第2 世界観と世界の生成 |
古事記冒頭は唐突だ 神話を名乗るのであれば,この世界や人間がいつどのように発生したのか,天と地と太陽と月と星がいつどのようにできたのかを語ってほしいものです。我々がなぜこの世界にいるのかを語ってこそ,神話というものです。 しかし,日本書紀も古事記も,人間の発生については何も語ろうとしません。無関心です。一般の人々は,単なる労働力としか考えられていないかのようです。星に関する伝承も,ほんの断片があるだけです。要するに,時の権力者が作成した,時の権力者にとっての神話でしかないのでしょう。そうした限界があります。 日本書紀は,世界の生成を,陰陽2元論という中国哲学の借り物をもって説明することから始まります。そして,天と地が成って,その中に「神聖(かみ)」が生まれたとしています(日本書紀第1段)。自然の中に神が生まれたという思想です。この点日本書紀は,神話らしいと言えるでしょう。 しかし古事記本文冒頭は,いきなり,「天地(あめつち)初めて發けし時(ひらけしとき)」,「高天原(たかまのはら)」に「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御座巣日神(たかみむすひのかみ)」「神産巣日神(かみむすひのかみ)」が生成したとしています。そしてこれら3神は,「獨神(ひとりがみ)」となって身を「隱した」といいます。 いかにも唐突です。有無を言わせぬ大前提として高天原という世界と高御産巣日神ら3神をもってくるのです。この,高天原と高御産巣日神ら3神が,古事記の特徴であり世界観なのです。
この世界観は,いったいどこからやってきたのでしょうか。 じつは,日本書紀に手がかりがあります。日本書紀第1段第4の一書の,さらに異伝として紹介されているのです。岩波文庫版日本古典文学大系本の行数でいえば,たかだか2行程度です。 ここで日本書紀神代の巻(巻第1,巻第2)の体裁を説明しておきましょう。日本書紀神代の巻は,第1段から第11段までの本文を軸として,それぞれに,異伝である「一書(あるふみ)」が羅列されています。本文の次に,「一書に曰(い)はく」として始まるものがそれです。本文の補足にすぎない短いものから,本文以上のボリュームをもつものまで,さまざまです。内容も,本文と矛盾するもの,本文そっちのけで全く違う内容のものまであります。 日本書紀編纂者は,唯一絶対の神話を作ろうとは考えていなかったのです。 ですから,高御産巣日神ら3神がいる高天原という世界観は,日本書紀に残された異伝の,さらにまたその中で紹介されている,極めてマイナーな世界観であるとしか言えないのです。日本書紀編纂者が公定解釈として取り上げなかった世界観なのです。 だからこそ日本書紀本文は,「高天原」という用語を使っていません。本文では「天」ないし「天上」となっています。第6段本文で「高天原」が出てきますが,これすらも,テキスト自体に問題があり,本来は「高天」だったのではないかと言われています(神野志隆光・古事記・174頁・日本放送出版協会)。高御産巣日神(日本書紀では「高皇産霊尊」)も,日本書紀ではまともに扱われていません。詳しくは日本書紀の神話を論じなければなりませんが,とにかく,国譲りという名の侵略と天孫降臨を語る第9段に至って突然,命令者として登場するだけです。それまでは,まったく無視されていると言っても過言ではありません。 よくよく考えてみれば,神名も胡散臭いようです。3神の1つ,天の中心という意味の天之御中主神は,哲学的臭いがします。庶民の伝承に登場する神だとは思えません。 このように,古事記は,日本書紀編纂者が極めてマイナーな世界観にすぎないと判断した世界観を,本文冒頭にバーンともってきて,神話らしきものを語り始めるという体裁になっているのです。
ここで,ちょっと理屈をこねてみましょう。 いきなり「天地初めて發けし時,高天原に成れる神」ときていますが,ならば,「天地」の「天」と「高天原」はどう違うのでしょうか。同じなのでしょうか。 と言うのも,このちょっと後に,「天之常立神(あめのとこたちのかみ)」が生まれてくるからです。これは,「天」を支える根源神です。ちょっと変じゃないでしょうか。「高天原」と3神は,何はなくとも世界に最初に生成してきたはずでした。無前提の大前提なのでした。ところが,そのあとになって,「天」を支える根源神が生まれてきたとは,これいかに。 古事記冒頭を整理すると,以下のとおりです。 @ 「天地初めて發けし時」,高天原と3神。