2004年12月31日号

勝手にタケちゃん通信 勝手にたけちゃん通信

「故郷は遠くなってしまったのだろうか」編


小学校の頃、卒業することがとても残念だった。
こんなにも楽しい時間がずっと続けばいいのに!
小学生のままで時間が止まれば...。
ナルニア国物語やコロボックルのような心の神秘さを持ちえた
小学校時代がずっと続いて欲しかった。

中学時代はさらに自分にとって楽しいものだった。大人への
秘かな扉を開けてゆく自分。友人たちとのかけがえのない時間。
これ以上楽しい時間は一生訪れないだろうとさえ思った。

高校時代、行動範囲も時間も拡がり楽しさももっと増した。
自分にとって、やり残したことはもうないだろうとさえ思った。
世の中の大人への対抗図式が自分の中で大きくもなった。
毎日がアッという間に過ぎてゆき、20歳になる前にこの世から
いなくなったとしても何の後悔もないとさえ思った。

高校卒業後、故郷の松山を離れ、浪人時代〜大学時代、
さらには社会人として自分自身で考えて動く時間を持つことができ、
今を生きる楽しさに満ちあふれていた。
いろいろな事情で動く人との出会い、不登校の子たちとの出会い。
何か自分の役に立てることや他人と自分との間で
自分を生きることとはどうのようなことだろうと考えていた。
20代を終えるときも、30代になっても自分の中でテーマは徐々に
変化した。そんな中で「自分を他人と生きる」という一つのテーマを
軸に活動を続けてきたように思う。
いつの1年間も充実していたと思える自分がいた。


なんてカッコイイように書くと、誤解も多々生まれそうだけれど、
そう、要するに、モノゴトにクヨクヨしない、こんな能天気なヤツなの
である...。
40間近になっても、自分に対してあまり危機感がない、体重も
どんどん増え90`手前で足踏み状態。
しかしながら自分に余裕をかましてしまうのである。

テニスを続けてもこれ以上、上達することもないだろうと実感して
いるハズなのである。ハズなのだが、隣で高校生たちが部活を
している姿を見ると、負けられない意識がメラメラとわき起こり、
飛び跳ねながらアプローチしたりして筋肉痛を引き起こしている
のであった...。

いつまでも若いつもりでいて、ノーバウンドで取れるつもりが
3バウンドしてしまっている自分に苦笑いしつつも、まだノー
バウンドで取れるときはあるだろうと楽観的なヤツなのである...。

そんな能天気な自分だが、今年は自分にとっていつもと違う
1年になった。故郷である松山に必ず1年に1度は帰省していた
のだが、とうとう今年は一度も戻ることがなかった。

故郷の友だちはバラバラになった。小学校の友だちなんて
みんな繁華街に住んでいたため、バブル期に土地を手放した
家族が多く、元の家に住んでいる友だちはほとんどいない。
中学での友だちも同様に引っ越しに引っ越しを重ね、連絡が
取れなくなったヤツばかり。高校のときの仲間は、一人の友だ
ちの死から自分自身がもう一度時間を紡ぎ直す自信がない。
だんだんと東京しかも池尻近郊の友人たちとのつき合いが
多くなるようになってきた。

故郷の松山は遠くなってしまったのだろうか。
父母は健在だが、いつでも会えるという安心感が大きい。
故郷の友だち同様、自分の家も引っ越しを重ねたため、
父母の家に戻っても自分の家のような気がしない。
以前住みなれた家の周りを通ると、浦島太郎状態。あまり
にも変わっていて一人ノスタルジー。孤独感が襲ってくる。

そうなのだ。故郷はうれしくて懐かしいものだけれど、
と同時に自分にとってもう戻れない時間、孤独感を突きつけ
られる場所でもあるのだ。
ナルニア国物語やコロボックルに心を奪われたあの少年
時代の心の響きにはもう戻れない。いつまでも同じ時間は
続かない。そのことが分かっているから簡単に近づけなく
なってしまったのだ。

映画ニューシネマパラダイスのように、故郷への思いが深い
ものであるからこそ、その郷愁が自分を揺れさせるのである。
父母に会い、祖母に会い、死んだ友だちや叔母の墓に向かい、
故郷の友だちと久々に会う。それだけでも自分の心は満たさ
れる。その後の自分に向かい合うことさえできれば。

こんな親不孝な能天気な自分にも、郷愁や孤独感はつきまとう。
だからこそ今の時間にここで出会える人たちとの時間を大切に
しなければ気が済まないのかもしれない。
今ここで、関わり合える多くの人たちとたくさんの時間を共有
できている自分がいる。気になっているけれど、時間を共有で
きていない仲間もいる。いつもそんなふうにいろいろ思いながら
生きている自分を自分らしいとも思えるようになった。
この1年も自分らしく生きれたと思う。そして来年も自分らしく生き
ようと思う。
だからね、
『松山はもう遠いところ」とかつまらんことぬかす、ばかたけしに
さびしさを感じつつ』とメールをくれる友だちの言葉をしっかりと
受け止めて自分を生きようと思っている。

みなさんも2005年、楽しい時間を。
そして僕自身も楽しい時間を持ちたいと思っています。
負けませんよ!(^-^)

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