『中村美律子物語〜雲の上の青い空』ストーリー紹介


ここでは、私がファンをしております歌手の中村美律子さん(愛称:美っちゃん)の自伝的物語
(脚本:ジェームス三木さん、97年4月〜6月NHK新銀河小説で放映)をかいつまんで紹介してみます。
(出演:中村美律子、津川雅彦、藤岡啄也、藤真利子、田村英里子、大村 崑、藤田弓子、岩本多代、唐渡亮ほか
名優、名子役多数出演なさってました。私、美っちゃん役をなさっていたハスキーな声の松本麻希さんの
熱演に感心してました。)

・・実はこれ98年当時、私が開いていたサイト“世界初!美っちゃんこと中村美律子応援ページ”で書いていたものを
再掲出しただけなんです。(笑)

当時は、毎週のようにチャート情報やLIVE出演情報を更新していましたが、私の本業の方がちょっと忙しくなって、
日々多忙な美っチャンのスケジュール更新が間に合わなくなったこと止めてしまったんですが、あれほど詳細に、
あれだけバカ丸出しで(大汗)紹介しているサイトはいまだにないので、初めて彼女の魅力に触れた人の入門編
となればと思い、一旦引っ込めたサイトから持って来ました。

私がまだ20代の時に書いた文章ゆえ、読みづらい所も多いかもしれませんが、
「へぇーーー、中村美律子ってこんな人だったんだ」
と、何かを感じていただければ幸いです。

※なお、本ストーリーはプライバシーの問題上、一部事実と異なる記述もございますが、
美っちゃん曰く「90%がノンフィクション」というなので、その辺は善良に読み取っていただければと存じます。

また、なにかご意見があればメールを下さい。分かりづらい点はヒマを見つけて改善いたします。

(1) 母の死、一家離散まで

(2) 中学、高校時代

(3) 芸能界入り...フーセン玉の夢

(4) ドサ回り(フリー歌手)時代 〜さらなる別れ、さらなる出会い

(5) 歌手デビューから紅白初出場まで「まにおぅて(間に合って)良かった!」
(1)幼少〜一家離散まで


昭和35年、舞台は大阪の下町。
小松美津子(当時10才)は姉・紀美子と朝夕の新聞配達に出かけなければならなかった。
なぜなら、小松家は、この二人の下に慶子(三女)、健一(長男)、昭子(四女)の3人の子供がおり、
松の湯に共稼ぎをする両親の収入だけではやっていけなかったからである。
(父・留吉の”お馬好き”が更に拍車をかけたような気がするが・・・)
それでも、母・正子の「6畳一間、狭いながらも楽しい我が家」をモットーに家族7人は楽しく暮らしていた。
C:\homepage\kumo1.bmp ←美津子、小学生の図。('96の舞台写真より)

これを舞台で見て一瞬、ちびりそうになったけど、
見慣れると、結構似合っていました。
(特に、関西ではこういう顔の子が多いので)
そんなある日、美津子は、新聞配達で鍛えた肺活量や、銭湯で覚えた浪曲・歌謡曲のレパートリーの
広さから、松の湯のおかみさんから町内のど自慢大会に出るように勧められる。
(本人曰く、「単に風呂場でエコーが効いていたので上手く聞こえた」とのこと)
そこで歌った「越後獅子の唄」で見事一等賞となり、賞品の電気洗濯機を獲得!
この頃から、「歌手になりたい、自分の歌を聞いてほしい」という希望が芽生えてくる。

のど自慢大会の優勝で美津子は町中の評判となった。また、父・留吉は美津子の願いを叶えてやろうと、
お金がないにも拘わらず、美津子を歌謡教室に通わせたり、テープレコーダを買ってやったりした。
その二年後の昭和37年から、姉・紀美子は高校へ通えず、パーマ屋の住み込みとして働くことになり、
そんな父の美津子贔屓や他の妹弟への配慮のなさを感じては、度々喧嘩することもあった。

子供達が元気に育っていく反面、母・正子は働き過ぎのため、次第に手足が動かなくなり、寝たきりの
生活となる。しかし、正子が「お金がかかるから」と、強固に入院や投薬を拒んだ為、容態は悪くなる一方。
とうとう、昭和38年春に若くして他界してしまう。