これは獨神となって身を隠した。 古事記は,高天原と3神をバーンともってきたくせに(@の部分),世界生成神話を無視するかというと,そうでもないのです。日本書紀第1段と似たような表現で,世界の生成を語ります(Aの部分)。天之常立神の神は,ここで生まれてくるのです。 ここで日本書紀を振り返ってみてください。日本書紀本文は,「天」という世界観を採用し,「高天原」というマイナーな世界観は採用しませんでした。古事記はどうでしょうか。どうやら,「天之常立神」という,「天」という世界観に登場する神を出現させながらも,強引に,「高天原」世界観を冒頭にくっつけたというのが真相のようです。 古事記のへんてこりんなところは,すでにここから始まっているのです。
これについては,学者さんの意見を聞いておきましょう。 しかし,古事記をよく読んでみてください。古事記ライターは,明らかに,神々をグルーピングしています。「天地初めて發けし時」成った神。「海月なす漂へる時」成った神。そして,「次に成れる神」。これらを無視してはいけません。 上記@からEをじっとにらんでください。Aまでが天上界に成った神(だぶった世界観ですが)であり,C以下は地上界に成った神ではありませんか。古事記ライターは,@とAを,「別天つ神」としてまとめています。「天」に成った特別の神というのです。そしてCでは,何よりも「國之常立神」,すなわち国土の根源神が生成してきます。その次は,「豐雲野神」。葦原中国を覆う,湿潤で豊かな雲の神です。雲は天にあるものですが,豊かな国土を覆う雲として,むしろ,地に引きつけて語られています。
さてここで,古事記の世界観,世界生成神話をまとめておきましょう。 「次に,國稚く浮きし脂の如くして海月なす漂へる時」,というのは,日本書紀第1段の天地開闢の場面,「開闢(あめつちひらくる)初に,洲壤(くにつち)の浮れ漂へること,譬(たと)へば游(あそ)ぶ魚の水上に浮けるが猶(ごと)し」と同じ発想です。日本書紀は,このあとに,天地の中に神が生まれたと続け,さらに国常立尊以下の神を語ります。すなわち,天地がまずあって,そこから神が生まれるという思想に続いていくのです。 古事記はどうか。上記@の部分を頭の中から消して,古事記を読んでみてください。古事記もまた,Aで天地開闢思想を語っています。そこから,神が生成する核のような物,「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物」から宇摩志阿斯訶備比古遲神が生まれ,それが天に向かって「萌え騰(あが)」って,天之常立神が生まれます。こうして,「天」を支える神が生まれるというのです。 地はどうでしょうか。それがBの國之常立神であり,豐雲野神です。国土を支える神と,国土の上を覆って豊葦原中国を造る,湿潤で豊かな雲の神です。こうして「天」と「地」が生成され,いよいよD以下で,身体をもつ形象化された神が次第に生成されます。その最後に成るのが,伊邪那岐命と伊邪那美神です。男女が誘い合う神です。
どうでしょうか。きちんとした天地開闢神話が語られているではありませんか。その頭にくっついた高天原と3神(@の部分)が,邪魔になってきませんか。 古事記ライターは,日本書紀に語られているような,日本古来の天地開闢神話をよく知っていました。しかし,何らかの事情で,@を冒頭に付け加えたのです。その結果,「高天原」がすでにあるのに,「天」の根源神,天之常立神が生まれてくるという矛盾が生じてしまったのです。
さて,そうなると,古事記ライターは,なぜ高天原と3神の世界観,日本書紀編纂者がマイナーだと判断した世界観を,古事記冒頭にくっつけたのでしょうか。 後にも述べるように,古事記は神生みに非常に熱心です。生まれてきた伊邪那岐命と伊邪那美命は国を生み,さらに続けて神々を生みます。その神生みに対する古事記ライターの熱心さは,日本書紀など比ではありません。神々を羅列し,整理し,君たちの周りにはこんな神がいるんだよと説明する古事記ライターの執念は,とてつもありません。古事記を読んでいて,ここで挫折した人も多いのではないでしょうか。とにかく辟易するところです。私には,神話の世界から縁遠くなった人々に,由来がわからなくなった神を語り,後世に残したいという執念さえ感じられます。 とにかく古事記は,こうした神生みの果てに天照大御神ら3神が生まれてくるという構成になっています。伊邪那美命は,神生みの過程で火の神迦具土神(かぐつちのかみ)を生み,焼かれて死にます。