7月10日  デンマーク

 

今日の日記はちゃんとワールドカップのお話を語りたいと思う

あのワールドカップという宴が終わり、はや数日
皆さんも一度は見たと思う、いや必ず見たと思う

その中で、皆さんが印象に残ったことは何ですか?

ブラジルの優勝ですか?
お隣・韓国のベスト4という躍進ぶりですか?
『青の戦士』たちの16強の活躍ぶりですか?

「誤審のひどさばかりが印象に残った」という人もいるでしょうが、
この件に関しては後日語りましょう・・・

かく言う私が印象に残ったこととは、あの国のことである


デンマーク、皆さんはこの国をご存知ですか?

まずは簡単にデンマークという国の紹介をしましょう


デンマーク・・・
正式国名「デンマーク王国」
北欧の端に位置し、面積は43000平方キロメートル、北海道の半分ぐらい
首都はコペンハーゲン、人口は531万人
いたって小さな国である
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する

これはボクの経験なんですが・・・デンマークをはじめとした北欧の国々は
異様なほどに税金が高いんですよ。まずは日本でいう消費税が最低20%はかかる
『サービス税』なんてものも含めるとたいてい30%〜40%近くの税金が課税される

ですからね・・・北欧に旅行に行ってショッピングしようと思うなら
アメリカとかの感覚で行くと『えらい目』に合いますから^^;

ま〜〜税金高い分いい面も、もちろんあります
これらの国は福祉の充実度が世界トップレベルなんですよ
税金高いのは福祉のためなんでしょう
老後に住むにはこれ以上ない環境の国ばかり^^;

余談を入れちゃいました・・・・話をデンマークに戻そう・・・(・。・)


かのデンマーク、サッカーについては他の欧州国に遅れをとった
デンマークサッカー自体の歴史は古いのだが・・・
世界に躍進しだしのは、つい最近のことである

欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年
この80年代から、世界がデンマークのサッカーを認めだした

このころから、彼らの躍進ぶりとスタイルから世界のサッカーファンは彼らのことを
ダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである


そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった
2大会連続、3回目の出場を決めたデンマーク

(↑ボクのデータですから・・・間違えてたらゴメンです^^;)



そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた

キャンプ地の説明は今ここではしませんよ^−^;
テレビでキャンプ地のことは何度か流れていたと思うし・・・

例を上げれば・・・そうですね
遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村
ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島
これらが有名でしょう・・・

そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった
デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた
この一報に和歌山県の関係者は涙したという

和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という
それだけの理由だった・・・(・。・)


お茶らけはこれぐらにして、ここからは少しまじめに語ります
デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう

それらを見てきた皐月パパの感想なり、想いを入れて書きたいと思う

ですから・・・今日は『落ち無し!』で参ります♪^−^;


では!真剣に書いていきましょう


読者の方々でもデンマークってどんな国?と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と
思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;

アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていても
どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです


もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという

「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」

「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」

「う〜〜ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」


デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である

最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった

この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う


ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは
非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)

練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ
一緒にミニサッカーを行ったりもした

この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという

そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた

練習後には気軽にサインに答える選手たち

監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした

この監督にある記者が聞いた

「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど
デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた

すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた

「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが
喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」


このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう

ホテル入り初日のことである

デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた

「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・

それは食事の問題であった

ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった

他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を
言われたという事を彼らは聞いていた・・・


デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った

こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って
挨拶にいったんですよね」と言っていた

その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた

そして通訳を介し、監督に聞いた


「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた

するとオルセン監督はこう答えた

一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・

この言葉に驚いた支配人とコック長

「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」

「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も
そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している
全てをあなたたちにお任せします」

「あの〜〜他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」

この言葉にオルセン監督はこう言った

他国は他国、我々は我々です

この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた

さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという

「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」

緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長

そして、コック長に聞くオルセン監督

「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた

この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた

「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・


するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った

「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った

この言葉にコック長は大変感激した

「世界の代表監督が、あんないい人だったからね〜〜
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた

この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった

最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた

「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが
日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた

デンマークは国民の9割がプロテスタントである
神への祈りを終えてから食事を始める

この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである
これに答える通訳

「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど
たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた

すると彼は・・・
「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた
これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った

その言葉に彼は顔の前まで手を上げる
「そうそう!」と答える通訳

そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた
それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた
この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち

コック長は言った
「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに
外国の人にあんなことされたらね〜〜むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・

この最初に手を合わせた選手の名を・・・


トマソンといった


このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ
デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼

彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ


トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい

それはある握手会でのことである

デンマークというチームは前述したように
練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った

練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った

そのひとコマの話である

あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった

あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた

その最中のことである

トマソンの前にある少年が立った

彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた

後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた

トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた

意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった



ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください
」と・・・


その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・


だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・


手話で語りかけた

その『言葉』に驚く少年と母親

再度聞くトマソン・・・

「手話はわかりませんか?」と・・・

それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った

「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った

手話を万国共通と思う人が多いのだが
国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う

「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン

そして彼は通訳にこう言った

ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳

トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った

後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった


「君はサッカーが好きですか?」

「はい。大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい。あの聞いていいですか」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」


この少年の質問に彼は答える


「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・

その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った

「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」

この言葉に黙ってうなずく少年

「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った

このやり取りに涙が止まらない母親

この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した

そして、トマソンは最後に少年にこう言った

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」

この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた

「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親

ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った

「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と
涙を流し、笑いながら言った・・・・


そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった

こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパも
いっぺんにファンになってしまった^^;

1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・

もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた

オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・

和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである

そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた

その声に皐月パパは叫ぶ

「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^;

だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった

デンマークはイングランドに0−3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという


県民の涙雨だったのかもしれない・・・・


負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・

だから、彼らは行なった

デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた

その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた

そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた

少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける

そして、トマソンは少年にこう語りかけた


「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた

これに少年は答える

「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・

「ありがとう」と言うトマソン

そして、この少年にトマソンは言った

「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」

「はい」

「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」

「はい」

「神様は君に試練を与えたけど、君にも
必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った

この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った

そして2人は・・・

「さようなら」

「頑張って」

という言葉を残し彼らは別れを告げた

最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人

この写真は少年の宝物になることだろう

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・
彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない

小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。



 

 


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(皐月パパさんの文章を転載させていただきました。以下は、転載にまつわる話です)
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先ほど、受信したメールを全て拝見した。じっくりと熟読させていただいた

多くは前述したように『同じ想い』を持ってくれた方からのメールばかり
これらの方には、感謝デス^−^;

そして、同時に同じような内容のメールが多数あったので
今日はここでこれらの方に、まとめてお返事したいと思います

まず、多かったのが以下のような内容・・・
メールの一部分を何点か抜粋させていただきます
(これも事後報告でスマンです^^;)

>7/10の日記の「デンマーク」の会を、僕のサイトに転載させてもらえないかと
>思ったのです。もちろん、出所はハッキリさせます

という・・・こんな内容や・・・

>ただ、管理人サンが、「個人HPみたいだけど紹介して大丈夫かな?」
>って言ってるの見て、心配になって。。確認しようと思って。
>よかったでしょうか?(いまごろおそい?)

こんなのや・・・

>10日の日記に感動し、文中にリンクを貼りたいと思っています。
>もちろん本文は皐月パパさんの著作権なので抜粋/引用はいたしません。
>自分なりに感じたことを書こうと思っております。
>もし御迷惑でなかったらお許しいただけるでしょうか?