留吉は残された5人を養う収入がない為、紀美子以外の4人をよそに預けて暮らさねばならなくなった。
美津子は、地元の河内音頭師の若手育成に積極的な藤村商事の社長の所へ、下の3人は京都の
留吉の妹の所へ。文字通り、一家離散となってしまう。

慶子・健一・昭子の3人を瓢箪駅のホームで見送る紀美子と美津子。
「泣いたらあかんで!」
「頑張りや!」
「また一緒に暮らそうな!」

そう3人に言った後、電車が見えなくなるまで紀美子と美津子は泣きながら抱き合っていた。

「また一緒に暮らそうな!」

・・・あの日の別れを思い出すと、今でも涙がとまらない美律子であった。

※この場面で使われた「雲の上の青い空」が涙を誘います。
♪人生はね、人生はね、いいこと半分、悪いこと半分、くよくよするのは後回し やがて晴れる いつか晴れる あー 雲の上には青い空がある〜
昭和38年、一家離散となった美津子は藤村鉄工所の社長の家に住ませてもらえる。ここでの美津子は朝夕の
新聞配達もしなくていいし、部屋は一人で四畳半を独占。勿体無いような、心細いような、
妹弟に申し訳ないような気がするのであった。

藤村は、河内音頭が唯一の道楽で、美津子の歌手の才能を伸ばすのに興味を持っていた。それで
、美津子を夏祭りの櫓の上に立たせたり、秋からは、作曲家・内藤の所へ歌のレッスンに通わせたりした。

内藤は気難しい性格だが、美津子の声帯の素質に注目し、厳しいレッスンを続ける。父・留吉(当時、銭湯で
住み込みのボイラーマン)はこれまで通り、歌のレッスンを続けられる事を報告され、美津子がゆくゆくは
歌手になれるものと大喜び。

ある日、一番下の妹の昭子が京都の伯母の家から一人で電車に乗って、昔の家の近所に来てしまった。
父や姉に逢いたかったのだ。美津子は、妹が不憫でたまらなくなって、ますます歌手になって稼ぎたい
という思いが高まる。
「もうちょっと待ってて、お姉ちゃん絶対歌手になる!」

C:\homepage\kumo2.bmp
←美津子、中学生の図。('96の舞台写真より)

あら、こうやって見ると玉緒さんみたい(笑)。

これを見たCMディレクターさん、
是非、金鳥あたりでみっちゃんを起用してみればどうですか?
汚れ役からべっぴんまで何でもやりまっせ!
(このセーラー服が何よりの証拠!)

美津子は、成績はあまり良くなかったが(音楽だけは3学期「5」だったらしい)、なんとか中学を卒業し、
私立の高校に入学。公立へ通える成績ではなかったが、私立ならアルバイトが出来る、つまり、
大好きな河内音頭を歌い回ることも出来た。その頃、河内音頭で地元で有名になりつつあった美津子は、
歌の実力も内藤の認めるところとなり、オリジナルの持ち歌をもらおうとしていて、正に上り調子であった。

そんな美津子に、留吉は高校入学のお祝いとして、腕時計を買ってやった。しかし、これは長女の紀美子が、
留吉のジャンパーがぼろぼろだったのを見兼ねて、無け無しの貯金から留吉に渡したお金で買ったものだった。
紀美子は、ジャンパーを買わずにその金を美津子に横流しした留吉に激怒。自分だって薄給ゆえに、
腕時計を持っていないからだ。それを聞いた美津子は、放り投げるように腕時計を紀美子に渡す。
これに対し紀美子は、「あんた、のぼせあがっとんのとちゃう?お父ちゃん、老後の面倒は、歌手になる
美津子にみてもろてね。」と美津子をたしなめる。

運命は突然変わってしまうもの。レコーディングをしようという時、作曲家・内藤が急死し、歌手デビューの話は
流れてしまう。時同じくして、藤村の事業が悪化し始め、借金取りが家に出入りするように。占いに凝る藤村の妻は、
内藤が死んだのも、事業が悪化するのも、“疫病神”がいるからではと勘繰り、美津子は家にいづらくなる。