夫の伊邪那岐命は,伊邪那美命を追って黄泉国へ行きますが,地上界に戻ってきて,黄泉国での穢れを祓い落とすために禊ぎをし,天照大御神ら3神を生むのです。 その天照大御神が,天皇の皇祖神となるのです。古事記ライターは,「言依さし」の思想を強調します。「言依さし」とは,天照大御神による支配者の指定です。古事記の文言で示すならば,「我が御子(みこ)」こそが後継者であり,葦原中国を支配すべきであるという思想です。 何となく天孫降臨という言葉を使ってしまいますが,古事記をきちんと読むと,じつは「我が御子」の降臨,すなわち天子降臨として企てられたものであることがわかります。天照大御神は,あくまでも天子降臨にこだわっているのです。それがなぜ天孫に変更されるのか。その理由は,後ほど述べます。とにかく,「言依さし」,すなわち血の系譜に基づいた後継者の指定,もっと端的に言えば「世襲」こそが支配の正当性の源泉であり,それ以外は許さないという思想なのです。 要するに,神生みの果てに生まれる,神々しい天照大御神が皇祖神になり,天皇の正当性が基礎付けられるというのです。それが古事記ライターの一貫した主張なのです。だから神生みの叙述は,古事記ライターにとって,天皇の系譜につながる重要な叙述だったはずなのです。いかなる神々がこの世界を支配しているのかは,古事記ライターがよほどのぼんくらでない限り,重要なテーマだったはずです。
話は飛びますが,中国には,天命思想というものがあります。現実の世の中を誰が支配するかは,天命によって定まります。中国の覇権を争った武将たちは,もとは田舎のあんちゃんや,荒くれ者や,峠の追いはぎの親分だったり,さまざまです。若い時のあんなやつが,今では俺たちを支配している。それはなぜか。天命を受けたからなのです。だから人々を支配できるのです。だから偉いのです。 この天命思想によれば,天災が続いて社会が混乱したり民が離反したりすることは,支配者の不徳の表れとなります。すると天命が変わり,革命が起こります。そうして支配者が交替します。こう言うと,何かしら哲学的な響きがありますが,何のことはありません。覇権を争って人を殺し,武力によって成り代わった支配者が,天命が自分に変わったからこれからは俺が支配するという屁理屈です。勝てば官軍,負ければ賊。後付けの屁理屈であり,高尚な要素はこれっぱかしもありません。 余談ですが,諸星大二郎の「西遊妖猿伝」は,この天命思想を,物語を支える背景思想として組み込んだ,永遠の傑作だと思います。 古事記ライターも,天命思想をよく知っていました。当時の中国文献を読む者の常識でした。しかし,よく考えてみてください。天命思想は,言依さしの思想に反しませんか。 天照大御神こそが皇祖神であり,天照大御神以来の「言依さし」,すなわち世襲こそが支配の源泉であると考える古事記ライターにとってみれば,革命思想は邪魔です。とんでもない思想です。天照大御神から続く天皇の系譜は,無条件に,永遠に続かなければなりません。天命が変わるなどという事態はあり得ないし,あってはならないのです。だけれども,輝かしい文明国,中国の思想を否定することはできない。中国こそが文明の源泉であり,それに対抗する文化など,ほとんど何一つない,情けない時代でした。
だとすれば,どうしたらよいか。 天と,そこにいる神を初めから決めてしまい,その神が,天照大御神とともに,天孫降臨を命令すればよいのです。そうすれば,天孫とその子孫たる天皇は,天照大御神の「言依さし」も天命も,ともに受けていることになります。 古事記ライターは,天命を与える天として「高天原」を選び,天命を与える神として高御産巣日神ら3神を選びました。日本書紀の神話を詳細に検討するとわかるのですが,日本古来の神は高御産巣日神であり,天照大御神ではありません。天照大御神など,天武天皇が壬申の乱を制したあと,おべっか遣いの柿本人麻呂に神としてあがめられて,突如日の出のような勢いで信仰された神にすぎません。日本書紀第9段は,天孫降臨という,日本を支配する者の正当性を語る大変重要な文献です。その本文では,高御産巣日神が天孫降臨を命令します。決して,天照大御神ではありません。天照大神はまったく無視されています。 こうして古事記では,天命を下す天として高天原が採用され,本文冒頭に,無前提の大前提の,有無を言わせないビッグバン理論のように登場したのです。 古事記冒頭における高天原と3神の登場も,それと同じではないでしょうか。有無を言わせぬ理屈だからこそ,じつは根拠がなく底が浅い。 それはともかく,古事記における高御産巣日神は,天照大御神と並立する命令神として天孫降臨等を命令します。日本書紀とは違って,そこのところは,しっかりと位置づけられています。だからこそ,古事記冒頭で,勢いよくバーンと登場しなければならなかったのです。
