第3 修理固成の命令 |
古事記は決して素朴な神話ではない さて,いよいよ有名な国生みに入ります。いの一番に言っておかなければならないことがあります。古事記では,すべてが支配命令の体系のもとにあるということです。その意味で,決して素朴な神話などではありません。 風土記という書物を読んだ方も多いと思います。素朴というならば,風土記こそ素朴です。特に,常陸国風土記,播磨国風土記は出色です。そこには,「古老」の「旧聞」がそのまま載っています。その素朴さは,ツルゲーネフの「猟人日記」に出てくる農民のような素朴さです。1つ1つの神話伝承は,それぞれが独立し,そこに生きていた人々が大自然の向こうに神を見ていたことがわかります。古事記には,こうした素朴さは,まったくありません。素朴に見えるところは,稲羽の素兎(しろうさぎ)のエピソードなど,たいていお伽噺の部分です。神話の文献としての価値は,あまりありません。
では,古事記の国生みはどのようになされるのでしょうか。以下のとおりです。 そこで「天つ神諸(もろもろ)の命(みこと)もちて」,伊邪那岐神と伊邪那美神に,「この漂へる国を修め理り(つくり)固め成せ」と命令し,「天の沼矛(ぬほこ)」を与えた。そこで2神は,天の浮橋に立って天の沼矛(ぬほこ)で「鹽(しお)こをろこをろに」かき混ぜて引き上げた。その時滴り落ちた塩が固まって,「淤能碁呂島(おのごろしま)」となった。 ごらんのとおり,国生みは,「天つ神」の「この漂へる国を修め理り固め成せ」という命令によって行われます。いわゆる,「修理固成の命令」です。 ここには,天つ神こそが正しい絶対的な支配者だという,こりこりに凝り固まった観念が見て取れます。今,といっても古事記ライターの今ですが,今生きている国土さえも,天つ神の命令で作られたというのです。ここに国あれ,と言ったら国ができたというようなもんです。もちろん日本書紀本文には,こんな命令はありません。後に述べるとおり,支配命令の体系による国生みは,異伝として扱っています。
古事記の,この支配命令の体系は,私には耐えられないと思わせるほど,とんでもなく強固です。 たとえば,一度国生みをしてうまくいかなかった伊邪那岐命と伊邪那美命は,「今吾が生める子良からず。なほ天つ神の御所(みもと)に白す(もうす)べし」と述べて,「すなはち共に参上りて(まいのぼりて),天つ神の命を請ひき」となります。詔勅(しょうちょく。天皇の命令のこと。)か上司の命令を受けた官僚の行動そのものです。 自由な個人は,まったく描かれていません。田舎生まれの純朴な伊邪那岐命と伊邪那美命が,語り合って「みとのまぐはひ」をして,国生みをしたという話でもありません。 そんな妄想を抱いてはいけません。世上,かなり誤解があるようです。
では,いったい誰が命令しているのでしょうか。ここに,古事記の世界観が現れているはずです。物語読者として,それを考えなければ本を読んだことにならないというほどの論点なはずです。古事記冒頭で登場した,高天原にいる3神なのでしょうか。 ところが,それがはっきりしないのです。 古事記では,天照大御神と高御産巣日神とが並立して命令を下します。この時点で天照大御神はまだ生まれていませんから,高御産巣日神こそが命令神たるにふさわしいはずです。古事記ライターも,そのつもりで,冒頭にバーンと登場させたはずです。だから,高御産巣日神ら3神の命もちて,と書いておけばきちんと筋が通ったはずなのです。 ところが古事記ライターは,「天つ神諸(もろもろ)の命(みこと)もちて」とやってしまいました。修理固成の命令は,天つ神々諸神の命令であるということです。ここがよくわからないので,学者は,天つ神一同の仰せでとか,別天つ神5神のお言葉でという意味であろうと言っています。 筆が滑るというのは恐ろしい。命令したのは別天つ神である5神なのか。神世七代の12神(ペア神5組+2神)なのか。はたまた,これらすべての17神なのか。わけがわかりません。 「天つ神諸の命」という文言からすれば,17神総体の命令ということになります。しかし,伊邪那岐命と伊邪那美命が自分に命令するというのはおかしいですから,少なくともこの2神を除いた15神の命令ということになるのでしょうか。