2001年05月22日号 勝手にタケちゃん通信 勝手にたけちゃん通信
「西表島滞在日記」編
沖縄にハマル人は、数多い。
いったい何がいいのだろう、何が魅力的なのだろうと思いながら、
しかし、この僕も紛れもないその一人になってしまっている。
石垣島〜竹富島に行って以来、久米島、沖縄本島、宮古島へと
旅した。行くたびに、それぞれの島の良さがあるんだよなあと感じ
ながら、いつしか、八重山諸島全てに渡りたいと思うようになって
しまった。八重山で一番大きい「西表」に行きたくなってしまった。
何かがある予感がした。
僕たちは「マリンペンションたいら」に滞在した。三線を弾いて
くれて、謡ってくれるお父さんがいるという理由からだ。
三線って、なんだか心が和む。沖縄の三線の音は、どこか、のん
びりしていて安らぐ。
お父さんの三線は、誠実で、親しみがあり、暖かかった。
歌声にも響きがあった。お父さんだけでなく、お母さんも子供たちも、
ヘルパーの女の子も「たいら」に泊まりに来る常連の人たちすべてに、
楽しさと魅力があった。
出逢う西表に住み続けている人たちも、優しく、気さくだった。
「たいら」の子供たちが、遠足で鳩間島に出かけることになった。
「今日は、鳩間島の方にダイビングにでかけましょうか?!」
お父さん、子供たちが心配?(^0^)
でも、僕たちも鳩間島に出かけられて大喜び v(^0^)v
鳩間島は、のんびりしていて、海も輝くようにきれいさぁ。
青空と、透き通る海。そよ風が気持ち良かったさぁ。
(ちゅらさんの「おばあ」な感じのナレーションでどうぞ)
毎晩、お父さんの三線を聴きながら、特製のパイン泡盛を飲み、
話をした。僕たちはキャンプする予定をやめ、三線を聴きながら
3泊した。(エアコンや洗濯機も無料で、素泊まりで1泊が2000円
だったんですよ! (T0T) )
4、5日目は、予約を入れていたので、他の宿に泊まった。
だが、もう、お父さんの「たいら」に戻って、三線を聴きたくて仕方
なかった。宿のキャンセルができなくて残念だった。
するとお父さんは、「来ればいいさあ。夜は、こっちに泡盛飲みに
来ればいいさぁ」と。お母さんも「おいで。ゆっくりお父さんの
三線聞きにおいで」と優しく僕たちに言ってくれるのである。
結局、西表島にいる間、毎晩「たいら」でパイン泡盛をごちそうに
なった。毎晩、お父さんの三線を聴かせてもらった。
ちょっと合いの手も上手になった!?
♪ サー、君は野中のいばらの花か
♪ *サーユイユイ
♪ くれて帰ればやれほに引き止める
♪ *マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー
(安里屋ユンタという曲。*印は僕たちが謡うのだ)
自分たちの気持ちの和みと、過ごす時間の、のんびりさがあった。
損得ではなくて、一緒に時を過ごす暖かさ、楽しさが西表島にあった。
まだまだある、沖縄、八重山の魅力。
僕たちの社会は、やはり何かをなくしてしまっている。
僕たちは、このままでは、あまりにも、自分たちの生活や、命に
無気力になっていく。自らの命を育まなくては。自らの命を輝かせて
いたい。息吹を感じていたい。命と心を、西表島のお父さんの歌声の
ように、響きあるものにしていたいと思う。
その後、石垣島に戻り、知人のダイブショップで潜り、コブシメの
産卵を見た。もずくを採って帰り食べた。泡波(波照間の幻?の泡盛)を
見つけて飲んだ。石垣の海が輝く絶景の高台から海を眺め、深呼吸した。
石垣も、まだまだ奥が深いのでございます(^-^)
次は黒島?新城島?小浜島?波照間島?
まだまだ、続くぞーー!
がんばろっ!
(^0^)
危険な?旅のメモ (^0^) ***************
八重山諸島...西表島、石垣島、波照間島、黒島、
鳩間島、竹富島、小浜島、新城島
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