ところで,高天原とはいったいなんでしょうか。大和地方(現在の奈良県)の上に広がった天上界なのでしょうか。 聖書は,神が天と地を作り,人類の祖アダムとイブを作ったとしています。聖書を作った人たちが,人類すべてを含めた壮大な構想をもっていたのか,単なる誇大妄想だったのかは,今となってはわかりません。とにかく結論だけは,文字どおり世界思想でした。ですから,肌の色が黒くても黄色くても,世界全体の思想だとして,その普及に努めることになったのです。決して,世界の片隅の思想ではありませんでした。 高天原は,世界の片隅のちっぽけな世界です。結構意固地な,小心者の思想です。海の向こうに違う世界があることを十分承知していたのに,大八洲国が世界であると言って憚らない思想でした。沖縄も朝鮮も中国も無視しています。人間の誕生も無視しています。 要するに,日本書紀や古事記編纂時の支配領域を語っているにすぎません。そこには世界創成神話がありません。これは,哲学ではありません。
さて,古事記冒頭部分で次に問題となるのは,「獨神(ひとりがみ)と成りまして,身を隠したまひき」という部分です。意味がわかりません。 上記したまとめのうち,@,A,Cの神々について,同じ扱いになっています。すなわち古事記ライターは,単独の神が身を隠すのであって,Dの男女ペアの神々については身を隠さないと考えているようです。 まず,神々が隠れるとは,どんな事態を言うのでしょうか。 たとえば日本書紀では,国譲りという名の侵略を受けた大己貴神(おおなむちのかみ。古事記にいう大国主神。)が,永久に身を隠します。神は死にません。しかし,権威を失っていつき祭る人々がいなくなると,神話の表舞台から去るのです。これを,身を隠すといいます。大己貴神は,国を譲って宗教的権威,あるいは政治的権威を失ったので,出雲の政治,宗教上の表舞台から去ったのです。 繰り返しますが,神は,終末という意味での死を迎えることはありません。その神をいつき祭る人々がいる限り,どこかで生き続けます。一方,祭政一致の政治体制の下では政治と神事は対等です。その神事の場,すなわち神託を聞く場から去ることを,神が去る,ないし隠れるというのでしょう。いつき祭る人々は消滅しませんが,神事という公の場からは消えてしまいます。このことを指して,神が隠れると言うのでしょう。
では,なぜ単独の神だけが身を隠すのでしょうか。 生成した伊邪那岐命と伊邪那美命は,「みとのまぐはい(みとのまぐわい)」すなわち性交によって,国生みと神生みを行っていきます。すなわち,男女,広くいえば陰陽2元論的な考え方が,生成発展の原動力とされるのです。これは,神武天皇以下の物語にもつながる原理です。いかに高貴なお方が,いかなる姫と結婚して,どのような天皇が生まれたか。その系譜を示すのが,日本書紀や古事記の1つの目的です。「みとのまぐはい」が生成発展の原動力であるからこそ,男女ペアの神々は,神話の表舞台で活躍するのです。 これに対し単独の神々は,表舞台に立ちません。多分,神話伝承上最も古い神々だったのでしょう。これは,日本書紀冒頭を検討しても同じ結論になります。
ところが高御産巣日神は,天照大御神と対の神という立場に立っていますし,古事記において最も活動的な神です。少なくとも身を隠してはいません。 たとえば高御産巣日神は,国譲りという名の侵略に際し,天照大御神の「命(みこと)もちて」,天菩比神(あめのほひのかみ)の派遣を決めます。さらに,天照大御神と一緒に天若日子(あめわかひこ)派遣を決定します。国譲りという名の侵略と天孫降臨は,高御産巣日神の「命(みこと)もちて」天照大神が命令します。 先ほど私が説明したことと明らかに矛盾しています。これをどう説明したらいいのでしょうか。 ある学者さんは,現し身(うつしみ)を隠して現さず,ひそめられたところで神々の世界に対して働くと述べています。お言葉ですが,高御産巣日神は,神話の表舞台に堂々と登場して,天照大御神と一緒に主役を張っているじゃないですか。観念的な説明をされても,読者にはわかりません。 