2002年04月04日号 勝手にタケちゃん通信 勝手にたけちゃん通信
「旅をする シパダン」編
スキューバダイビングを7年前に始めてから、僕の生活は、ちょと変わった。
もともと海が大好きだったけれど、スキューバダイビングと旅がいつも、
心の片隅にあり、旅をすることが心の支えとなるようになった。
今回のシパダンへの旅を、日記風に綴ってみたので、お時間のあるカ方は
読んでくださいね。
03月16日(土)
器材をスーツケースに詰める。うーーん、25キロぐらいありそうだ
なあ。国際線で預ける荷物は、通常20キロ以内だ。
レギュレーターを機内持ち込みにまわして、23キロ、たぶんセーフだろう。
成田を出て6時間後、クアラルンプール到着後、さらに国内線でコタキナバルへ。
夜10時、コタキナバルの屋台でビールを飲みながら、やっと旅が始まった
気持ちになる。
ダイビングとは、なんぞや。
自分に問いかけながら、なぜか、明日には、きっと答えが
青空の下に転がっているだろうと確信して、のんきにビア〜ビア!
03月17日(日)
早朝、コタキナバルから国内線でタワウ空港へ。車でセンポルナ港まで
行き、さらにボートでシパダンへ。
なんてシパダンは、遠いのだろう。
しかし、シパダンに着き、ダイビングの準備を進めるうちに、
照りつける太陽と、身体を包み込むような海からのそよ風が、
全てを忘れさせてくれる。
海に潜降。外の音が遮断され、海の中の音に守られ、
地球の呼吸と、自分の呼吸が会話を始めるような気持ちになる。
僕は、この一瞬が好きなのだ。海に包まれたこの時間が好きなのだ。
カメが僕の横を通り過ぎる。
カメは、ブクブク空気を吐き出す人間をどのように思っているのだろう。
人間って、なんぞや。
03月18日(月)
快晴の青空を眺めていると、このうえなく幸せな気持ちになれる。
しかし、シパダンでは、1日1度、爆音を立てて、軍用機が島の上を通過する。
僕の滞在したホテルのスタッフに、2年前、ゲリラに誘拐された人がいる。
この地域は、日本の外務省に、今も危険度2と指定されている。
人類の戦いの歴史は、渦巻いている。
平和ボケな僕たち。日本では、アーミー服さえファッションであり、
安穏な生活を送っている。
この青空、透き通る海。僕たちは、この作られた平和に安堵し、享受する。
平和とはなんぞや。もう一度、この問いを自分に向け、空を見上げる。
03月19日(火)
スイスに住んでいたJoeという37歳の男の人、仕事をfinishして、
放浪の旅をしている。Joeは、他人の話をとても熱心に聞く。
ツッコミも的を射ていて、彼のリラックスした感じが伝わる。
さりげない人生の旅を僕もつかんでみたいなあと思う。
自分に問う。
僕にとって、旅を終え、石垣に住みたいと思う気持ちとは、なんぞや。
03月20日(水)
シパダンでは、カメの産卵を保護し、子ガメを海に戻している。
のそのそと歩いて海に向かう子ガメは、本能によって、
海に向かうスピードを加速させる。
僕たちは、子ガメの通路を妨げないように、傍らで応援する。
海に泳いでいった子ガメ達は、これからどのような生活をするのだろう。
そのとき、子ガメめがけて、ヒューッッと鳥が飛んできて、
水面に近い子ガメをさらっていった。
生きる世界は厳しい。僕たちは、ただ見つめるだけである。
命とは、なんぞや。
03月21日(木)
ダイビング100本目を、シパダンにて迎える。
リゾートダイバーでも、100本は、自分でもとても区切りだと思う。
人生には、やはり節目が、何回も訪れるだろう。
今まで自分にとっての節目は、3回訪れただろうと思う。
僕の心の位置づけ、僕自信の生き方、積極的に生きること。
次に訪れるモノは何だろう。
生きるとは、なんぞや。
03月22日(金)
クアラルンプールの市内バスに乗ると、マレーシアの人々の生活があった。
その国の人々の、生活している表情に出逢えるとき、旅をしている実感がわく。
そして、また僕は、次の旅を見つけようとしている。
僕の旅は、終わらない。
きっと答えが見つからない。
自分とは、なんそや。
僕の旅は、自分を見つける旅だろう。
03月23日(土)
生きることは、いくつもの困難が待ち受けていて、つらいこともたくさんある。
けれど、生きていることは、ただそれだけですばらしい。
楽しいことの後には、どーーんと落ち込むことだってある。
しかし、人と生きることは、ただそれだけで、
人の気持ちを見つめ、暖かい気持ちになれる。
僕は、これから、どのように自分を生きていくことができるだろうか。
僕は、これから、どのように関わっていく子どもたちに、
気持ちを伝えることができるだろうか。
僕は、僕として、生きていく。
そして、キミは、キミらしく生きていく。
心の接点とは、なんぞや。
ほんのたった一つの接点が、僕たちの心をわき上がらせるモノならば、
そんな幸せのひとときはないだろう。