3. ボクシングを作る組織 

 

イギリスが発祥の地であるボクシングは、日本では明治20年、日本最初のボクサー浜田庄吉により紹介され、それ以来巷に於いて人気を得てきたスポーツであります。競技スポーツとしてのプロボクシングを形作るためには、当然組織が必要となるわけですが、その仕組みに関しては、意外と知られていないのではと思います。詳しくはない範囲で説明しますが、ボクシング界に大きく分けて二つの組織があるのをご理解ください。

 

日本プロボクシング協会

プロボクサーを育成することを目的のひとつに掲げているボクシングジム、スポーツジムなどが全国的に作る協同組合のような組織が日本プロボクシング協会です。事務局は後楽園ホールの近くにあります。実際に専門的に統括する仕事行っている方は非常に少人数です。あとは全国のジム関係者により成り立っています。当然ですが、全国の支部に、それぞれの責任者がいらっしゃいます。

プロボクシング協会に所属する全国各地のボクシングジムの会長さんなどは、自分にボクシングの経験があり、その夢を次の世代に託すためにジムを開いていることが多いようです。特に世界チャンピオンの経験者は優先的にジムを開けるようなシステムがあるようです。ともかく先輩を夢見て入門する若者に、ジム側は一生懸命自分の夢を託しているわけですね。

 

日本ボクシングコミッション

もうひとつが日本ボクシングコミッション(JBC)といわれるものです。こちらは、スポーツであるボクシングを殴り合いではないものとして、社会に受け入れられるように、規律規則などを管理している組織です。その昔、アメリカでボクシングははやり始めたころ、やはり社会的問題となりました。イギリスで生まれ育ったボクシングを、スポーツとしてしっかり管理することの社会的要請が生まれてくるわけです。1920年でしたか、ニューヨーク州でニューヨーク・アスレチック・コミッション(NYAC)という組織が作られ、この組織がボクシングなどのスポーツをきっちりと管理することを前提として、ボクシングが社会的に認められるようになったようです。のちにウォーカー法というものがニューヨーク州で設立され、アメリカ各州、欧州などへ拡がったようです。その流れの延長が日本でもあり、それを担うのがJBCということになるわけです。第二次世界大戦後、盛んになってきたプロボクシングで、世界タイトルマッチを行うに当たり、その組織が必要となりコミッション制度が日本にも作られたとのことです。1952年のことです。

数ある仕事のなかでも重要なもののひとつとして、プロボクシングにかかわるすべての関係者にライセンスの交付をするということがあります。このライセンスがないものは、ボクシングの試合会場では、何もかかわれないことになっています。ライセンスは、プロボクサーのみでなく、クラブオーナー、トレーナー、プロモーター(試合を興行することをする人です。海外ではドンキングが有名ですね)、マッチメーカー、マネージャー、セコンド、トレーナー、タイムキーパー、リングアナウンサー、リングドクターなどなど多彩であります。また、タイトルマッチから普段の試合まで、試合の認定、選手のチェック(体重その他)、プロボクサー志願者へのプロテストの実施を主な仕事にしています。

ようするに、JBCは試合や興行などを管理する側の組織となります。ですから現場での採点を含めたジャッジ、試合の成立、認定、あるいは各選手の活躍具合を検討して決定するボクサーのランキングの決定や国内のランキングの選手の国外へのランキングへの申請などの事務手続きを行っています。

一方、一生懸命一緒に練習し育ててきた選手の努力の結果を正当に認められていないのでは・・選手側つまりジムサイドと意見の相違が起きることは少なくありません。このような摩擦はある意味では当然のことだと思われます。つまり、プロボクシングを構成する2大組織である日本ボクシング協会(選手側)とJBCは本来相対するものであります。すると、なんだか喧嘩ばかりしているようですが、実際は大人の付き合いなのでしょうか?お互いになくてはならない組織であることが大前提ですので、何十年間もうまくやってきているわけですね。

JBCの事務所があるところも、ちょっと変わっています。東京ドームの隣にボーリング場などがある黄色いビルがありますが、その中にあるJBCの入り口を探すのは「知る人ぞ知る」・・と言う感じで少々大変です。

 