ここで,@の部分,すなわち高天原と高御産巣日神ら3神の登場が,古来の天地開闢神話にとってつけた,古事記ライターの作文だったということを思い出してください。A,Cの神々が身を隠すことはわかります。本来はそこから始まる,それだけの伝承だったのです。ところが古事記ライターは,天命思想に含まれる革命思想を遮断するために,@を冒頭にくっつけてしまいました。そして,高御産巣日神が天命を降すという形で,天照大御神と一緒になって命令するという構成を取ってしまいました。だから,本来は獨神で身を隠すはずの@の神が,叙述上そうではなくなってしまったのです。 古事記ライターは,なぜこんな明白な矛盾を放置したのでしょうか。私には,古事記ライターのライターとしての能力がこの程度だったからとしか言えません。それは,おいおい明らかになっていくはずです。
さて,細かいことはさておき,神々の意味を考えてみましょう。 @からEまでの古事記冒頭部分では,神々の名前が羅列されており,初めて読む読者は,これだけで辟易してしまいます。その意味を考えようとしても,学者のつっけんどんな説明しかありません。しかし,神名の意味をつないでいくと,イメージの流れがよくわかります。 Aの部分:国が若く,浮いた脂や海月(くらげ)のように漂っているとき,神が生成する核のような物,「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物」が生じた。それから宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)が生まれた。これは生命や創造の種だ。原動力だ。さらにそれが天に向かって「萌え騰(あが)」って,天之常立神が生まれた。これは天を支える根源神である。 Cの部分:その次に国之常立神が生まれた。これは,地を支える根源神である。こうして,天と地を支える根源神が揃った。創造の原動力をなす神が生まれたからこそ,天と地の基礎をなす神が生まれたのである。そしてその後に豐雲野神が生まれる。これは,天と地だけの原始の世界を包み込む雲の神である。葦原中国に雨を降らせ,豊穣な大地を約束する湿潤な雲と言ってもよい。 Dの部分:「宇比地邇神(うひぢこのかみ)」と「妹須比智邇神(いもすひぢこのかみ)」というペアは,泥の男女神である。次に生まれてくる「角杙神(つのぐひのかみ)」と「妹活杙神(いもいくぐひのかみ)」というペアは,身体の芽生えを意味する。そこから「意富斗能地神(おおとのぢのかみ)」と「妹大斗乃辨神(いもおおとのべのかみ)」というペアが生まれる。これは,男女の性器を象徴する神である。さらに,「淤母陀流神(おもだるのかみ)」と「妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのかみ)」というペアが生まれる。これは,美しい顔をもった神と,それを見て畏まる神である。そして遂に,「伊邪那岐神(いざなきのかみ)」と「妹伊邪那美神(いもいざなみのかみ)」が生まれた。
と,こうなります。 要するに,天地がまだはっきりと分かれずぼんやりとしている状態の時に,天地の土台ができ,その間にたなびく湿潤で豊かな雲ができたということになります。これは,葦原中国に雨をふらせます。泥から生命が芽生え,性器を象徴する部位が生じ,美しい顔が生じて恥じらいも生まれれば,男女が誘い合うようになります。それが,伊邪那岐命と伊邪那美命です。 こうして,国生みと神生みの舞台が整いました。 伊邪那岐命と伊邪那美命の名前の意味については諸説あるようですが,叙述と文言をきちんと読めば,余計なお勉強は不要です。男女の誘い合いを示しているのです。四の五の言う人には,以上述べたイメージの連鎖をどう考えるのか聞いてみてください。
以上は,古事記ではなく,日本書紀冒頭を読むとよくわかります。 ちなみに日本書紀第1段本文では,地上界に目がいき,天,すなわち天常立尊が無視されています。最初に生まれるのは国常立尊であり,国狭槌尊,豊斟渟尊と続いていきます。すなわち,国を支える根源神,国常立尊のあと,国土の神,雲の神と続き,天は無視されているのです。天常立尊は,異伝である第6の一書で登場するにすぎません。 このように,むしろ古事記の方が,天と地の神をきちんと論じわけているのです。日本書紀第6の一書で登場する天常立尊をミックスさせ,第1段第4の一書のさらなる異伝で紹介された高天原と3神を冒頭にくっつければ,古事記のできあがりとなるのです。 @の部分は,やはりとってつけたようで落ち着きが悪いのです。
