴う想像力と融合しあえば、生きた映像となりうるからです。そのためには、制作者側が一方的に意味を押しつける「見せる映画」ではなく、観客に「見られている」映画であることで、お互いに、「見返し合う」関係を生み出す、そんな双方向関係を築く映画であることです。愛し合い、憎しみあう感情の相互関係から実人生の価値も生まれます。そのような関係を築き得るとすれば、映画もまた、つかのまの映画でなく、10年後も20年後も観客に新しく読みとられる映画。またその時代だけでなく、未来に生まれるであろう新しい観客に向けても発信できる、そんなメディアとなりうるのではないでしょうか?


 東京都下の閑静な住宅街。彼方に望める高級マンションの風景が、この辺りにも都市化が進んでいることを物語っている。
古びた一軒の家から、一人の女性が現れ、夏の終わりを思わせる日差しの中、白い日傘を差して、足早に歩みはじめる。
 川瀬愛(岡田茉莉子)である。愛は大学病院の医師であった亡き夫、川瀬信二と、娘の美和と三人で暮らしてきた。
 しかし、美和は20歳の時家出する。そして4年後、帰ってきた美和は、女の赤ん坊を産むと、夏来と名付けて、再び失踪する。
 ただ母子手帳だけを持って−


 それから24年、愛は孫娘の夏来(一色紗英)を育てながら、月に一度、市役所の戸籍係を訪ね、美和を捜しつづける。そして今日、娘の美和の母子手帳を持った女性が現れたと連絡があり、愛は、元戸籍係だった郷田恭平(室田日出男)と共に市役所に駆けつける。ところがその女性は、幼女誘拐の常習犯として、警察に拘留されているという。
 取調中を理由に、愛は面会を断られるが、その女性が尾上正子という名の、記憶喪失者であることを知る。自宅に戻った愛は、アメリカにいる孫娘、夏来に電話をかけ、すぐ帰国するようにいう。


  その日、見知らぬ訪問者が愛を訪ねてくる。テレビ局のプロデューサーだというその女性(山本未来)は、かって広島に原爆が投下された時、一人のアメリカ兵もまた被爆していた事実を、当時治療活動をしていた川瀬医師のメモによって知り、そのドキュメンタリー番組を制作することを考えているという。その話を聞いて、愛は言葉少なく、「私は何も存じません。どうぞお引き取りください」と、はっきり断り、扉を閉ざす。
数日後、愛は尾上正子のマンションを訪ねる。たしかに正子が所持する母子手帳は、美和のものだったが、長い空白の時間が過ぎたいま、愛には尾上正子が娘かどうか判断できない。
 記憶を喪失している正子は「DNA鑑定をされたら− わたしは構いません」という。しかし、愛は「お付き合いをさせていただきたいのです、家族のように−」と、語るしかない。


 孫娘の夏来がアメリカから帰国する。
「あなたのお母さんかもしれない人よ。会ってみたら−」と愛にいわれても、夏来は自分を捨てていった人を、母と認めるわけにはいかない。
 しかも、正子の身元保証人と面会した郷田は、その男(西岡徳馬)が正子と愛人関係にあることを二人に告げる。
 しかたなく愛は正子と、街の喫茶店で二人だけで会う。
 紅茶を口にして、そのカップのふちについた口紅のあとを、愛は指で拭き消す。その仕草を見て、自分の母もそうして口紅を拭き消していたと、正子は言う。
「あなたは美和よ、娘です」と、愛は思わず叫ぶ。
 川瀬家を訪れた正子に、幼い日の記憶がよみがえってくる。
 それは広島の、海辺にたたずむ病院−窓からは、小さな島がいくつも浮かんで見えた−
 それを聞いた愛は、「娘の美和は、広島で生まれた」と、告げる。
 三人の女は、それぞれの思いを抱いて、広島へと旅立つ。
 それは楽しい家族旅行のように見えながら、やがて明らかにされてゆく過去の事実に、不安を抱く旅でもあった。





 
■略歴■
'33年1月11日、東京都渋谷区に生まれる。
父はサイレント映画時代のスター、岡田時彦。母は宝塚歌劇のスター、田鶴園子。
1951年、高校を卒業すると、母の強い希望により、東宝演技研究所にはいる。その年の8月、川端康成原作、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』で、女優としてデビュー。
東宝専属のスターとして数多くの映画に出演後、57年以降松竹に移籍する。
62年、映画出演百本記念として『秋津温泉』をみずから企画し、演出を吉田喜重監督に依頼。この作品により、数多くの女優賞を受ける。
1964年、吉田監督と結婚。
それ以後は松竹を離れ、テレビ、舞台にも活躍の場を広げる。
今回の映画『鏡の女たち』は、女優歴50周年を迎えての、154本目の作品となる。