医事講習会のこと

この二つの組織はある意味では非常に近い組織ですので、種々の会議や講習会を共同で行ったりしています。僕が関与しているのは、年に一回行われる「医事講習会」とそれに引き続く「トレーナー講習会」です。これは東京で行われますが、日本大学駿河台病院の大槻先生と僕が毎回なにかトピックを決めて講演をしています。その時節柄問題となったことなどを取り上げるようにしていますが、より専門的なことに関しては専門の医師に講演をお願いしております。たとえば、網膜剥離など含めた目の怪我のこと、近視矯正手術がボクサーにとって安全であるかとかは眼科の専門の先生、鼻や顎などの怪我は形成外科の先生などなど、多岐に渡ります。僕と大槻先生は、頭の怪我、脳の慢性的な外傷による脳障害、内臓の怪我、体重の絞り方の医学的見地からの考え、血液などの安全性、アルコールとスポーツなどに関して、毎年一生懸命勉強して準備をし、講演しています。

会場には全国のジムの関係者が多くこられ(100人はいらっしゃるでしょう)、熱心に聴いてくださり、質問なども多くあり、ボクシングの現場の方たちが、選手の健康を本当によく考えてくれているなーと思っています。仕事柄、大学でも講義をしますが、残念なことに、講義の時間を休息時間に当てる学生が見受けられることとは、少々違いを感じます。もっとも僕自身も、学生時代の講義では、ハンカチがヨダレだらけになっていたものですので、あまり文句も言う気にもならないですし、自分の講義がそうさせているわけ(睡眠剤)ですので。なお、この医事講習会の講演の模様はビデオテープ(睡眠剤ではない)で全国約250のジムに配られるとのことです。

話が繰り返しますが、大学で教鞭をとり始めたばかりのころ、90分の講義のために、スライドつくりその他の準備を含めて、何十時間もかけているのに、学生さんが聞いてくれてない・・と嘆いたことがあります。その現状の打破は自分の努力もあり少しずつ改善しているようです。しかし、この医事講習会で現場の方たちの真剣な目を見ていると、本当にやりがいがあるものです。

 

日本ボクシングコミッションって大きいの?

テレビなどでも「日本ボクシングコミッション認定」とか、「コミッショナー裁定」とか、大々的あるいは堅苦しく表現されることがあります。JBCの代表者がコミッショナーであり、現在は株式会社東京ドーム社長の林 有厚さんであります。実務は事務局長が行っています。そのほかには専任のスタッフが数人いるのみなのです。実は。

その他の大勢のスタッフは、どうしているのかと言うと、それぞれみんな自分自身の「主たる仕事」に従事していて、ボクシングが好きでしょうがないから、半ばボランティア的に、タイムキーパー、リングアナウンサー、レフェリーを行っているわけです。そういう僕も、主たる仕事場は大学病院で、夕方から抜け出して、都営三田線で水道橋へ駆けつけているわけなのです。

みんなの仕事は種々雑多であり、コンピューター会社、神田の書店など、比較的固い職業のタイムキーパーから、自衛隊、厚生労働省というもっと硬いところへ勤めているレフェリーもいますし、毎年、毎年司法試験を受け続けているアナウンサーもいるんです。レフェリーで本場にあこがれ、ラスベガスへ飛んでいってしまい、帰ってこない人もいます。会社で転勤を命ぜられてしまい、後楽園でレフェリーができなくなるので、会社を辞めようとした人もいます。実際に会社を何回も替えてしまった人もいるんです。

リングサイドドクターも専門の付きっ切りの医師がいるわけではないのです。されとて、単なるボクシングファンの医師がリングの横にいるだけでは、観客の方たちとあまり変わらなくなってしまう訳です。ですので、JBCの設立当初から「ボクシングを良く理解した医師」とのことで、駿河台日大病院の外科教室、そしてその後、東京慈恵会医科大学の脳神経外科教室が委託を受けたのです。ですので、それ以来50年近くの縁で、それぞれの教室から医師を派遣しているわけなのです。大学病院からの具体的な医者の派遣についてもお話します。東京でプロボクシングは一年間に130興行くらいあります。それを日本大学駿河台病院とわけますので、それぞれの大学病院で65興行くらいお手伝いすることになります。つまり月に5-6回くらいです。一回に2人の医者が必要であり、さらに、試合前の健康チェックの前日検診へも医師を1名派遣しますので、ひとつの興行で3人、延べ人数として1ヶ月あたり15人医師が必要です。この医師の派遣は、たかが18人程度の大学病院の小さな医局では大変なことです。僕は医局ではさながら人材派遣会社のマネージャーみたいなものです。予定表に医師の名前を埋めていくわけですが、直前になって、救急の患者さんの手術が入ったとか、予定されていた手術時間がものすごく延びてしまったとか、ゴタゴタが多々あるものです。もう、年がら年中JBCY部長とは人材派遣で電話のやり取りであります。

 

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