さて,日本書紀と比較した場合の古事記の特異なところは,以上の神々を,別天神5神と神世七代とに分けている点です。BとEの部分です。これにはいったいどんな意味があるのでしょうか。 古事記の分類は以下のとおりです。 a) @+A=高御産巣日神ら3神+宇摩志阿斯訶備比古遲神+天之常立神。以上5神が別天神。 学者は,高御産巣日神ら造化の3神の3,それを含めた別天神の5,その後の神世七代の7は,中国系の聖数3,5,7の奇数に合わせたものだと言っています。しかし,それがなんだというのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。仮に聖数に合わせたという説明が正しいのだとしても,それは形式論でしかありません。読者が古事記に興味をなくすのも,こうした形式論でしか答えられていないことに原因があるのかもしれません
前述したイメージの連鎖から考えてみましょう。 まず,@の部分。高天原と高御産巣日神ら3神の登場は,古事記ライターの考え方ですから,それはそれとして尊重するしかないでしょう。ですからこれは,「別天つ神」になるのでしょう。 しかし,イメージの連鎖から考えると,Aで切ってしまうのはおかしいのです。イメージとしては,天に伸びるほど強い勢いの葦,すなわち創造の原動力から天が生まれ(A),続いて大地が生まれ,雲が生まれたという物語なのです(C)。そこに,伊邪那岐命と伊邪那美命を導き出すペア神5神(実は10神)がつながっていくのです(D)。 イメージの連鎖からすれば,+宇摩志阿斯訶備比古遲神+天之常立神+国之常立神+豐雲野神として,ここで切るべきです。これ以降は,伊邪那岐命と伊邪那美命に向けたペア神の誕生ですから。さもなくば,いっそ高御産巣日神ら3神だけ(@)を,「別天つ神」にすべきでした。これなら一層筋が通ります。 要するに古事記ライターは,イメージに裏打ちされた神名を羅列しながら,その意味を理解しないで,流れを無視してぶつ切りにしているのです。その根拠は,聖数に合わせるという,観念的な操作なのでした。 一方,日本書紀では,第1段の第2の一書と第6の一書。後半の部分は第2段本文でに該当するところです。内容を比較すればわかるとおり,古事記の記述は,日本書紀の記述を一歩も出ていません。むしろ,日本書紀に整理されている神名の順番を間違えているくらいです。その点,改悪になっています。 古事記ライターには,神話伝承の真の意味など何もわかっていないのです。わけもわからずまとめてみましたという,事務屋がやる仕事をしているのです。本当に古事記は日本書紀よりも古いのでしょうか。神話伝承の意味がわからなくなった時代の人が書いた書物ではないのかと,勘ぐりたくもなります。
そうした疑惑は,小さな点にもあります。古事記ライターは,「上(かみ)の件の5柱の神は,別天つ神」とあるように,神の数を「柱(はしら)」という単位で数えています。これが日本書紀ですと,単に「三神」というだけです。ただ,後の世の人たちが,訓として,「はしら」と読んでいるだけなのです。 こうした数え方はかなり新しいのではないでしょうか。いつ頃からこうした表記をするようになったのでしょうか。日本書紀編纂者たちも,「三神」と表記しながら,現実には「みはしらのかみ」と訓読していたのでしょうか。問題のあるところです。
さてここで,日本書紀を一瞥しておきましょう。 第1段本文冒頭は,中国の陰陽2元論を背景にして,神々の創造を説明しようとします。日本書紀編纂者は,物事を整理してこと足れりとする,単なる事務屋じゃありません。教養があり頭があるので,大上段に振りかぶって,物事を論理的にまとめようとします。 陰陽2元論とは,陽と陰,太陽と月,男と女,右と左という対立する2つの概念が,新しいものを生み出すという思想です。言われてみれば当たり前なのですが,これはこれで1つの哲学です。いや,馬鹿にしちゃいけない。人間はなぜ左右対称なのか。なぜ不定型な怪物ではないのか。双子の宇宙論との関係はいかに。などと考えていくと,結構奥が深いです。それはともかく,中国思想を借りてきて,まず天と地が生成してから神が生まれたというのです。 ここからが問題です。日本書紀編纂者は,「故曰はく」で接続して,だからこうした神が日本に生まれたと言います。 それは,葦牙(あしかび,葦の芽)のようなものが生まれて神となった,国の土台となる国常立尊(くにのとこたちのみこと)であり,泥の形象である国狭槌尊(くにのさつちのみこと)であり,浮動する雲の形象である豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)でした。そしてこれらは,「乾道独化(あめのみちひとりなす)」「純男」であるというのです。 日本書紀冒頭のここまでで,1頁足らず。これを読んだだけで,私は,とても考え込んでしまいます。そこらへんにある書物でも,これほど露骨な矛盾は,そうそうやらかしません。日本書紀は,当代一流の官僚がまとめた,政府公認の史書じゃなかったのか。こんな矛盾を平気で行って,恥ずかしくないのか。
