罪が分からないのが罪人の証拠


                          良心のようにささやきながら人間のやる気を失わせ、失意のどん底に落としこ

み、他人が不幸になることを願う、自分でいて自分でない存在のことを悪魔、サ

タンと呼ぶということを前回説明させていただきました。

 この精神的存在が、生きて働いていることを見ぬいているかどうかというのは、

実に重大なことなのです。

 人間の心に悪が入ったことを聖書では創世記の中で、人類始祖が禁断の木の実

を食べて堕落したからだと表現しています。「取って食べてはならない」という

神の戒めを破り、とてもおいしそうに見えた木の実を食べたことにより、人間の

心に悪が忍び込むようになり、エデンの園を追放され、この罪のことを原罪と呼

んでいます。

 キリスト教では、人類は誰もがこの原罪から産まれた存在のため、原罪を受け

継いでおり。神の前に罪人であると説いています。

 しかし、多くの人にとって「罪人」と呼ばれてもピンとこず、ごく少数の良心

的な人が自分を罪人として宗教を信じ、とんでもない悪人が、「これが普通だ、

何も悪いことなどしていないぞ!」とうそぶいています。

 高度な宗教ほど、この人間の心に巣くう悪の力との戦いに取り組んでいますが、

そもそも悪の正体とは何か?どのようにして悪魔となったのか?どのように人間

の心に忍び込むのか?という、一番重要な疑問への解明がなされていませんでし

た。そもそも、悪魔にたやすく侵入され操られている人間には、無理なこととも

言えますが。

 しかし、悪の勢力の中で傷つき不幸になっていく人類を見つめて、親である神

様は宗教者や聖人と呼ばれる人たちを使ってこの問題を解く鍵を与え、救いの道

を切り開いてこられました。

 1920年韓国に誕生された文鮮明先生は、戦争と苦しみにあえぐ人類の姿に、

「神がおられるのなら、なぜこの悲惨な世界を救おうとされないのか?悪の正体

は何か?」と徹夜で祈祷しておられる時、「あなたがそれをなしなさい」という

神の声を聞きました。それからの真理探求の結果、ついに悪の正体は何か?なぜ

悪魔となったのかという大問題を解き明かされたのです。

 聖書では、エデンの園でエバをそそのかしたのは蛇ですが、この蛇とは文字通

りの蛇ではなく、アダムとエバを教育する天使長ルーシェルだったこと。そして、

禁断の木の実を取って食べたというのは男女関係を結んでしまったことを意味し

ているというのです。

 神の戒めを守り、大人になってからアダムと結婚すれば善の木となれるのに、

エバは未成年の時に天使長ルーシェルと不倫な関係を結んだため、悪の木となっ

て、悪の実としての人類を産み増やすようになってしまった。天使長ルーシェル

は、天界から追放されて、蛇に象徴される狡猾な悪魔となったというものです。

 これは聖書の新しい解釈というより、人間社会の現実そのものではないでしょ

うか?

 人間の最大の不幸は、愛し合う男女の中にもたらされます。同時に、最大の不

幸は、この男女関係がうまくいかず、憎しみあったり、傷つけあったりする中に

起きます。早すぎる性関係や、不倫、同性愛、売春など、本来、愛を高め、家庭

を築いていく中で有意義な役割を果たすべき性が、不幸な原因となっていく現実

を見る時、この聖書の記述に、数千前に書かれたとは思えない真実味が感じられ

ます。



悪の正体解明は、宗教史のノーベル賞以上の大発見




 このように悪の正体を解明したことは、宗教史のノーベル賞以上の価値のある

ことと言えるでしょう。悪の正体と、人間の心への侵入方法が分かれば、誰でも

悪の勢力と戦うことができるようになります。愛と性、結婚についても、人類始

祖や歴史の中での過ちを見つめて、正しいあり方が分かってきます。病原菌が分

かれば、治療法が分かるのと同じです。

 人の心に忍びこむサタンの正体が分かり、サタンとの戦い方が分かれば、もう

サタンに騙されることはなくなっていきます。まず、自分の心の中からサタンを

追い出すと、心が澄みわたり平安になり、心に語りかけて来るかすかな声が聞こ

えてくるようになります。これが神の声です。

 人類始祖の原罪により、人間は神を避け、悪を好み、自分を神としてきました。

そのため、自分の罪が分からず、それが普通であり当然であるとさえ思うように

なっていきます。

 罪が分からないというのが、実は罪人である証明そのものとも言えます。

 原罪の痛みを一番感じているのは、人間ではなく、親である神様なのです。ア

ダムとエバの堕落により、一番の苦しみと悲しみを受けたのは、神様でした。そ

の成長を楽しみにし、立派な大人となり、神の後継ぎとして親の祝福の下で結婚

式をあげ、幸福な家庭を築くその日を楽しみにしていたのに、そのすべての希望

が失われ、人間が不幸になり、さらにサタンの奴隷状態になってしまったわけで

すから。