5月1日
最近、顕著に人嫌いが表れる私、親しい友人に会ってもどう話していたのかを思いだすまでマゴマゴしてしまうの、しかしこれではいかんと日々おもしろい事を考えよう、笑いの人になろう、とね、一人外に出て道行く人を凝視し、様々な想像を巡らしたり、音楽をかけてでたらめに踊ったり、それで最近よくやるのが一人芝居ね、例えば台所に立ち、塩が被害者(前田こうよう)醤油を被害者の母(あき竹城)、オリーブオイルが犯人(中山忍)、冷蔵庫が相棒(片平なぎさ)、その他にも胡椒が刑事(左とん平)で、犯人の婚約者役で中山オリーブを信用仕切っているバカに粉チーズ(東幹久)、等を事前にキャスティングしておき、私は事件を解決するフリーのライター(船越栄一郎)になりきり、京都の温泉地を舞台に父母子親戚近所入り乱れての愛憎劇と京都の観光スポットを紹介したりする、が、丸々火曜サスペンスを一人芝居、夢芝居(梅沢富男)するのはさすがに容易ではないし、キャスティングに凝りに凝ったぶん、どの調味料が誰だったかがごちゃごちゃになり、「犯人はアンタだ!」と胡椒(東幹久)を指差してしまい、主役が犯人を当てられないという、まったくもっての本末転倒な結果になるので、各配役を頭に叩き込んだら即ラストシーンを演じる事にしている。設定はもちろん崖、かならずサスペンスの犯人は追い込まれると崖に逃げる事になっている。まったくバカな連中だ、そりゃバレるよ、でオリーブオイル(中山忍)に「犯人はあなたですね?」とか渋く迫ったりしてるわけだが、これ、けして明るくはないね、とゆうかより人嫌いが進行していく気が、、、まぁそもそも仕事がいかんのよ、仕事場っつっても週三回しか行かないんだけどね、まぁ地下なわけよ、地下室、しかも同僚は一人もいないわけだ、いつも事務的に仕事の書類積み重ねて、よろしく〜って上司が一人だけ、つまりね、地下室で誰とも接する事もなく、二年間もそんな事やってたらどうなる?通常の神経を持った人間ならとうに精神を病むのはこれ当然。
やはり仕事を変えねば、さもなくば調味料相手にシェイクスピアでも演じたろかしらん


5月2日
私は本当に昔から人に多く誤解をかう人間で、その結果大切な友人や知人を今までも数多く失ってきた。人付き合いが下手といえば下手であり、人の気持ちがわからないといえばさっぱりわかりはしないのだが、これはやはり今までの環境、生き様、の問題であると考えられる。まず私は小中高と友人らしき人物がいた記憶がほとんどにおいてない、思い出というものが存在していないのだ、そこで私は腐ることもできたのだが、根が楽天家という事もあり、じょじょにこの廃人のような自分を変えていこうと努力を重ねなんとかつぎはぎだが友人と呼べるくらいの人は確保できるようにはなった、そうなるとそれまで通常の人々が体験する思い出を作れる環境になった、とがぜん私は張り切り、空回りを繰り返す内に誤解が生じてくるというわけよ、で誤解が生じて人消える→さらに頑張り空回る→さらに誤解さらに人消える→精神がやられるがまだ頑張る→以下∞(地獄)。。そこで私は思ったの、つまりね、人よりもはるかにつまらない青春時代だったわけね、その反動で今すべてを取り戻すのだよ俺は、と過剰に思いすぎておったのだよ、でもそれは間違いであってね、今はもっと細やかな幸せを見るようにしたのよ、晴れた日に窓をあけたり、お茶と急須を買う幸せだったり、いつか小鳥と金魚を飼育してやろうと思ったりする幸せ、過剰な贅沢よりささやかなものをね、遠くに見える灯台の光をめざして歩きだそうと足下の花を気付かず踏み付けるようではいかんのよ、きっと、もっと言ってしまえば生きてれば大丈夫と言いたい、だからわしは、去っていった人々を恨んだりもしたけれど、なぜ私はこんなアホ日記を始めたかと言えば、もうこんな事は書かないとおもうが、去っていった人、これから会えなくなってしまうかもしれない大切な人が、何かの拍子にこのページをいつか拝見し、その時に私はこのような事を今思っています。と伝えるためなのかもしれない、どんなに小さい繋がりであってもわれわれは生きていて、ハハハとこのページを見て笑ってくれたらと、その人の笑い顔を思い浮かべながら、思ったりする。