■主な出演作品■
『舞姫』(51年)、『坊ちゃん』(53年)、『浮雲』(55年)
『秋日和』(60年)、『秋津温泉』(62年)、『秋刀魚の味』(62年)、『水で書かれた物語』(65年)
『エロス+虐殺』(70年)、『吾輩は猫である』(75年)、『人間の照明』(77年)、『赤穂城断絶』(78年)、『序の舞』(84年)

 
■略歴■
'56年4月8日生まれ。'73年3人の女の子のコーラスグループ「キャンディーズ」のメンバーの一人としてデビュー。数々の大ヒット曲を飛ばすが、人気絶頂の1978年惜しまれつつ解散。しかし2年後の'80年『土佐の一本釣り』で女優としてカムバック。1989年の今村昌平監督作品『黒い雨』で、日本アカデミー賞/報知映画賞でそれぞれ最優秀主演女優賞の他、毎日映画コンクール女優主演賞など受賞、高い評価を受ける。
現在は日本の代表的女優としてテレビ、映画と幅広く活躍中。
代表作に、映画『夢千代日記』『サラリーマン専科』シリーズ、テレビドラマ『家なき子』『ちゅらさん』他多数。

 
■略歴■
''77年4月29日、東京都生まれ。'95年『蔵』(降旗康男監督)のヒロイン役でスクリーンデビュー。主演松方弘樹の娘役として、強烈な印象を残す。また同作品で報知映画賞最優秀新人賞、ゴールデン・アロー賞新人賞、日本アカデミー賞新人賞及び優秀助演女優賞などを受賞。期待の大型新人女優として、高い評価を得る。
以降、TV、舞台と幅広く経験を積む。
本作品『鏡の女たち』は久々の映画出演作品。本格的映画女優の第一歩となる記念碑的作品となるであろう。

 

■略歴■
'37年10月7日北海道小樽市生まれ。'57年、東映のニューフェイス第4期生として役者の道に入る。翌'58年『台風息子』で映画デビュー。以降現在まで、その味わい深い風貌と声で多くの映画、舞台、テレビドラマに出演。代表的出演作に『仁義なき戦いシリーズ』(深作欣二監督)、『影武者』('80年・黒澤明監督)、『死んでもいい』('92年・石井隆監督)、NHK大河ドラマ『北条時宗』など。



 



■略歴■
1933年 福井県福井市生まれ。
1955年 東京大学文学部フランス文学科卒業。同年、松竹大船撮影所に助監督として入社。木下恵介監督に師事する。
1960年 映画『ろくでなし』により、映画監督としてデビュー。
1964年 女優、岡田茉莉子と結婚。松竹を離れる。
1966年 独立プロ、現代映画社を設立。
74年-78年 テレビ美術番組『美の美』シリーズを制作
79年-82年 メキシコ滞在
1984年 著書「メヒコ 歓ばしき隠喩」(岩波書店刊)により、メキシコ政府からアギーラ・アステカ賞を受ける。
1987年 映画『人間の約束』により芸術選奨文部大臣賞を受ける。
1990年-95年 フランス オペラ・ド・リヨンで「蝶々夫人」を演出。
1998年 著書「小津安二郎の反映画」(岩波書店刊)により、芸術選奨文部大臣賞を受ける。

今回の映画『鏡の女たち』は、88年に公開された『嵐が丘』以来、14年ぶりの、19本目の作品である。 


■主な監督作品■
『ろくでなし』(松竹 60年)
『秋津温泉』(松竹 62年)
『水で書かれた物語』(中日映画社 65年)
『エロス+虐殺』(現代映画社 70年)
『戒厳令』(現代映画社・ATG73年)
『人間の約束』(西武セゾングループ・キネマ東京 86年)
『嵐が丘』(西友 88年)


製作:成澤章/綾部昌徳/高橋松男
企画:吉田喜重/高橋松男
監督脚本:吉田喜重
プロデューサー:高田信一/尾川匠/phiippe jacquier/霜村裕
製作統括:高橋雅宏
音楽:作曲:原田敬子
撮影:中堀正夫(j.s.c)
照明:佐野武治
美術:部谷京子
編集:吉田喜重/森下博昭
録音:横溝正俊
©2002 グルーヴキネマ東京

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