古事記ライターは,CとDをまとめて神世七代としていますから,その上に立つ別天つ神5神が「天つ神諸の命」というのでしょうか。 命令者を特定することは,古事記の世界観や構造を解明し,読むうえでの指針とするためにも,極めて大切な問題です。ところが古事記ライターは,何も考えないで「天つ神諸の命もちて」とやっています。その背景には,「八百萬の神(やおよろずのかみ)」が集って岩窟に籠もった天照大御神を引き出そうとした,いわゆる天岩窟の叙述が念頭にあったとしか思えません。 古事記ライターは,古事記冒頭にくっつけた高天原と高御産巣日神ら3神の世界観を一貫できていません。古事記ライターの作文能力,論理構成力がこの程度だったと言うしかありません。
さらに,世界観との関係で言えば,天照大御神はいったいどんな根拠で高天原に君臨できるのかという問題もあります。 「天つ神諸の」命令で,伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みをし,さらに神生みをして,その最後に天照大御神を生みます。そして,伊邪那岐命の「汝命(いましみこと)は,高天原を知らせ(しらせ)」との命令により,天照大御神が高天原の支配者となります。この間,水蛭子(ひるこ)という,たぶん現代でいう障害児を産むと,「すなはち共に参上りて,天つ神の命を請ひき」というくらい,天つ神に対してへりくだった立場でしかありません。私には,将棋の駒として国生みを行っているとしか読めません。天つ神に命令された伊邪那岐命が,なぜ高天原の支配者を指名できるのでしょうか。 まったく,わけがわかりません。 わけがわからないついでに,「水蛭子」についてひとこと言っておきましょう。ここに,世界中の近親相姦説話を見る学者さんがたくさんいます。ですが,伊邪那岐命と伊邪那美命を近親だと言ったら,次々に生まれてきた神世七代の神,そのうち特にペア神として生まれた5対の神は,すべて近親になってしまいます。ですから伊邪那岐命と伊邪那美命は,近親などではありません。
また古事記では,前述したとおり,天照大御神と高御産巣日神が並立する2神として命令を下します。高御産巣日神と天照大御神は,なぜ対等なのでしょうか。 高天原に生じた神々が,当初から合議体で対等だったのであれば,まだわかります。有名な天石窟の段などは,そうした書き方です。しかし古事記は,その本文冒頭から,支配命令の体系を語っているのです。そこには,決して,ほのぼのとしたいかにも古代的な神話,人口に膾炙したおおらかな古代神話は,これっぱかしもありません。 天つ神たちは,決して合議体ではありません。するとやはり,高御産巣日神こそが最高神のはずです。何よりも無前提の大前提なのだから。ところがいつの間にか,天照大御神がこれと対等になってしまうのです。 古事記を真面目に読もうとする読者にとって,これほど耐えられないことはありません。
古事記ライターのいい加減さは,「命」と「神」の使い方がめちゃくちゃなところにも現れています。 日本書紀第1段本文を読むと,至貴を「尊(そん)」といい,自余(その余)を「命(めい)」という,以下皆これに倣え(ならえ),という分注が,突如として出てきます。神話だと思いこんで読んでいくと,びっくりするところです。それはよいとして,その後の日本書紀の叙述は,この命令に従ってきちんと用語が使い分けられていることがわかります。 古事記はどうでしょうか。たとえば,神世七代の場面での叙述では,「伊邪那岐神」,「伊邪那美神」です。これが,修理固成の命令を受ける所では,「伊邪那岐命」,「伊邪那美命」となります。ところが火の神迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだ伊邪那美命は,「その神避りし伊邪那美神は出雲国と伯伎国との堺の比婆(ひば)の山に葬りき」としています。ここでは「神」に戻っています。 要するに,神世七代として登場した場面では,神々(こうごう)しくも「神」。修理固成の命令を受けるところでは,天つ神の下働き,将棋の駒だから「命」。