5月4日
テレビにおもろい人が出て笑かしよる。ここは職場の休憩所、私のほどなく前に座り不機嫌そうな若者、画面を見つめクスリともしない、もともとがそういう顔なのか表情というものがまったくなく生命力がまるで感じられない、わたしは笑いを堪えているというのに、笑いを忘れた人は終わりであるよ、かわいそうな人である、その向かいにコラーゲンの塊のような醜い男、同僚であろうかこちらもクスリともせず、かといって向かいの若者と話す訳でもなく無言で画面を睨んで、、そういった見方は間違っておる、わらかしよんねん、私はこうして笑いを堪えておるというのに
ノーコミュニケーション、テレビとすら、君らは、、なのに客に物を売る、笑いを忘れゾンビが服売る化け物屋敷、わらかしよる



5月5日
子供の日、だからなんじゃい、わしゃあもう大人だよ、関係ない、そんな事よりスイカってあるよね、あのみずみずしい赤いやつをガブッといって種をぷぷぷぷ〜ってちゃうわ、そっちちゃう、そっちやなくてあの前々から怒アホだと思うとったJR東日本鉄道会社の作りよるカードのこっちゃ、正しくはSuica、あれがとにかく解せん、なんでもSuicaは駅のあの通り抜けるとこ、切符通すとこにあのカードを叩き付けるとカードから発する電磁波に反応して扉が開くという実に便利で画期的システムらしく、更にはあのカードでお買物がどうとか、他にも簡単に嫁探しができるとか、利息をコンビニで返せるとか、マイナスイオンがどうだとか、とにかく多機能で便利であるなどと口をそろえて皆が絶賛、スタンディングオベーションの嵐なのだが、私には何も関係はないのだよ、切符を買うし、買物は金を出して買うもんである、ならば貴様、関係ないなら解せんこたぁないだろう?いちいちぐずぐずほざきやがるなブタ野郎!とJR職員にフクロにされそうだが、話はここで終わらんのだよ、つまりね、Suica登場にともない切符を通す機械に例のSuica機能をプラスした、とまぁそこまではええわい、理解できる、ところがJRの馬鹿どもは何を思ったか切符の機能を取っぱらってしまいよった、、さすがに全部という訳ではないが7台切符通しがあるとそのうち3台はいつの間にやらSuica専用に変わってけつかる、どこまでもぶざけている、私のような切符派人間や、田舎のSuicaの存在をしらない純粋な人たちはどう思うだろう、無論激怒である、私の住む川崎のスラムではなぜか人々の行き来が激しく、帰りの駅の混雑はまさに地獄としかよべぬひどい状況なのだがそれでも怒りを抑え切符を手に切符通しの順番を列を作り待っておるのだが、そうして順番を待った揚げ句にSuica専用出口だった場合の怒り、虚脱感、死への恐怖はすさまじいものであり、そのような理不尽を体験したものたちが具体的な駅の爆破計画を実行しだすのは時間の問題であろうなと不安で夜も眠れない。しかし俺は負けん、Suicaごときになめられる訳にはいかんのだ


5月6日
予定はあまり立てん、予定調和のサプライズなどサプライズではないのだ、急に決まって急に予期しない喜び、それが思い出で喜びで悲しみで衝撃じゃ、未来を限定するなよ



五月七日