おかしいと思って本を調べます。ところが,こうした疑問に答えようとする本がないのです。学者さんが書いた注釈書を読むと,さも矛盾でないような説明がしてあります。「この場合は」,陽の気だけで生まれたというのです。 冗談じゃない。陰の気はどうなったのか。陰陽2元論はいったい何なんだ。私は,こうした説明に腹が立ちます。 結局,この注釈を書いた学者さんは,矛盾を矛盾として真摯に受け止めず,格調高いと思いこんでいる日本書紀に気押されて(けおされて),すり寄ってしまったのです。本当に大切なことに気づいたのに,それをとことん突き詰めることもせず,何の成果もあげずに敗退したのです。弱い。いかにも弱い。頭がふにゃふにゃだ。日本神話の学者さんが書いた本は,大体こんなものです。
これは,ほんの一例です。こうしたことが原因となって,何かこう,神話の世界はいつももやもやしていて,わけがわからなくてもそういうものかと自分で納得してしまったりして,結局何もわからないで終わってしまう。それが神話の世界だということになっています。 しかし,そんないい加減さは,もうやめてほしい。こんなことをやっているから,いつまでたっても日本神話がわからないのです。こんなことをやっているから,いつまでたっても日本神話は学問にならないのです。 私は,日本書紀のテキストの最初のページにある「故曰はく」前後の矛盾を発見して,自分でも日本神話が読めると直感しました。そして,注釈書でこの矛盾に関する学者さんの説を読んで,その上を行ってやると考えました。その後再度古事記を読んで,自由自在に料理できると考えました。 この本は,すべてが,日本書紀第1段本文の「故曰はく」から始まっているのです。
では,この矛盾をどう受け止めればよいのでしょうか。日本書紀とて,所詮この程度です。当代一流の官僚とて,所詮この程度です。まず,この現実を率直に認めましょう。気押されてはいけません。 「故曰はく」で接続する前は,学者さんが指摘するとおり,中国の古典である准南子や芸文類聚から採った官僚の作文。そのあとは,日本古来の伝承上の神を並べた。そう考えると,所詮中国からの借り物の陰陽2元論では整理しきれない神々が,日本古代にいたことがわかります。 知識豊富で,文字どおり出来のよい官僚だったからこそ,陰陽2元論という世界観を使って,論旨一貫した世界を構築しようとしました。日本書紀冒頭に陰陽2元論をバーンともってきて,そこから説明をつけようとしました。その意気や,よし。この官僚は,物事を整理して事足れりとする事務屋ではありません。その意気込みはわかります。自分の意見をもち,自分の頭がある官僚です。体系的思考ができる男です。それは評価します。 しかし残念ながら,もともと男神の世界であった古代日本の現実を否定することはできませんでした。「故曰はく」で接続した後は,「乾道独化」「純男」の神を並べざるを得なかったのです。
ですから,伊奘諾尊と伊奘再尊という男女ペアの神が本当にいたのか。もっと言えば,天照大神は本当に日本古来の神なのか,という問題意識をもたねばなりません。 たとえば,日本書紀第3段本文は,第2段の4組の男女ペア神8神を,「乾坤の道相参(まじ)りて化る(なる)」。このゆえに「男女」をなすとしています。そして,第1段の3神に加えて,4組のペアを4神と考えて合計7神,まとめて「神世7代」としています。 日本書紀第3段本文は,本質は陰陽2元論だからこうした男女の神々が生成したんだよという,日本書紀編纂者の弁解なのです。 第2段第2の一書も輝いてきます。この異伝は,国常立尊のあと,天鏡尊,天万尊,沫蕩尊(あわなぎのみこと),伊奘諾尊と続く系譜を語っています。もちろん男神の系譜です。女神である伊奘再尊は無視した異伝です。天照大神はおらず,代わりに天鏡尊がいます。天照大御神の象徴,鏡そのものの神です。 第2段第2の一書こそが,古代日本にあった原初の神々の系譜ではないのか。 じつは,第2段第2の一書の系譜は,「宋書日本伝」に見える系譜です。日本の僧チョウネンが984年に中国に渡り,王の年代紀を献上しました。その年代紀に見える神名なのです。そこでは,天御中主,天村雲尊,天八重雲尊,天弥聞尊,天忍勝尊等々が羅列され,第2の一書が引用しているとおり,国常立尊のあと,天鑑尊,天万尊,沫名杵尊,伊奘諾尊と続いています。その伊奘諾尊の次は,素戔烏尊,天照大神尊,正哉吾勝速日天押穂耳尊,天彦尊,炎尊,ヒコナギサノミコトと続きます。