こんなのとか・・・

>「デンマークチームのキャンプ地での話」として
>こちらのページにリンクを貼らせて頂きました。
>後先になりましたが、御報告まで。
>皐月パパ様のサイトのスタンスを存じませんので、もしも非公開のサイトであった

>リンクすることに問題があるようでしたら、すぐに削除しますので
>その場合は御連絡いただけると幸いです。

こういった内容へですが、これらへのボクの考えですが、一言で言うと・・・


好きにやっちゃってください^^;

皐月パパの日記を読んで、それをどう扱うかは読んだ方のご自由
どう扱われようが、何とも思いませんよ

某大掲示板で書かれたような
祭りたいホームページ!とか
こいつをみんなで泣かそうぜ!なんて感じで
紹介されると少々困りますが・・・(・。・)

あれはビックリしましたよ〜〜〜
「後輩にこんな事書かれてますよ!」なんて言われて
見に行ったら、ボクのホームページの事も出てるし・・・・
そりゃ〜〜あせりますよ・・・^−^;

あそこでは「祭りたい」って「葬る」って意味でも使うことをあの時、初めて知った
ボクですね、愚かにも最初は「あがめる」意味の「祀る」=「祭る」だと思ったんですよね・・・

後輩に「俺って尊敬されてる!ってことか?」と聞いたぐらい・・・知らなかった
「違いますよ!バカにされてるんですよ!」って後輩に怒られたのも今は昔・・・(・。・)
あれは今思えば恥ずかしい話ですな・・・・^−^;

それに「泣かそうぜ!」なんて書かれたんですよ?
この年になって、30こえてまで泣かされたら
たまったもんじゃないですよ^^;


あ!いかん・・・少し話がそれとる・・・(・。・)

話を戻しましょう・・・・

とにもかくにも、ボクの日記を皐月パパのホームページを何に使おうが
皆さんの自由です・・・それで怒るほど、ボクも『お子ちゃま』じゃない
そんなことで怒るパワーは無駄に尽きます

抜粋、引用、公開・・・好きにしてかまいません
出所なども、ボクに気を使わなくても結構です・・・

皆さんがボクの文章をパクリたいなら、好きにやってください

これがですね・・・仮にね・・・会社の原稿や
たまに書くバイト記事の原稿なら話は別ですよ、まったく違う話になる
その場合は、出版社や会社から金もらって書いてるから
権利はそっちにあるわけでしょ?ですから・・・
「ちょっとそれは・・・・」という話になりますが・・・

しかし、今回の場合はね〜〜^^;

ボクが好きに書いてる話だから、版権もクソもない
こんなものをボクが書いた物をどう扱うかは皆さんの自由ですから
皐月パパは「好きにやっちゃって♪」と言うだけですよ^−^;



これに関してはこれぐらいで・・・

次の質問へのお答えを・・・次に多かったのは以下のようなことだった


>こういう話を新聞や雑誌であまり見かけなかった
>どんどん書いてほしかった

といった内容も多かった・・・

実はですな・・・チラッチラッとだけはボクも書いたんですよ^^;
週1回受け持つ、うちの新聞のコラムでも
2週間に1回書くある雑誌でもチョコチョコっとは書いたんです

ただ、これらのところでは制限があって
行数制限があったんですよね・・・

だから、デンマークの話でも
「監督の器」か「トマソンと少年の約束」という題材で
詳しくは書けなかった

これは言い訳になるのですが・・・
全てを書きつくせなかったと言うのが本音

皆さんは皐月パパの日記を
監督から始まり、トマソンへつないだ文章を読んだから
『想い』を持ってくれたのだと思う
(当然、ボクもそれを意識して・・・酔っ払いながら書いた^^;)

デンマークの話はオルセン監督からトマソン・・・
この流れがあってこそ、『いい話』になるんだとボクは思っているんですよ

あれを断片的に読んだとしてください・・・そうだったなら・・・
皆さんが感じてくれた『想い』は半分、いや半分も無かったと感じる

ですから。。。そういう状況で書いた文章は
印象に残らないものでして・・・書きつくせなかった文章だったから
あまり効果が無かったんでしょう・・・


ま〜〜いつかは好きに書かせてくれるところでちゃんと全部出ると思います

現在依頼されてる、ある出版社からの原稿は
行数制限無しで「好き放題書いてくれ」と言われた原稿は
もういちど練り直して『あの少年』と母親に再度会って
そして話を聞いて、書き直そうと思っています

ですから、『デンマークの話』は少しだけはボクも書いてきたのですが
今回、ここで書いたほど効果は無かったという話なんです^−^;


そうそう!それとこれも答えておきたいんです

メールの中には以下のような内容も多かったんです

>あなた何者ですか?