職場の社食がリニューアルしてオープンするとさ、ええんちゃうの、別段今までもババァが飯を異様に盛る以外にはなんら不満はないけど、まぁ味がようなるならやったらええんちゃうの、しかし考えがあまかったのだよ、もともと人を家畜のごとくにしか考えとらん職場なのだから少し考えたら解る話なのだが、どうやらそれぞれのメニューの材料費を大幅にコストダウンしたようで、その結果できあがってきたものは笑いを取りにきてるとしか思えないメニューばかりであった。今日はカツ丼、厳密に言えばころも丼と言うほうが正しいか、通常我々が慣れ親しむカツ丼というのは丼にたいして適度な大きさの肉をまずは揚げてその後カツを一口だいに等間隔でカット、そのカツの回りに出汁を効かした溶卵を流し込み刻み葱をふってしばし待ち、白米にもタレ、出汁等かけた後そのカツ本体をごはんに盛って完成となるはずである、見た感じ社職のおばはんも作業は乱雑極まってはいるが、なんとかまっとうにこなしてはいるなと見ておった、さぁいざ実食、まずは最初のカツをひと口運ぶ、
ん?カツをカツたらしめている肉の存在が確認できない。だがまぁ一口目である、よくよく考えたら肉が隅々までびっしり張り巡らされたカツなんてそうそうないよ、よしんばここは社員食堂である。とんかつ専門店のカツ丼とは違うのは当たり前だよ、と自らをなだめ二口目、
ん?やはり肉の存在がない、、まぁまぁしかし私が食べたのはカツの先端、もしくは最後尾であり、先程も述べたとおり隅々まで肉が詰まってなどいないよ、こんな事で怒るなんて短気だなぁ、僕は、自分は、と自らの非を戒め、やがてくるカツとの感動的出会いにむけ気を落ち着けようと茶をすすり、あらためて三口目(カツにして二枚目)、今度は一気に一本いってみる、
ん?あれ?肉が見当たらないぞ?んん?まぁ待ちたまえよ、よーく噛んでみないと、、、、ないな、あれ、、?なめているのかな?わたしを、、客であるわたしを、しかし短気は損気ともいうし、きっと昼食時の混雑でなにか肉の分量を間違えたとかそういう事情なのだろう、そう、人には事情があるのだよ、それもしらんとキレないでよかった、愚かものにならないでよかった。気を取り直して三枚目、6分割してあるうちの三枚目である。中心部である。どれだけころもがズレていたとしても確実に肉が入るポイントでありここに肉の存在が確認できぬことはまずないはず、なぜなら揚げ物の常識として中心部からシンメトリーに何らかの具が配置されているはずでアシンメトリーに具を配置するにはわざわざ具のない部分を小麦粉、パン粉等で形成せねばならずいちいちカツを揚げる際にそれを行っていてはこの多忙極まる食堂ではやってはいけないと推測されるからだ、さぁカツよ、くるしゅうない、表を上げい!
ん?、、、これは肉と言うか、、脂身?、、、いやそんなはずは、、、、、脂身やん、、べちゃべちゃやん、、
あかんやん、、、、
おちょくっている、まるでお話しにならない、このリニューアル食堂で高らかにカツ丼をうたい実際客に食わしているのは肉の脂身にころもをつけてさらに油であげてべちゃべちゃになった物体を卵共々白飯にぶちまけた下人丼ぶりとも言うべき消費者をバカにしくさった一品であった、、先程書いた揚げ物シンメトリーの理論は間違ってなかったようで、4枚目[脂身]5枚目[ころも]6枚目[ONLYころも]怒りによってこみあげるめまいと頭痛をなんとか堪えふらふらになって食堂をあとにし、デスクで絶望、放心していると食堂から戻った副店長が開口一番に大声で「ひでぇな!おい!ありゃあ食えたもんじゃねぇぞ!!」と怒鳴りあげていた、俺賛同す。



五月十三日
友人から海に行こうとゆう電話、金もなく気が進まんので保留、別の友人から鎌倉に行こうと電話、まぁ考えとくわい、保留、そこへ別の奴から暇か?と電話、もうええわい!海行って鎌倉行って遊ぼやないかい、それでええやないかい。とゆうことで友人I君に車を出させ江ノ島−湘南−鎌倉と夏を先取り旅行してきた。楽しい、海はいい、これから毎月行こう。
ところでこの日記毎回毎回面白いことを書こうという意図ではないの、今のように海に行って楽しかったですなんてのが本来の日記というものであってだね、いちいちコントのようなアホな事を書きたいわけとちゃうのね、でも毎日な〜んもやることないからだんだんとアホな事ばっか考えてしまう、、そうだね、そうだよね        



