2000年03月08日号 勝手にタケちゃん通信 勝手にたけちゃん通信

 

「12年間ありがとう、フリースクール通信」
   
       
僕が不登校の子どもたちと接するようになって、もう15年が経つ。
いつのまにか、だんだんと「おっさん」「デブ」になっていく僕であるが、
こんな僕を変わらず支え続けてくれた、12年間続いた通信冊子がある。
  
初めて「登校拒否」と呼ばれる子どもたちと接するようになったのは、僕
が大学生のときだった。家庭教師を頼まれて、勉強を教えに行くと、たま
たま、学校を休んでいる子だった。
熱を出しても、学校には必ず顔を出していたような僕にとって、「登校拒
否」とは、僕の無意識な常識や価値観を、もう一度、しっかりと考え直さ
せてくれるものであった。
そして、何よりも、出会う子どもたちの持つパワーとすばらしさに、たじ
ろいだ。
いつの間にか「登校拒否」と呼ばれる子どもたちの家庭教師を何人も頼
まれるようになり、生き生きとした笑顔を取り戻していく子どもたちを見な
がら、僕自身が、満たされるような思いもした。
   
   
しかしながら、人生において、「妥協」という文字を「納得」という文字に
置き換えることは、容易ではない。
子どもたちと接しているうちに、当時、大学生だった自分と、学校との関
わりが、どうあるべきかも考えさせられた。
そして僕自身は、どう生きていくべきだろうかと、暗中模索しているとき
に出会ったのが、松山フリースクールだった。
FさんとTさんという二人の女性が、力強くも、優しく、子どもたちと接して
いる姿を見て、何も気負わなくてもいい、今の自分にできうることをして
いこうと、感じた。
      
そして、「フリースクール通信」という冊子に、原稿を書くようになったの
である。
当時、接していたY子ちゃんが、たけしさんも書いてみれば、というので、
岡本核のペンネームで、何気なく創刊準備号に、一緒に書き始めた。
自己紹介から始まり、いつの間にか毎月20日ゴロになると、ああ原稿だ
とぼやきながらも、実は、書くことが楽しくてしかたなかった。
大阪から東京に来ても、Fさんの原稿催促の電話は、怖くもあり、楽しみ
でもあった。

松山フリースクールの子どもたちにも分かるようにと心がけながらも、周
りの人々に、そして、自分自身に発信している文章のようでもあった。
  
今思い起こせば、僕のフリースクール通信での12年間のテーマは、
「のらりくらり」である。
一生懸命やっても、のんびりやっても、常に自分では、一定のスピードを
保っていよう。そして、人からみたら、のらりくらりしているように見え
ても、自分に誠実に生きよう。まじめそうに見られても、のらりくらりし
ていよう。
ひたむきな自分と、半端な自分を形容して、自分をこの言葉に集約した。
    
毎月1回、1年に11回(8月→なし)、そしていつの間にか、120号
になっていた。(創刊準備号5刊も含めると、12年!!)
120号が、最後の原稿だということを、Fさんから電話で知らせてもら
ったとき、いよいよ最期がきたかと思った。

以前、Fさんと電話で話したとき「私たちの役目って、もう終わったよね」
と話されたことがある。
フリースクールの数が急速に増え、認知され、「登校拒否」から「不登校」
へと言葉も変わった。一つの時代は、もう完全に幕を開けたのだろう。
これだけの数が増えれば、たしかに、僕たちの役目は、希少価値ではない
だろう。でも、子どもたちと接していると、登校・不登校に限らず、まだ、
やるべきことがたくさんあると思うのだ。

Fさんだって、いろいろ思うことがあるのだろう。しかし、どこかで区切
りはある。今は、このフリースクール通信の巻末に、ずっと、原稿を書か
せてもらったことに、本当に感謝している。僕自身が、書くことで、癒さ
れたり、新たな気持ちを持ち続けることができたからである。
  
    
     
最後の原稿
 
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KAKU OKAMOTO
120
  
僕は、いつもうろうろと、何かを考えながら、
てきぱきと、いろいろ動いている。...。
そして、僕がいつも考えてきたのは、
「僕がいかに生きるか」ということだろうと思う。
学校では、決して答えの出ることがなかった、
そして、今も右往左往しながらも、ときどき
道標しか見つけることができないこの問いは、
永遠に答えが出ることはないかもしれない。
  
けれども、今をたしかめながら生きることが、
その問いに、誠実なことかもしれない。
  
そして、いつの間にかそれは、
「僕がいかに人と生きるか」であったり,
「僕がいかに地球と生きるか」であったり、
「僕がいかに僕と生きるか」であったりもする。
  
でも、だらしない自分は、一番自分が理解して
いるし、いい加減な自分は本当によくわかって
いる。そんなときは、
「僕がいかに笑いながら生きるか」であったり、
「僕がいかにふてぶてしく(心身ともに!?)
生きるか」であったりしてもいいと思っている。
  
もしかしたら、つけたす言葉をさがすのが、
この問いなのかもしれない。
 
「僕がいかにのらりくらり生きるか」なんて、
のらりくらり考えながら。
  
  
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12年間の「フリースクール通信」、こんな僕に巻末を与えてくれて
いつもギリギリの原稿を待っていてくれたことに、心より感謝します。
僕自身が、KAKU OKAMOTOのファン?!でした。
自分自身を考えさせられ、成長することができたと思っています。

 
寂しさが ありをりはべり 冬空に
            雨はゆるりと 服を濡らしながら   

 

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