問題は,男女ペア神4組をどう考えるかです。 日本古来の神は男神でした。男神と女神が遘合(みとのまぐわい)や陰陽2元論によって神を作るという考えはありませんでした。陰陽2元論では説明できずに破綻していました。 男女ペア神4組は本当にペアとしてあったのか。大原則たる陰陽2元論に合わせるため,強引に作り出しただけではないのか。原初の神々の系譜は,男神が淡々と羅列されているだけではなかったか。むしろ,男女ペア神という考えを無視した,第2段第1,及び第2の一書が正しいのではないか。
ここで考えなければならないのは,伊奘再尊が本当にいたのかということです。古来の伝承が男神の系譜であれば,伊奘諾尊だけがいたはずです。 ここで,日本書紀第5段本文と第6段本文に跳びます。これを続けて読んでみましょう。 ところが,第6段本文で素戔鳴尊の根国行きを「許す」と言ったのは,なぜか伊奘諾尊1人でした。その直前まで伊奘再尊と一緒だったのに,なぜか伊奘再尊は無視されています。そして,伊奘再尊にはお構いなしに,伊奘諾尊が「神功」すでに達成したので,「幽宮(かくれみや)」を淡路島に作って,「寂然(しずか)に長く隠れましき」と述べます。その直後に異伝を引用していますが,それも伊奘再尊を無視しており,伊奘諾尊1人が天に上って成果を復命したという内容になっています。 「神功」を達成したのは,伊奘再尊も同様です。国生みは,男神と女神が遘合(みとのまぐわい)によって行ったはずです。それが「神功」なのではないでしょうか。女神は,単なる生殖の道具だったというのでしょうか。陰陽2元論という理屈からしても,伊奘再尊を無視することはできないはずです。 ところが伊奘再尊は,日本書紀では,その後も登場しません。伊奘諾尊だけが登場します。
こうなると,伊奘再尊は,陰陽2元論による国生みをするために,作り出された神ではないのかという気がしてきます。 第6段本文で,なぜ伊奘再尊が消えてしまうのでしょうか。その理由は,第5段本文と第6段本文とに挟まれた,第5段第6の一書その他の異伝に求めるしかありません。そこでは,火の神迦具土神を生んで黄泉国に行った伊奘再尊が描かれていました。伊奘再尊は黄泉国へ行った。だから伊奘諾尊と一緒に淡路島に祭られることはなかったというのです。 日本書紀をアバウトに読む普通の人たちは,それで納得してしまうのでしょう。日本書紀の本文と一書を分けて考えず,古事記をも一緒くたにして,ごった煮のような「記紀神話」を考えている人は,それで納得するのでしょう。伊奘再尊の黄泉国行きは,超有名なお話しです。それが日本神話のどこに書いてあるかをきちんと考えなければ,納得するには十分な理由のように思えます。 しかし本当にそうでしょうか。日本書紀の叙述と文言をきちんと読めばどうなるでしょうか。伊奘再尊の黄泉国行きを描いた有名な第5段第6の一書は,異伝でしかありません。本文ではありません。本文と異伝である一書が書き分けられている以上,本文は本文だけを続けて読むべきです。日本書紀編纂者は,数々の伝承を集めて編纂し,本文を公定解釈として確定したのです。ですから,本文自体の矛盾を解決するために,一書を付け加えることはできません。 日本書紀本文自体に,やはり確実な矛盾があります。一緒に国を生んだはずの伊奘再尊がどこかに消えてしまい,伊奘諾尊だけが単独で淡路島に祭られたことになります。もともと伊奘再尊がいなかったからこそ,祭られた場所もなかった。伊奘諾尊と一緒に祭られることもなかった。日本書紀編纂者は,嘘を書けなかったのです。 日本古来の神々は,伊奘諾尊をも含めて単独の男神であり,伊奘再尊等の対になる女神はいなかったのではないでしょうか。陰陽2元論は,後に付け加えられた屁理屈です。いつの頃か,対になる女神が付け加えられた伝承が成立したのでしょう。それが第5段第6の一書なのでしょう。
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