そんな落ち込んだ美津子に、紀美子はあらためてお祝いとして腕時計をプレゼント。紀美子は、若いうちに
精一杯働いて、しっかり貯金し、家を建てた暁には留吉を引き取るのが夢だと、美津子に打ち明ける。
美津子は、姉の思いやりをようやく理解できるようになる。

昭和41年、ついに藤村鉄工所は完全休業。美津子は、留吉と一緒に住む事に。美津子は、家計を支える為に
高校中退も考えるが、密かに慕っていた高校の先輩、吉岡に「同窓会に数少ない女子の君の名前が載っていない
のは淋しいから、絶対に卒業した方がええ」と言われ、大いに励まされる。
その頃既に、吉岡は東京の大学に推薦で入学する事が決まっていた。
「なにがなんでも歌手になって、東京に行って吉岡先輩についていきたい」
これが美津子の初恋であった。

しかし、美津子は、学校から帰るとお好み焼きやで、日曜はガソリンスタンドでと、バイトで明け暮れ、
歌の勉強はできなくなってしまう。

「歌手はもっと先でええ。今は家族の方が大事や」

自分に言い聞かせる美津子。夏のアルバイトとして、初音家賢次氏に師事。ここでの御祝儀は、
家計に欠かせないものとなってきた。

この前後から、留吉の所に杉の湯のお手伝いの女性(あき)が出入りするようになる。
美津子は、父のことが理解できず、この女性とも馬が合わない。

ある日、姉・紀美子が、京都の美容室から美津子と留吉に逢いに来る。お金が貯まったので、これと美津子の
バイト収入とで、住み込みの所を探して、妹弟を呼び寄せると共に、父の念願の夢、
うどん屋の開業をしようというのだ。うれし泣きする留吉。

昭和43年春、美津子は高校を卒業し、中学を卒業した慶子、健一、小学5年の昭子と5年ぶりに再会し、
これからの同居に嬉しい限り。但し、健一は間もなくして、中華料理店で住み込みで働く為家を出る。

「泣きたい時は、思いっきり泣いたらええねん。(小声で)人に見られんようにな!」

たった一人の弟の門出を励ます美津子であった。

年子で中学を卒業した三女・慶子は、うどん屋の手伝い。しかし、客はさっぱり。暇で暇で息が詰まりそう。
一方、この赤字を埋める為、美津子の河内音頭興行はますます重要な収入源となっていった。

歌手の夢は遠退くばかり...そんな事を考える暇すらなかった。
(3) 芸能界入り...フーセン玉の夢


昭和43年春、相変わらず父のうどん屋はさっぱり。美津子の河内音頭でその家賃を払うのが当然のよう
になっていた。店を手伝う慶子も留吉の愚痴の相手に嫌気がさしてきた。美津子は、外回りの仕事が
終わった後うどん屋を手伝い、慶子の機嫌を取る。・・・明けても暮れても河内音頭とうどん屋の手伝い。
そんな中にもかかわらず、歌手になる夢はフーセンのようにふくらむ一方。

二十才の夏祭りの日、櫓の上で河内音頭を唄っていた美津子は、夏休みで帰省中の吉岡(同じ高校の先輩)
と偶然に再会。美津子は雨宿りの中、近況を愚痴ると、吉岡は「君なら絶対に歌手になれる。
消極的になったらあかん。君の人生は一回しかないんやで」
と励まして、雨の中傘を置いて去っていく。この傘が、美津子の胸の中で、「初恋」の象徴となっていく。


昭和45年春、神武芸能社(仮名)というプロダクションからテストの通知が来た。

「歌手デビューや!」

大喜びする美津子、妹達、そして留吉。

神武芸能のテストも合格となり、契約を済ませるが、給料は無し、来る仕事といったら、事務所の掃除、電話番、
他の歌手の付き人...と雑用ばかり。いよいよだ!といきこんだレコーディングの仕事も幼稚園の”園歌”。
朝から晩まで家を空けてしまうが、タダ働き同然の日々が続く。

その頃、他の姉妹の様子。
長女、紀美子は、昭和44年秋に同業の浦田と結婚し、22才にして美容室のオーナーとなる。
四女、昭子も紀美子に憧れて美容師を目指したいと思うようになる。
これに対して三女、慶子はうどん屋の手伝いのままで不満をもらしていた。
「うどん屋の犠牲になるのは御免や!」と父に文句を言い、
また、サラリーマンとの交際も許してもらえず、大喧嘩をして家を出てしまう。