五月十四日(妄想の目)

都会は僕には会わないよ、「誰も君なぞ見てはいない」、まぁ、そうっすよ、見ちゃぁいないっすけどね、しかしやはり街を歩いているだけで、あぁ道ゆく人が笑っている、、、きっと私を馬鹿にしているんだろうな、、嫌だな、、などと思い、外に出たのにものの30分もしないうちに帰宅してしまうこともしばしばである。しかし馬鹿にされるからといって最近の人のように無闇に髪を脱色したり、履き物から鎖をさげたり、裏地を紫にしてみたりと、必死に流れにしがみつこうっちゅータイプではないのは間違いなく、やはり私のようなものがもっとも適しているのは南国、時間の流れの緩やかな南方面であり、まぁ妥協しても田舎、さびれた温泉街とかだよね、まぁ下町とかも好きなんだけど最近勝手な思い込みで浅草、足立、台東区方面を爆撃したくなったから却下だな、いいや適当に電車乗ってまえ、あ、ビール買ってこ、鈍行乗ってこ、すててこ履いてこ、こうしてわたしは先ほどから電車に揺られておる、平日であり、田舎を目指しておるわけなので人の行き来は徐々にゆるやか、車内は快適、気持ちいい旅である。都会の生活で疲れきった魂をおもいきり浄化すんねん、心地良い揺れでウトウトしていたあたりで車内はざわつきだし私はなんぜよと目覚めた、どうやら地元の学生達の下校時間に出くわしたらしい、もうそんな時間か、、ずいぶん長い時間乗っておるな、ほどよいとこで降りようか、、、、ところうで先ほどからなにか視線を感じるな、、、ふとわたしは斜め前に座ったルーズソックス、半ズボン、にサスペンダーとゆういでたちの頭のハゲ上がった太ったおっさんが私を凝視していることにきずいた。
まずい、あきらかに変な人だ、、、私は昔から何故かあのような通常の世界から逸脱した感覚を持った人々に狙いを定められることが多々あり、そのつど辛い経験をしてきた。そして何故か彼らへの遭遇率は圧倒的に電車、駅などの交通機関が多いのだ、以前もそろそろ車内混みだそうかとゆう平日夕方の時間に運良く座ることができた私は、もうどかん!梃子でも動かん!と思い、ふてねに入ったのだが、しばらくすると私の右に異様なオーラというか吐息を感じ、目を開けてみると旧ロッテの野球帽をかぶった髭の生えた子供のような人が私の顔面ぎりぎりの距離でわたしをのぞきこんでいた、驚いてのけ反るとその野球帽男は私に唐突に「おはよぅ」と不気味な高い声で語りかけてきた、私はひきつった笑いを浮かべ、とにかく目を合わしてはいけないと視線をそむけたのだがいっかなおはよぅ攻撃はやまず、やむをえず用もない駅であとをつけられぬようドアの閉まり際に降りてしまい、JR大崎駅で一人絶望したりしていた、他にも時刻表に体当りしていた、山猿みたいなのに飛び掛かられたり、毎朝俺をただし君と大声でよぶもの、等例を上げればきりがない。車内は学生達、私、老人、そしてへんなおじさんが乗っており、おじさんの異様なオーラにきずいた学生達や老人は近寄ろうとはしないので、自然とわたしはへんなおじさんとお見合い状態におちいってしまった、この場合すみやかに席をたち二つ先の車両などにスマートかつ迅速に避難するのが適切であるが、この場合私たちの回り2〜3メートル離れた位置に下校学生、老人などがちょうど取り囲むように位置しておりそれをかき分けて車両移動することはすなわち逃げ、逃亡を意味するわけであり、ましてや集団の大半は調子にのった学生どもであるからして隣の車両に到達するまでに、相当の敗北感を味わう事は容易に想像がつく、ここはひとつこの席にとどまり、取り囲むバリケードが徐々に減る頃に、あぁそろそろ降りなければ的なアクションを見せつつ自然な形で車両移動を行うのがチョイス、ベストチョイス、、、、、、
