第32 天孫降臨 |
天孫降臨の叙述 さて,いよいよ天孫降臨です。日本神話のハイライトと言ってもいいでしょう。しかしここには,問題がいっぱい詰まっています。 古事記の天孫降臨の場面は,降臨の途中でいきなり天子が天孫に交替することはありません。猿田毘古神が途中で出てきて,降臨先を案内するということもありません。そうした叙述上の矛盾がないように,天孫の誕生と猿田毘古神の登場を描いてから,にぎにぎしく天孫が降臨するのです。 降臨の場面は一見煩雑なようですが,整理すると簡単です。 @ 五伴緒の紹介(降臨につき従う5神)
登場する神々は以下のとおりです。 @ 五伴緒として,天兒屋命,布刀玉命,天宇受賣神,伊斯許理度賣命,玉祖命 @とBの神は,天石門別神を除いて,すべて天の石屋戸の場面に出てきた神です。天石門別神も天の石屋に関係があるようですから,いわば,天照大御神にゆかりのあるオールスターキャストなのです。そこに,Eの武神が加わっているのです。 ところで@の五伴緒は,日本書紀第7段の本文や異伝に出てくる神々を,まとめたものです。天児屋命,太玉命,天鈿女命は第7段本文に,石凝姥命は第7段第1の一書に,玉屋命は第7段第2の一書で豊玉として登場します。 古事記の神々は,日本書紀の各種の異伝を総合したリライト版なのです。
降臨のアイテムは,いわゆる三種の神宝です。しかし,古事記だけをよくよく読み返してみると,いわゆる三種の神宝を述べているのかどうか,疑問になってきます。 玉,鏡,剣が揃っています。しかし,結局のところ,天照大御神の象徴である鏡だけが大切なようです。 「その招きし八尺の勾玉,鏡」とあります。すなわち,天照大御神を天の石屋からおびき出した時に使った玉と鏡という意味です。それに,「また草薙劍」として,剣が付け加えられているにすぎません。そしてその次のフレーズでは,玉さえも忘れ去られ,天照大御神は,鏡を自分の魂としていつき祭れと命令します。 古事記ライターは,三種の神宝を対等に扱っていません。本当に三種の神宝を信じていたのでしょうか。この書き方からすれば,鏡以外は添え物だと言ってもいいでしょう。玉と鏡は天照大御神ゆかりの品なので登場しましたが,次の瞬間,玉さえも忘れ去られているのです。剣は,初めからついでに登場したにすぎないかのようです。 なぜこうなっているのか。なぜ対等でないのか。例によって,日本書紀を調べてみるしかありません。古事記だけをじっくり読んでいても,何もわかりません。
日本書紀のアイテムは以下のとおりでした。 (命令者) (アイテム) じつは,いわゆる三種の神宝など,日本書紀本文は採用していないのです。本来はむしろ,高皇産霊尊中心の真床追衾なのです。異伝を調べても,高皇産霊尊と真床追衾のセットが基本のようです。その問題は,日本書紀を論ずることになってしまいますから,今は述べません。 しかも,その異伝中の異伝の第1の一書は,「八坂瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣,三種の宝物を賜ふ」とあり,3つのアイテムに軽重をつけていません。対等なアイテムなのです。第1の一書には,いわゆる天壌無窮の神勅がありました。そこに,対等なアイテムがあるのです。
さて,鏡を我が御魂としていつき祭れという天照大神の命令は,どこかにありました。日本書紀第9段第2の一書です。 ここでは,世話焼きの天照大御神が,降臨する御子を心配して,食事はもちろん女のことまで,こと細かに面倒をみるのでした。そのいの一番に御子に命令した言葉がこれです。「吾が児,此の宝鏡を視(み)まさむこと,当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共(ひとつ)にして,斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」。そして天照大御神は,鏡だけを与え,玉や剣は与えません。アイテムは鏡だけであり,それを天照大神としていつき祭れというのです。 もうおわかりでしょう。古事記ライターは,天照大神第一主義=天壌無窮の神勅=三種の神宝という観念(第1の一書)を前提に,鏡をいつき祭れという天照大神礼賛の異伝(第2の一書)をも取り入れて,独特の三種の神宝を作り上げたのです。 そもそも第1の一書は,天照大神だけが命令者となる伝承でした。第2の一書は,高皇産霊尊と天照大神が登場しますが,命令者は高皇産霊尊です。天照大神は,世話焼きの母として登場するだけでした。しかしともかく,日本書紀にあって,高皇産霊尊中心の伝承に反する,天照大神系の異伝ではありました。 登場する神々は,天照大御神由縁のオールスターキャスト。三種の神宝は,天照大御神の象徴の鏡が中心。古事記ライターは,異伝中の異伝を使って,さらなる異伝を作り上げました。その目的は,天照大御神礼賛のためです。 古事記のどこが古いというのでしょうか。返す返すも不思議な書物です。
さらなる問題があります。アイテムとして真床追衾がない点です。 日本書紀における真床追衾は,高皇産霊尊のアイテムでした。高皇産霊尊が登場する第2の一書には出てきませんが,それは,天照大神も出てくる中途半端な伝承だからです。とにかく,高皇産霊尊といえば真床追衾という関係になっています。 古事記では,高御産巣日神が堂々と登場し,天孫降臨を天照大御神と共に命令するのに,なぜここで真床追衾が出てこないのか。 古事記ライターは,高御産巣日神なんて,それほど考えちゃいないのです。古来あった高御産巣日神と真床追衾との関係なんて知ったこっちゃない。ただ,天命思想を排除するために,無前提の前提として高天原にいてくれればいいのです。一方,天照大御神こそが皇祖神です。「言依さし」により支配の正統性を代々与える根源神です。 高御産巣日神の命令は,天命そのものなのです。その命令によって国譲りという名の侵略が行われ,天孫が降臨するのだから,革命はありえないのです。高御産巣日神は,こうしたイデオロギーに奉仕するために配置されているだけですから,真床追衾など,もはや必要ないのです。 私は,以上のように考えます。しかし私には,我らが古事記ライターが,そこまで考えていたとは思われない。 とにかく高御産巣日神は,古来伝承された高御産巣日神ではなくなっています。換骨奪胎された高御産巣日神でしかありません。古事記ライターは,高御産巣日神をリライトしたのです。
さて,古事記ライターが神々の説明に熱心だったことを思い出してください。古事記の国生みは,日本書紀の国生みとは異なり,神の国の国生みなのでした。そして,君たちの周りにはこんな神々がいるんだよと,辟易するくらい熱心に説明してくれるのでした。 古事記の天孫降臨には,古事記ライターによると思われる,神々の説明が加えられています。鏡(天照大御神)と思金神は「五十鈴の宮に拝き祭る」(後の伊勢神宮の内宮)。「次に登由宇氣神(とゆうけのかみ),こは外宮の度相(わたらい)に坐す神ぞ」。 古事記ライターは,伊勢神宮の祭神をまとめて語りたかったのです。ということは,伊勢神宮に外宮と内宮が成立した後に書かれたものに違いありません。すると問題は,伊勢神宮がいつ成立したかという問題に移ります。これは,この本で考察すべき問題ではありません。
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