慶子も美津子も家を空けてしまい、うどん屋の手伝いという格好の理由で、
留吉の恋人・あきは家に転がり込むように。

昭和46年春、美津子にも仕事がやってきた。台湾との文化交流となる親善ツアーだ。
美津子は、父やあきに励まされ、この仕事を引き受け単身台湾に渡る。

・・・実際は、文化交流という名のキャバレー回りであった。ギャラは殆ど衣装代で消えてしまうし、
おまけに神武芸能が美津子に無断で契約を更新し、1ヶ月の約束が、2ヶ月、3ヶ月となり、
日本に帰りたくても帰れない辛い日々が続く。
けれども、父への便りにはいい事ばかりを書き連ね、父は順調に大スターになると、ますます期待する。

この夏、紀美子が慶子を連れて留吉を訪ね、慶子の結婚を許してもらうように頼む。
「あかん、あかん、紀美子の次は美津子、慶子はその次」
頑なに態度を変えない留吉に、紀美子はキレてしまう。

「お父ちゃん、夢見るのは勝手やけど、美津子の夢に妹を犠牲にするのはやめて。
あの娘は騙されてるんや。はよ芸能界から足洗ってうどん屋に戻ってほしいんや!」

と、美津子との文通の内容−父には書けなかった真実−を打ち明ける。父は愕然として、
神武芸能に怒鳴り込むが、衣装代や違約金がかかりまっせと脅され、丸めこまれる。

この間、吉岡がうどん屋を訪ねてきて、大学の先輩のディレクターを紹介したいというが、
娘の進路に男が関わるのに嫌気がさしていた留吉は追い返してしまう。

4ヶ月ぶりに、日本に帰ってきた美津子。しかし、待っていたのは冷たい仕打ちだけ。台湾に渡る前から
練習していた新曲は他の美人でグラマーな新人が歌う事になり、美津子は相変わらず事務員をさせられてばかり。
美津子は、ついに社長と大喧嘩をして、神武芸能社を辞めてしまう。

歌手になる夢はフーセン玉のようにふくらみ、そのまま美津子から離れてしまうのであった。
(4)ドサ回り時代〜さらなる別れ、さらなる出会い


昭和46年、美津子は、プロダクションに騙され、再びうどん屋に戻ってきた。しかし、悪い事だけではなかった。
美津子が、家を手伝う事で、三女・慶子は3年の交際の末、ようやく父から結婚を許してもらえたのだ。
結婚式で久しぶりに会った弟・健一はすっかり一人前の料理人に。夢を叶えずにいるのは美津子だけ...

そんな中、父の恋人あきの紹介で石切のヘルスセンターで歌う事に。これが好評で、やがてキャバレーや
ナイトクラブでも声がかかるようになった。

「うちは、歌うてる時が一番幸せや。いっこもくたびれへん」

再び輝きを取り戻した美津子。この頃、後のLIVE選曲のセンスの良さが培われる。

更に、歌の仕事が多くなり地方巡業で家を空け、また昭和48年3月には、四女・昭子が長女・紀美子の
美容室の住み込みで家を出ると、あきは完全に父のうどん屋を切り盛りするようになる。二人はまるで夫婦きどり。

美津子は、夜中に二人の邪魔をして帰宅するのは嫌だと、翌49年春、一人暮らしをする。一人暮らしをしてからも、
相変わらず三流歌手として刑務所の慰問や、キャバレー回りの生活は続き、ドサ回りの合間にレコード会社の
オーディションに足を運んでみたものの、努力は一向に報われず。
どうしようもなく淋しくなることもあり、美津子は妻子ある男性と付き合い始める。

昭和52年・冬。具合を悪くした父の見舞いに紀美子と美津子がうどん屋にやって来た。紀美子は美津子と話をし、
美津子が隠していた事実を見破る。
「あんた、妊娠してるんちゃうか?今、何ヶ月や?まさか、産む気やないやろな?」
姉は、美津子の相手を知っておりよく思っておらず、結婚、出産に反対する。これに対し、美津子は、
「自分の人生は自分で決める!お姉ちゃんの人生やない!」
と反抗する。父も、美津子に愛想を尽かした、と言いついに美津子を勘当する。

