2003年お盆の帰省



 2003年の春の頃から、パパは朝起きるといつもけげんな顔をしていました。

毎朝、意味不明の夢をずっと見るというのです。パパは、霊界が大きく動いてい

るみたいで、その関係みたいだと言っていました。

 アメリカの次女は、日本に帰ると費用もかかるしということで、今年の夏休み

は帰って来ないつもりのようでしたが、パパが「家族はできるだけ一緒のほうが

いい」と話し、「それもそうだね」ということでお盆に田舎に帰る時期に合わせ

て、日本に帰ってくることになりました。ディスカウントチケットなら、ロサン

ゼルスと成田の往復で7万円くらいですから、便利な世の中になったものです。

 次女は帰って来ることになったのですが、息子は海での合宿があるため、田舎

には一緒に行かないということになりました。でも、海というとちょうどお盆の

頃に台風が来るようなので、大丈夫かどうかとても心配でした。泳ぎは得意です

が、それが裏目に出たらと不安でした。

 8月12日のお昼前に横浜の我が家を出発しました。車に乗ると、子供たちは

さっそくお菓子を出して食べ始めます。次女が助手席に座り、パパに飲み物を渡

したり、話し相手になったりしてパパが眠くならないようにします。後部座席で


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は、長女と私はいつしか眠ってしまいます。これが我が家のいつものパターンなの

です。

 関越自動車道の運転は、パパもすっかり慣れて、途中2箇所で休憩しながら、夕

方7時前に新潟の実家に到着しました。

 実家について最初にすることは、子供たちと一緒に仏壇の前に座り、仏様に手を

合わせてのお参りです。パパは、自分が小さい時からそうやって育ってきて、それ

がとても大切なことで、御先祖が守ってくださるという確信を持っており、子供た

ちにもそう教育していました。仏様への挨拶のあと、母と挨拶を交わします。

 母は77歳になり、胃がんの手術をしたばかりで、めっきり気力も衰えていまし

た。

 「子供たちも大きくなって、手がかからないようになったから、今度は私が時

々新潟に来て、お母さんの面倒を見てあげるから」

 私はそう言って母を励ましました。

 8月13日、午前10時すぎに母を車に乗せ、みんなで隣町の菩提寺に向かい

ました。お寺の裏に先祖の古いお墓があり、お花を供え、ローソクをつけ線香を

あげます。この時、母は感じることがあったのか、パパに写真に何か写っていな

いか見て欲しいと言ってきました。そして自分の葬式用の写真を撮って欲しいと

頼んでいました。こうして墓参りは終わりました。このあとお寺の本堂でお参り

をして帰ってきました。パパの実家のお墓参りは、15日に帰る途中でやるのが

恒例となっていました。


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 その日の午後は、町内にある数軒の親戚をパパと一緒に訪ねてきました。また、

高校時代の友人にも挨拶してきました。夕方には、私の妹夫婦が娘と一緒にやっ

てきて、家族そろって近況を語り合い、次女がアメリカで覚えたカリフォルニア

巻きを作って喜ばれました。

 8月14日の午後、私の実家を出発し、夕方にパパの実家に到着。同じように

まず仏壇の前に座って、仏様にお参りをします。パパの実家では、お盆と正月に

私たちが帰省すると、同じ村にいるパパの妹の家族にも来てもらって、にぎやか

に夕食を囲むようにしていました。パパのお父さんとしては、この時が一番嬉し

い時間のようで、いつも子供たちにお小遣いを下さいました。

 パパの家は山に囲まれた谷の入り口にあり、江戸時代は庄屋をしていた名家だ

ったそうです。蔵には当時の書物や文献があり、パパのお父さんは地域の歴史を

記録し、小冊子に残していました。近くの山の上は、街の明かりが見えないため、

天文マニアにとっては絶好の観測スポットだということで、お盆の頃のペルセウ

ス座流星群を家族そろって見に行ったことがありました。

 山の上にある公園の駐車場に、家族が仰向けになって星空を見ていると、天の

川がきれいに見え、星もとても大きいのです。そして流れ星がサーッと尾を引い

て飛んでいきます。1時間くらいそこにいましたが、流れ星は30個以上あった

と思います。こんなに沢山の流れ星を見たのは、生まれて初めてで、とても感動

しました。


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 それからは、お盆に帰省すると、夜かならずそこに行くようにしているのです