しまった、、周到に計画を練る内におっさんは私の隣にぴったりくっついておる。夏の日差しのような焼ける視線、そしてなにかをおっさんはつぶやいている、わしも黙っておればいいものをついつい「えっ?」っと言うてもうた、するとおっさんはつぶやきをじょじょに大きくしていく「マミー買ったん?マミー買ったん!?マミー買ったん!!?」と最後は叫ぶようになってしまった。あぁ、、しまった失敗した、、なぜ私は疑問に思うとすぐ口に出してしまうのだろう、、あぁ学生バリケードから視線を感じる、、老人たちが見て見ぬふりをする、、耐えられない、はやく降りたい、、どうしようもないので私は「踵縮緬」とゆう駅で降りた、おっさんをともなって、、、駅は無人である、、そして山、古びたベンチ、ボロボロの屋根付きバス停、おっさん、おっさんは先ほどの絶叫からつぶやきに戻ったようだ、まずこのアホをどうにかせねばなるまい、バス停の古びたベンチに座り、いつのものかわからない清涼飲料水の看板を引きはがそうとしているルーズソックスのおっさんを見て私は考えている、バスは、どうやら二時間に一本、、あと一時間ほど猶予がある、乗れたとしても着いてくるのだろうか、保護者はいないのか、警察を呼ぶべきか、いや危険だ、以前の山猿と違い飛び掛かるなどの危険はないように見える、しかしここで逃げてしまって移動手段をなくしてしまうのは極めて危険、なにしろさっきから車一台、人一人として通らぬのだから、、バスは「屁泥肥岬行き」と何て読むかはわからんがとにかく行きたくなさそうな岬に向かうらしい、しかしこれは旅、南の島とまでは行かないが岬とある、海、ええやん、名前はともかく、行ってみりゃええやん、飛び込んでみればええやん、、
あっ、引き剥がしよった、、
何時間待っただろう、私はオロノミンPと書かれた看板を抱きかかえ夕日の落ちかかるバス停にいた、デンジャラスボーイは消えていた、バスは、、あと少しで来る、あのおっさん大丈夫かな、帰れたかな、、私は引っぺがされた看板をベンチに立て掛けたこういう看板を集めている収集家なる人種もいるらしい、高く売れるかもしれん、試練、、持って行こう、はは、ははは、
しかし手持ちのかばんは小さく何とか無理に入れようと先ほどから限界までかばんの蓋を押し広げておるのだがあと少しというところで、引っかかってしまう、、うーん、、そうこうしてるうちに人生はあっという間に終わってしまう、、後ろでクラクション、、くだらないことしとる間にバスが来たのだ、ドアが開くなり「だぁーめだよとっちゃぁーーーー!!!」と運転手にしかられた、「えーこれはですね」なんて私のいいわけを無視して私から看板を取り上げぶつぶついいながら看板の取り付けてあった場所に行き、それを取り付けながら「のるのーーー?」と聞かれ私ははいと答えた、         それから30分、一向に看板は付かないらしく運転手は「あー!!!もーーー!!!!あぁぁぁーー!!」などと叫び、最終的に「何だよこれ!ふざけんなよ!何でいつもこんな目にあうんだよ!!!」と言ったあと看板を山の中に投げ捨ててしまった、どないやねん、
そして何もなかったようにバスに戻り「しゅっぱーつ、しんこーう」といって走り出したのである、日は完全に沈んでしまった、おそらく永遠とローギアで走っているであろう恐ろしくやかましい車内で私はルーズソックスおじさんを思い出している、、「マミー買ったの?」、、、ジュースのことだろうか?しかしマミーを購入した覚えはない、、対向車のヘッドライト!まぶしくて目を細めた瞬間凄まじいフラッシュバックが襲った、、、、、、あれは私の父だ、幼い頃両親は離婚し父の記憶はほとんどない、かすかに覚えているのは私は父が嫌いで自分は母親に気に入られようと父の財布から金を抜き取っては母に渡し、それをすると母はアイスを買ってくれた事を覚えている、彼は知っていたのだ、私がマミー(母)を金で買ったことを、ってダジャレかい、、、バスはゆっくりとカーブを曲がる、トンネルを抜けたら海が見えるだろうか、、、今頃出がけに新横浜の駅のゴミ箱に仕掛けた自家製時限爆弾が爆発している頃だろう、俺は南を目指す


