「心が乾いたときに聴く音楽」編
今日は夕方までヒマな1日だった。
最近、自分の心がなぜか乾いているような気持ちに襲われ、音楽が足りないんだなあという思いがこみ上げていた。
トレイシーチャップマンのファーストが無性に聴きたくて、CDを朝から探していた。
なぜだかとても聴きたかった。
けれど部屋中探しても見つからず、トレイシーチャップマンのセカンドを僕は聴くことにした。
そこでふと思いついたのだった。
こんなふうに心が乾いたような気持ちになったとき、僕の仲間たちはどんな音楽を聴いているのだろう。
早速、携帯で、音楽好きな仲間30人ぐらいにメールを送った。
きっと彼らのことだから、おもしろいネタを提供してくれるに違いない。
けれど、友人たちの反応は今ひとつ。
そりゃ、9月の始まり1日の昼下がり。すぐメールをくれるようなヤツはよほどヒマなのか?、偶然に返信する気分になっただけ?のことなのだろうと思いながらやってきた7人の友人からのメールに返事を打っていた。
久々にCちゃんからもメールが届いていた。
彼女は何を選ぶのだろうなんて考えながらメールを開いた。
しかしそのメールは、彼女のお母さんからのメールだった。
今思えば、「心が乾いたときに聴きたい音楽のメール」を僕が友人に送ろうとしたのは、このメールを受け取るためだったに違いない。
僕はそう確信している。
彼女のお母さんからのメールは、Cちゃんが亡くなったというメールだった。
Cちゃんは僕が東京にやって来た頃の大切な仲間だった。
彼女との思い出がグルグルと駆け回っていた。飲んだくれて店を何軒もハシゴしたなんてことはしょっちゅうだった。渋谷で人目もはばからず長い時間二人でキスしてたこともある。映画を見に行ったあとで討論になったこともあった。下北のロックバー・ピーチに出かけては、好きなミュージシャンの取り合いごっこをしたりもした。
この数年、彼女に会うたびに拒食症でやせ細ってしまっていた。療養のため引っ越していたが、なんとか力になりたかった。今年の4月に東京に来るというので会う約束をした。しかし彼女から連絡はなかった。
どうしたのかなあと思いながらも日々が過ぎていた。
彼女は4月に亡くなっていた。
お母さんは連絡をしようか迷ったらしいのだが、連絡するのをやめたらしい。僕自身が彼女の役に立てれたことはほんのわずかだったかもしれない。けれど、もう少しがんばれたはずの自分が悔しくてたまらない。
拒食症になり始めてからは、以前とは違ったつき合いが始まっていた。
彼女は僕と会うと元気が出ると言ってくれていた。僕らはすでに男女間を越えた親友だった。彼女が疲れているとき、僕はカウンセリングを勉強していて良かったなあと思えるときがあった。
音楽って人の心を膨らますことができるものだと思う。
忙しいときや、自分に深呼吸が必要なとき、疲れているときにこそ、音楽は自分に語りかけてくれるものだと思う。
18歳の時にバイトしたロック喫茶「時計じかけ」で、僕は音楽への新しい扉を開いた。それまで偏った分野でしか聴いていなかった自分へ、多くの音楽を導いてくれた。
自分の過去を振り返るとき、そこに流れる音楽が一緒にあればどんなにうれしいだろう。18のときから僕は自分を振り返るときにメロディーを持つことができた。
しかし最近、音楽から遠ざかる生活が続いていた。音楽が自分に徐々に重ならなくなっていた。だから心が乾いたような気持ちになっていたのかもしれない。
彼女のお母さんからのメールで、僕がCちゃんにあげた紫陽花の花が今年もキレイに咲いていたと言っていた。僕もCちゃんも紫陽花が好きだった。
梅雨に咲く花は多くの水を必要とする。
それは僕たちにもいえることで、より多くの感情に支えられて生きていることを実感する。笑ったり泣いたりする生活だからこそ僕らの命は輝きを持ちえる。多くの涙と、哀しみを取り去る笑顔とがある生活だからこそ、僕たちの心は活動し、潤うことができるのかもしれない。
今日の僕の乾いた心には涙が必要だったのかもしれない。
涙と音楽で心を潤すことができれば、すこしでも彼女への追悼になるだろう。
今日はCちゃんが好きだったトムウェイツのレインドッグを聴きながら、乾いた心に多くの水を流し込もうと思っている。
きっと彼女が僕に知らせてくれたメッセージだと思うから。
心が乾いているなあと思ったとき、あなたはどんな音楽を聴きますか?
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