そして「黄泉津大神(よもつおおかみ)」となった伊邪那美命は「神」に戻るのです。このいい加減さは,出雲国譲りの場面における事代主神の表記にも現れます。 たいしたことないと言う人がいるかもしれません。しかし,とんでもない。自分で小説を書くときに,「先生」として登場させた人を「君」付けで呼びますか。それをよーく考えてみてください。叙述上の都合によって呼び名をころころと変える。この節操のなさをよーく考えてみて下さい。 この点古事記学者は,古事記では,「神」は宗教的意味で,「命」は人格的意味で使われているとしています。叙述上の都合によってころころと変わることは認めざるを得ないのでしょう。それにしても,国作りを命令される伊邪那岐命と伊邪那美命は人格的存在なのでしょうか。
古事記ライターのご都合主義に言及したところで,話は飛びます。 天照大御神は,生まれたその当初から「天照大御神」なのです。「大神」は,日本書紀にも登場します。古事記でも,伊邪那美命は黄泉国に行って「泉津大神」になったとしています。しかし天照大御神は,「大神」の間に「御」の字が入っています。まったくたいしたものです。日本書紀にも古事記にも,他にこうした例はありません。 普通は「神」か「大神」です。そこに「御」の字が入るのはなぜでしょうか。いつ頃,天照大御神をありがたがる観念が生じたのでしょうか。古事記ライターは,天照大御神がよっぽど格別で,高貴な神だと考えていたはずです。 日本書紀では「天照大神」ですが,そもそも,名前自体が本当にそうなのかわかりません。「大日霎貴(おおひるめのむち)」とし,その異伝として「一書に云(い)わく,天照大神といふ」というくらい,控えめで学術的でいろいろなことを頭の中で考えているらしい書き方です。 無造作に「御」の字を入れる古事記ライターと,控えめで学術的な日本書紀編纂者と,どちらが信用できるでしょうか。
さて2神は,天の浮橋に立って,天の沼矛(ぬほこ)で「鹽(しお)こをろこをろに」かき混ぜて引き上げました。その時滴り落ちた塩が固まって,「淤能碁呂島(おのごろしま)」ができました。 「鹽(しお)こをろこをろに」かき混ぜてという感覚。こうしてリズムをもたせようという表現感覚。同じ擬音語や言葉を重ねて表現するのは,現代の神主がお祓いで述べる祝詞(のりと)の感覚です。
古事記には,他にもこうした表現がたくさんあります。それを面白がる人もたくさんいます。 たとえば,伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みをする場面では,「吾が身は,成り成りて成り合はざる處(ところ)一處あり」。黄泉国から逃げてきた伊邪那岐命は,「いなしこめしこめき穢き国」と言う。天照大御神等3神を生んだ伊邪那岐命は,「吾は子を生み生みて,生みの終(はて)に」と言って喜ぶ。天照大御神等3神に支配を命令するところでは,「玉の緒もゆらに取りゆらかして」とある。速須佐之男命と天照大御神が誓約(うけい)によって神々を生成する場面では,「さ噛みに噛みて」。天の石屋戸の神々が集まった場面では,「神集ひ(つどい)集ひて」。また,眞男鹿(まをしか)の肩を「内抜きに抜きて」。さらに,眞賢木(まさかき)を「根こじにこじて」。速須佐之男命が高天原を追放される場面では,「神逐らひ(かむやらい)逐らひき」です。速須佐之男命が根国を訪問してネズミに助けられる場面では,「内はほらほら,外はすぶすぶ」。天孫降臨の段では,天八重雲を押し分けて,「稜威の道別に道別きて(いつのちわきにちわきて)」。 こうした表現は,古事記自体が引用している歌謡にもあります。たとえば,大国主神のいわゆる国譲りとされている場面では,「打竹の(さきたけの),とををとををに」とあります。 歌謡は神話伝承よりも遙かに新しいでしょう。それと同じ表現方法が使われているのです。 表現の問題ではありませんが,根国から逃げる大国主神に対し,速須佐之男命は,「底つ石根(いわね)に宮柱ふとしり,高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ」と怒鳴りつけます。地底の岩に届くように宮殿の柱を太く立て,高天原まで千木を高く届かせる壮大な宮殿を造ってそこにいろ,という意味です。 古事記は本当に日本最古の神話,伝承をそのまま伝えているのでしょうか。神話伝承を前提として,儀式として確立したルーティンワークそのものではないでしょうか。