が、この日は、台風の影響で曇りのため星空が見えず、断念せざるを得ませんで

した。
 8月15日。パパのお母さんがナス漬けのやり方を私に教えてくださいました。

パパは、田舎のナス漬けが大好物なのです。私は高血圧のため、漬物は食べない

ようにしているため家では作りませんでした。でもパパが大好きなので、私もな

んとか作り方を教えてもらおうと、パパのお母さんにお願いをしたのです。

 そのあと、みんなでお墓参りに行きました。パパの家のお墓は、村の庄屋さん

をしていただけあって斜面の頂上にあり、それは立派なお墓でした。

 お墓参りのあと、みんなでコスモス畑に行きました。ここは山の上にある農地

で、縄文時代の土器も出てくるという面白い場所です。天体観測スポットとなっ

ている公園もこの近くにあり、一面のトウモロコシ畑もあり、子供たちに言わせ

ると北海道みたいな、雄大な風景が広がっていて、我が家の大好きな場所なので

す。パパは子供の頃、おばあちゃんと一緒に桑摘みによく来たそうです。

 パパのお母さんはここで、スイカや大根などを作っています。息子が幼稚園の

頃、大きなスイカを「僕に任せてください」と運ぼうとして落とし、大笑いの種

になった懐かしい場所です。この上のほうにパパのお兄さんが管理しているコス


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モス畑があり、その先の道路からは越後三山と町や村の大パノラマが見えるすば

らしい場所があります。パパは18歳になるまで、この越後三山を仰ぎ見ながら

生きてきたためか、この山を見る目がまるで違うのです。それこそ恋人に会うか

のようであり、そわそわしています。

 パパの家に帰ると、我が家は真っ先にここに来ては、いつも記念写真を撮って

います。

 その越後三山を見て、パパは怪訝な顔をしています。台風の影響のために青空

ではなく、山に不気味な灰色の雲がかかっています。  「数10年この山を見てきたが、こんな雲は初めて。この雲は霊界の雲みたい

だ」

 パパは不安げに言いました。何か悪いことが起こる前触れのように感じられ、

私は、海に合宿に行った息子のことが心配になりました。

 その後、山の上からパパの家を見ました。パパの家の後ろには小さな山があり、

その頂上には神社がありました。

 「あれは薬師様で、お盆前には道の掃除と、33体あるお地蔵様にお花を供え

るのが、我が家の子供の仕事だったんだよ」

 その薬師様の神社のふもとには、観音様の神社があり、この二つの神社がパパ

の家の守り神となっているのです。


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 パパは子供の頃に熱を出して寝込むと、きまって真っ暗な暗闇の中で戦ってい

て、最後に観音様が現れて助けられる夢を何度も見たそうです。また、パパはお

ばあちゃん子でしたが、おばあちゃんは熱心な仏教徒で、親しい人が亡くなる前

に、空からお坊さんがお迎えに来るのがいつも見えたそうです。そのおばあちゃ

んは、95歳の秋分の日、家の前で自動車にはねられて亡くなりました。

 山の上からパパの家を見たあと、みんなでコスモス畑に向かいました。パパと

私が歩いている後ろ姿を見ながら、次女は「これが幸せの光景だ、なんと幸せな

んだろう」と思ったそうです。

 コスモス畑のコスモスは、まだ咲き始めでした。それでも大きなピンクや赤の

花がグリーンの枝の中に咲いている様子はとてもステキです。みんな思い思いに

コスモスの花に見とれていました。私も畑の中に入ってあちこちと見て歩きまし

た。パパは一生懸命コスモスの写真を撮っています。

 次女が私の髪にピンクのコスモスを刺してくれました。子供たちと一緒に1枚、

パパと腕を組んでのラブラブショットを1枚撮ってもらいました。すばらしい自

然の中での、雰囲気のいい写真となりました。この写真が、実は私の最後の写真

となり、遺影の写真となることなど、この時誰が想像できたでしょうか。

 パパは山を降りたあと、「パパの家の守り神でもある薬師様に行ってお参りし

よう」と言い出しました。そういえばここ数十年お参りしていないのだそうです。


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 自動車で行けるところまで行って途中に止め、そこから歩いて登りました。そ

んなに険しい道ではありませんでしたが、粘土質の道ですべりやすく、木の枝に

つかまりながら登りました。

 山の頂上には小さな神社があり、それが薬師様でした。パパは数十年ぶりの薬

師様を感慨深げに見つめ、「数百年前、ご先祖様がこの薬師様を立てて村の平和

と安全を祈ってきたんだよ」と語り、家族そろってお参りしました。

 私はいつも、パパは大切な時に目に見えない大きな力に守られていると感じて

きましたが、それは皆様が守っていてくださったのですねと感謝の祈りをささげ

ました。次女もこの時パパが語った先祖の歴史に感動し、アメリカの大学のレポ

ートに書いたそうです。

 8月15日の午後、沢山の野菜をいただいてパパの実家を出発し、関越自動車

道に向かいました。ユーターンラッシュの少し前だったので、渋滞はそんなにひ

どくはなく、夜8時すぎには横浜の家に到着し、やっと落ち着きました。海の合

宿に参加していた息子も無事帰っていました。その日は、みんな疲れていたので、

たまった洗濯や後片付けは明日ということにして、お風呂に入ってのお休みです。

「パパ、運転お疲れさま。ありがとうね」


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