5月28日
ここですこし誤解をといておこう、どうやら友人の中にはこの日記コーナーの妄想のやつを本気で実話だと思ってた奴がいるらしい、いやいやいやいや、んなアホな、まぁ僕が書いているので遠からずだがさすがにドア蹴破ろうとして骨折ったり、爆弾作ったりはしませんよ、妄想です、メルヘンです、お酒ならいくらでも買ってきます



5月29日
食!職がないから食せない、なんちて、なんちて、ぶぶぶぶぶ〜!職場に食パン置いてあってショック!ぶぶぶぶぶ〜!このへんでやめとかないと誰もこの先を読んでくれなさそうなのでやめとこう、食である、食べ物、やはり各家庭、地方によってずいぶんと食の差があるなぁっちゅう話やね、私は昔名古屋に10年ほど居たのだが、その事を回りの人などに話すと「マヨネーズ持ち歩いてるんでしょ?」とか「ごめん白味噌しかないけど」等、馬鹿にしてるとしか思えない返しをされる、だがそれは私に限る事ではないらしく沖縄の人はおやつに蝉を取って食っているとか北海道の人は毎晩蟹とウニを食ってるとか、各地であらゆる誤解が生まれているのだ、だがこれが家庭レベルにまで話が降りてくると、誤解ではすまされないズレが生じてくるわけ、まずわが家庭で人におかしいと言われたのは、焼きうどん問題がある、と言っても焼きうどん本体に何等問題があるわけではない、普通だ、ではなにか?それは焼きうどんに付く飲み物である。まぁ茶、水、なんてのが妥当な線なんだろうが、我が家は代々牛乳なのだ、しかもこのメニューはほとんど土曜の昼に限定される、さらにこ
の土曜の昼というのは我が家は決まって麺類なのである。そしてオプションにはほとんど牛乳とゆう徹底ぶり、焼きそばに牛乳、味噌ラーメンに牛乳、はたして何か意味があったのか、私は学生時代の土曜の昼をほとんど麺と牛乳で過ごしたことになる、、また私の友人Kは納豆が好物らしく、とある定食屋でKがたのんだ定食に付け合わせで納豆が付いており、はははよかったではないかと見ていると、おもむろに納豆をすべて白飯にあけ、その後猛烈な勢いで納豆と飯を混ぜにかかったのだ、通常納豆はまず粘りを出すためそれ単体で混ぜ、それをごはんに適量かけ、その部分の飯、納豆が無くなる頃にまた残りをかけてといった食し方がもっとも一般的であり、ましてや飯と混ぜるなどという行為は初めて見たので、まぜるな危険!最初はははぁ、Kはきっとこの定食屋の殺伐とした空気を敏感に感じとり、少しでもこの場だけでも和ませようと無言でボケ、私につっこみを入れさそうとしておるのだな、、しかたない、とツッコンでみた所、Kはぽかんとして一向にボケをやめようとせん、あぁきっとKはイカれてしまったのだなと哀れんで見ていると、どうやらKの家では代々納豆
はその食し方であるらしく驚くことにKは世間一般の人々も皆その食べ方であると信じていたとゆう、このように食の常識とゆうボーダーラインは家庭レベルではとうに崩壊、破綻しているのである、ねばねば、さらに極めつけは友人I君で、彼は御飯にカラムーチョをかけるという荒技を披露、まぁしかし彼の場合は拾い食い、一日三食すべて牛丼など、まともな味覚を持っていないので例外か、
またズレがほとんど生じないメニューが存在する、その代表格こそ豚汁である、もちろんそれぞれに若干の具の違いはある、ではなにが同じなのかというと、それは自信である。とれだけ料理が下手なおかんであっても、その子供たちは口をそろえて「うちの豚汁はうまい!誰が何と言おうがうまい」と言い切ってしまう。そして私もうちの豚汁が最強だと信じている。これにより食の話題から豚汁に話が移行する際70〜80%の割合で豚汁論争が起こる事になる。これを「オレん家の豚汁、お前ん家のよりうまい」現象と名付けようと思う。