さて,話は飛びますが,日本書紀編纂者の悩みから,日本書紀と古事記との関係を探ってみましょう。 ある伝承は,角鹿(つぬが,今の敦賀)の笥飯大神(けひのおおかみ)が太子(ひつぎのみこ)時代の応神天皇と名を交換し,その大神は去来紗別神(いざさわけのかみ)を名乗り,応神天皇は誉田別尊(ほむたわけのみこと)を名乗ったとしています。ここからが日本書紀編纂者の推測になるのですが,だとすると,大神のもとの名は誉田別神(ほむたわけのかみ)であり,応神天皇のもとの名は去来紗別尊(いざさわけのみこと)だったのではないだろうか。 そして日本書紀編纂者は,こう付け加えています。「然れども見ゆる所無くして,未だ詳(つまびらか)ならず」。 応神天皇の元来の名が「去来紗(いざさ)」だったとは聞いていない。だから,当時手に入った資料を渉猟してみた。ありとあらゆる資料を検討してみた。しかし,「見ゆる所無くして」,太子のもとの名が「いざさ」であったとは確証を得られなかった。
古事記は,日本書紀より8年早く成立した書物だとされています。 すなわち,古事記自体の叙述が破綻しているのです。 それよりも,日本書紀編纂者はどう思ったでしょうか。笥飯大神のもとの名が誉田別尊ではないかと思って古事記を参照したら,そこには,もともと伊奢沙和気大神であり,そこから名前を変えたとある。まったく逆の話が載っているのです。これは,日本書紀編纂者の疑問を,真っ向から打ち砕きます。そうした場合,「然れども見ゆる所無くして,未だ詳ならず」という注を書くでしょうか。それとも日本書紀編纂者は,破綻している古事記を無視したのでしょうか。 私は,日本書紀編纂者は古事記を見ていなかったと思います。
さて,小さなことかもしれませんが,もうひとつ指摘しておきましょう。角鹿の大神は,古事記では,「伊奢沙和気大神命」となっています。すなわち,「伊奢沙和気大神」に,ご丁寧にも「命」がついています。 これは,単なるご愛敬なのでしょうか。学者さんは,神名の末尾に「命」をつけるのは異例であり,問題が残るとしています(新編日本古典文学全集・古事記・252頁・小学館)。一応,変だなと思っているわけです。 私は,笑ってすませばよい問題だと考えます。古事記ライターが,ライターとしては卑屈で,ちゃらんぽらんなだけなのです。 古事記ライターの,ライター精神の身になって考えてみましょう。 古事記ライターは,太子時代の応神天皇が,角鹿の大神から供応を受けるような偉大な人物だったと言いたいのです。だからこそ,つい,「伊奢沙和気大神」に「命」をつけてしまった。こうして,「大神」を貶めようとしたのです。 読み下し文でよいですから,ちょっと読んでみてください。はっきりとわかります。
ちょっと結論が早いかもしれません。まだ国生みの場面の検討さえすんでいないのですから。 よい書物は,読んですぐわかります。そうした書物の著者は,読者の考え及ぶ一歩先のことを考えて書物を作っています。だから,含蓄があります。噛みしめれば噛みしめるほど,その叙述と文言の意味がじんわりとわかってきて,なるほどなあ,と思わせるところがあります。また,伝承をそのまま載せているのであれば,それはそれなりに味わい深いものがあります。 しかし古事記は,論理破綻バレバレ。伝承を材料にして,ライターとしてやっちゃいけないこと,つまんない小細工を,平気でやる。 一応ここで,古事記駄本説,あるいは古事記無価値論を宣言しておきましょう。 古事記は素朴だと信じ込んでいる人たちがいます。 私には,古事記ライターは,相当な強者(つわもの)としか思えません。古事記ライターは真剣です。大真面目です。しかしその論理が,ことごとく破綻しているから,つい笑えてしまうのです。
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