昭和53年、美津子は一人で子供を産む(命名・誠)。留吉は、誠にも会いにこない。その後、美津子と相手の男は
一旦入籍はするものの、性格の不一致で、2年後に美津子は離婚してしまう。そして、美津子のキャバレー回りが
また始まるのだ。

昭和55年のある日、昭子から電話が。・・・姉・紀美子の訃報であった。
今まで、真剣に美津子の事を思いやっての厳しい助言をしてきた紀美子。
それに何度も反抗してきた美津子は、棺の前で号泣するのであった。

しばらくして、留吉が美津子と誠のアパートを訪ねてきた。口をきいたのは3年ぶり。紀美子が死に、
長年連れ添ったあきが家出をしてしまい、淋しかったのであろう。美津子も、30才を過ぎ、仕事がなくなってきており、
歌手としての限界を感じてきていた。二人は、話し合いの末、和解し再び一緒に住むことにした。

昭和56年1月、四女・昭子は八尾市で美容室を持つまでに成長する。
妹や弟が確実に成長していく中、美津子は焦りを感じ始める。

このまま、うどん屋のおばさんとしてやっていくのか...
三流歌手としてキャバレー回りを細々とやっていくのか...

昭和58年春、美津子は春野百合子の元を訪ね、弟子入りを申し出た。最初は、嫌がっていた春野も、美津子の声に
着目し、弟子とすることに。美津子は、ここで、心の底の悲しみを搾り出して、魂をこめた歌を歌う事を身につける。
(5) 「まにおぅて良かった!」


昭和61年、3月。美津子は相変わらずフリーで歌いながらも、春野百合子師匠の元、厳しい練習で浪曲に取り組み、
この頃ようやく三席ほど覚えてきた頃であった。

丁度同じ頃、シン音楽事務所の社長・中村と作曲家の富田は「本物」の歌手を探しており、人づてに教えてもらった
小松美津子の歌をテープで聴いていた。

べっぴんではない、若くもないおばはん・・・この年までデビューしていないのは性格が悪いのでは?
と消極的な社長だが、富田は

「演歌なのに、泥臭くない。声そのものに凄みがあり、甘さと哀愁を持ち合わせている」
ともの凄い乗る気で美津子にアプローチする。

しかし、美津子は、芸能界はこりごり、とデビューを断る。

富田は諦めきれず、「美津子の信頼回復の為にはレコードを出す事が一番だ!」と春野師匠、父・留吉を説得し、
急遽ワーナー・パイオニアから「恋の肥後つばき」でデビューさせる。芸名は、社運を賭けて社長の苗字で。
メロディーを大切にする歌手なので「律」という字を使う。昭和61年8月、こうして、歌手・中村美律子は誕生した。

各レコード店、店頭にキャンペーン回りする美律子。ある会場で初恋の相手・吉岡に再会する。吉岡は今、夫婦で
中学の教師をやっているとの事。「君の人生は一回しかないんやで」と勇気づけられたあの日の傘。
あの日から恋心を置き去りにしてきた美律子は、「傘、お借りしたままで..」と言うが、吉岡は「昔の話やないか」と
笑い飛ばす。そう、既に十五年が経っていたのだ。

デビュー曲「恋の肥後つばき」はキャンペーン先ではよく売れるものの、ある一定以上は伸び悩む。そこで、富田は、
「TVで美律子の歌の上手さを皆に知ってもらうべし」と、社長に自主制作のTV番組「中村美律子の演歌一夜」を
やることを提案。社長は、富田の熱意に押され、資金繰りに東奔西走する。

名もない新人の為に、番組が作られる事はTV大阪開局以来初めての事。勿論、毎月、何百万というお金が吹っ飛び、
事務所は大赤字。しかし、富田の執念で番組は一年、二年と続けられる。次第に、富田も焦りはじめ、美律子に
「心の中でリズムを刻め!」「美空ひばりのブギウギと浪曲の絶妙なバランスを見習え!」
と日々厳しいレッスンを続けていく。しかも、制作費を抑える為に、1日で1ヶ月分の収録をすませねばならず、
リハーサルを含め、1日100曲以上をこなす必要があった。