また・・・こんなのもあった

>7/10の話を保存してほしいです


何者?って聞かれたのが結構多かった
そりゃ〜〜そうですよね・・・今はプロフィールおいてないから
ボクの素性も何もわからんのは当たり前でしたな

あれだけ読めば「こいつ何者なんだ?」って思うのも当然^−^;

前まではプロフィールもおいてたんだけど・・・
ホームページのデータをすべて捨てちゃって
作り直した時に「プロフィールはもうええか・・・」と思い、作っていなかった

というのも、ボクの日記は今回は別として・・・たいてい
新たに読んでくれる人、新規の訪問者はほとんど
「○○さんのリンクから参りました」ってのが多かったんですよ

それらはほぼ、リンク紹介としてボクのこと簡単に説明してあったから
「もう必要ないだろうな」なんて勝手に思ってたんですよ^^;


ま〜〜作ればいいんですけど・・・それも・・・



めんどくさい!^−^;

ですから・・・ここで簡単に自己紹介しておきましょう


新たにメールをくれた方へ。。。。お初の皐月パパと申します^^;

現在31歳♂、妻子あり

職業はご想像の通り、書き屋さん。現在は某スポーツ新聞で日々セコセコ書いてます
入社以来、ずっとプロ野球担当
今回のワールドカップはお手伝いとして借り出されただけで・・・
サッカー担当では無い、いわゆる何でも屋状態って言っていいでしょう
社名はご想像にお任せということで^^;

簡単ではありますが、以上を自己紹介にしておきましょう


そして、もうひとつへのお答えですが・・・

たまにボクの日記で
「保存しておきましょうよ!」などと言ってくれる方がいます
ありがたいことだと思う・・・・

『KIDORAKU』において書いた
バックパッカー時代の話もこの依頼が多かった
バックパッカーの時は高校も進学せずに好き放題やってた時の話ですからね
少年少女への教育によくない!と思うので今は残したくないんです^^;

また、震災時の話にも「残しましょうよ」という意見をいただきましたが・・・
これは気分がのった時に残します^−^;

そして、今回のデンマークの話は・・・
これも気が向いたら残しましょう♪


これでわかりますよね?^^;

皐月パパは気分屋です・・・それに基本的にはかなりの・・・



めんどくさがりなんですよ・・・(・。・)

日記書くのは一日、30分から1時間だけで済むんですが・・・
それ以外は・・・暇なときにやるんですよ
いつかは気分がのれば、また保存ページなどを作ろうかな?とは思っています

ま〜〜いつかは!って話ですから・・・気長にお待ちください♪



それとこれは最後になりますが・・・
これだけは言っておきたい


デンマークの時みたいな『毛色の違う』話はたまにしか書きません

今回は、それをたまたま読んでくれた方が多かった!ってだけのことで
あの手の話は、たまにしか書かない
ボクの想いとかを入れて書く日記はたまにしか登場しない!
ということをご理解ください・・・

普段は、日ごろはボクがちょっと笑った!って話しか書かないんですよ

ボクがたまに書く話で・・・想いを抱いてくれるのは嬉しいのですが・・・
少々戸惑っている。。。今日この頃の皐月パパなんですよ^^;


変なダジャレいれる、おかしな男だということを
これからは思っておいてください・・・(・。・)


これをちゃんとわかっておいてください♪

「こんな事を書く人とは思わなかった〜〜」なんて・・・・・


言われたくないんです〜〜〜^−^;