美律子は、事務所の毎月の大借金の事や、富田の厳しい練習、にも関わらず、自分の歌はさっぱり売れず、
レコード会社も愛想を尽かしてしまう、と悪い事づくめで、平成元年まで途方に暮れていた。

しかし、平成元年年末、こうした努力が実を結び始めた!
この年の6月に東芝EMIから出した「河内おとこ節」が大阪を中心に半年で8万枚も、売れてきたというのだ。

大喜びする美律子、富田、そして父・留吉。留吉は、その後倒れてしまう。

「おとうちゃんのお陰で、うちは歌手になれたんや。」

大泣きする美律子。父の亡くなる(平成3年)寸前に、ヒットしてよかった。まにおぅてよかった!と。

幸運の女神というのは実に気まぐれ。あれだけ何をやっても売れなかった中村美律子が、その後は「大阪情話」
「しあわせ酒」「瞼の母」と立て続けのヒット。コンサートは連日満員。
「中村美律子の演歌一夜」も全国27局ネットとなった。



平成4年、秋。受話器を見守る、社長、秘書の永井、美律子。「来年も、あるから」と、昨年惜しくも落選したこともあり、
誰も多くを語ろうとしない。と、その時、ベルが鳴る。待ちに待った紅白出場の依頼だ!

こうして、この年の年末紅白歌合戦で「河内おとこ節」を歌うことになった美律子。
「私の事を全国では誰も知らない」と不安で緊張しているところ、

「今夜は大スターが大勢出るけど、1500曲もこなしてきた歌手は一人もおらへん。自信を持ちなさい。
苦労して苦労して鍛えたノドを全国のファンに聞かせたれ!」


と、富田に元気づけられ舞台へと進む美律子。

天国で応援する父・留吉、母・正子、姉・紀美子。

会場で応援する妹弟や古くからの大阪のファン。

楽屋に駆けつけた誠やシン音楽事務所の皆。

これまで多くの人に支えられてきた事が走馬灯のように頭をよぎりつつ、
「河内おとこ節」を一生懸命熱唱する美律子だった。

こちらは、06年3月15日発売のオリジナル・アルバム
『野郎たちの詩(おとこたちのうた)です。
全12曲中11曲目までが台詞入りで
江戸〜昭和までの野郎たちが描かれており、ラストの曲で
それらの男を女が迎え入れるという内容。力作です。

(CD:TOCT-25916 \3,100)
 曲目 作詞/作曲/編曲○曲風
1・海を見ている座頭市 ちあき哲也/船村徹/蔦 将包○座頭市の道中もの演歌。セリフも楽しい
2・木枯し街道 阿久悠/弦哲也/前田俊明○旅人と女性の心中を使い分けたロカビリー演歌
3・忠太郎祭り唄 ちあき哲也/船村徹/蔦 将包○「瞼の母」の主人公の寂しさを綴る
4・仁吉とお菊 吉岡治/四方章人/池多孝春○愛情よりも仁義を取る男性とそれを想う女性の掛け合い
5・夜もすがら踊る石松 阿久悠/杉本真人/南郷達也○ヒップホップダンスと組んだ都都逸入り演歌
6・昭和の忘れ者 里村龍一/山口ひろし/南郷達也○強情に生き続ける男性の意志の強さと寂しさを歌う
7・馬喰一代 もず唱平/富田梓仁/矢野立美○北の大地で生きる男が遠くに住む息子に贈るエールソング
8・親不孝伝 もず唱平/山口ひろし/南郷達也○「3」と関連して親に捨てられた男の孤独を歌う
9・閻魔堂えれじい 吉岡治/岡千秋/池多孝春○森の石松の不器用なほど正直な人生を歌った哀歌
10・河内十人斬り 喜多条忠/岡千秋/池多孝春○文字通り歴史上の大惨事を歌った任侠演歌
11・花いのち 里村龍一/富田梓仁/矢野立美○生涯夢を追いかける中年男性を歌う
12・下津井・お滝・まだかな橋 喜多条忠/弦哲也/前田俊明○下津井で男を待つ芸者を歌った叙情演歌


2006年2月25日 臼井 孝

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