8月26日午後7時52分、心臓停止



 明日26日の午後4時には、いよいよ青葉台教会に韓国から最高の霊的役事

を行うことのできる大母様が来られます。私のことは、16日に倒れた時からフ

ァックスで連絡を入れ、お祈りしていただいているということです。本当にあり

がたいことです。私には、すでに何度も病室に来ていただき、お祈りしていただ

いているように感じられます。

 パパは、パパの実家のお母さんに電話して、明日の午後4時に仏壇の前でお祈

りしてくださいと頼んでいました。パパのお母さんは勿論了解。さらにファック

スとメールで、親しい人にお祈りしてくださるよう必死にお願いしていました。

 40日修練会で一緒だった名古屋の松岡さんという婦人に電話したら、名古屋

から車を運転して、これから行くと言われました。数日前、知り合いの高名な仏

教系の霊能者にお会いした時、「お知りあいに、脳の病気をされている方はいま

せんか」と言われたのだそうです。その時は、心あたりが無かったわけですが、

パパの電話に驚いて、何か使命を感じられたのでしょう。名古屋からは6時間か

かりますから、パパは翌日新幹線で来てくださいとお願いし、松岡さんは26日

午前11時に病院に来てくださいました。


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松岡さんは母に、神様や霊界や教会の証などを熱心に話してくださり、本当に

すばらしい働きをしてくだいました。まさに、神様が遣わしてくださった人で、

子供たちも母も感動していました。

私は、それまで松岡さんにお会いしたことはありませんでしたが、パパが清平

の40日修練会に参加した時、松岡さんが我が家の長男と同い年の高校生を連れ

て一緒に参加されていたことや、そのお子さんをパパがいろいろ面倒をみたこと

などを聞いていました。それでパパが電話した後で、松岡さんの心に、我が家の

子供たちのこともよろしくお願いしますと語りかけました。

松岡さんは、私が緑の草原に一人で立っていて、子供たちをよろしくお願いし

ますと挨拶してきたことをパパに伝えました。パパは「コスモス畑でお別れの挨

拶をしたのかな」と、その時はあまりピンと来なかったようです。

病院としては、緊急性が無くだいぶ落ち着いたということで、26日に集中治

療室から緊急病棟へ、私のベッドを移動していました。それで、母は長期戦にな

りそうだから28日にいったん新潟に帰ろうと決めていました。

午後3時、みんなで青葉台教会に行きました。聖歌の賛美が始まり、パパも子

供たちも母も、なぜか嬉しくて涙ぐんでいます。息子と次女は、暖かい風が吹い

ているように感じていたそうです。


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午後4時に特別集会が始まり、次女は代表で花束贈呈をさせていただきました。

大母様は、皆さんに会うのが嬉しくてたまらないという様子で、「絶対信仰、絶

対服従、絶対愛、神様と一心一体となれば、疲れないで喜びと希望に満ちて歩め

ます」とお話ししてくださいました。

明日27日は、川崎で先祖の霊を解怨する大きな集会が行われます。「病室に

行って悪霊をいっぱい連れて、明日の大会に来るように」と、大母様からみ言葉

をいただき、嬉しい気持ちで青葉台教会の集会を終え、松岡さんを新横浜駅に送

り、ついでに母が28日に新潟に帰る新幹線の切符を買って、遅くなったので、

回転寿司のお店で夕食を取っていました。

その時、パパの携帯電話が鳴りました。病院からで、血圧が下がり、脈も不安

定なので早く来て欲しいというものでした。午後6時すぎ、急いで病院に行くと、

朝は100くらいあった血圧が30前後なのです。顔色も血の気が無くなり、足

も冷たく脈も不安定になっています。

みんなはあわてて、手足をさすり、一生懸命語りかけます。汗だくになり、次

女は泣きながら「ママ逝っちゃだめだ」と呼びかけます。下垣先生もかけつけて

お祈りしていただきましたが、次第に脈がとぎれ、やがてドクターから心臓が停

止したことを告げられました。午後7時52分でした。

 「ママ、よく今日までがんばったね。本当は数日の命だったはずなのに、今日

まで命を持たせて、私と子供たちに神様について、信仰について、霊界について

たくさん教えてくれて、本当にありがとう」


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 「お母さん、よくがんばったね」

 「お母さん偉かったよ」

 長男と長女がそう言って誉めてくれました。そういえば誰も悲しみの涙を流し

ていませんでしたね。今日までの10日間で、神様から心の整理をさせていただ

いたからだと思います。

 それからのパパたちは大変でしたね。親戚や親しかった人への連絡と、私の遺

体の引き取り。でも一番ありがたかったのは、上司の小柳社長が部下を連れて病

院に駆けつけてくださり、現実的なさまざまな手配をして下さったことです。

 パパも子供たちも、急にこんなになるとは思ってもいませんでしたし、まして

身内で亡くなる人はずっといませんでしたから、何をどうしていいのか全く分か

りません。病院では私の遺体からチューブを抜いたり、電極を外したりしたあと、

着替えさせて地下の霊安室に移動させました。このあと、業者の車で自宅に運ぶ

のだそうです。

 8月27日午前0時すぎ、私の遺体はストレッチャーに載せられて、懐かしい

我が家に帰ってきました。

 小柳社長は、まず私の遺体を安置する場所を作りました。夫婦の寝室がいいだ

ろうということになり、二つあるベッドをたたんで片付け、北を枕にして安置し

ます。葬儀会社と携帯電話で連絡を取りながら、てきぱきと指示を出していかれ

ました。さすがですね。


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 二人の娘は、私を教会の式服に着替えさせてくれて、お化粧をしてくれまし

た。

 「ママは笑ってるよ」。みんなが私の顔を見てそう言いました。

 パパは、「ママは、すごくおちゃめな顔をしてるね。まるで、どう、こんな

死に方はみんなにはできないでしょうと、誇らしげな笑い方だよ」と喜んでい

ました。そして、「この笑顔のママと記念写真を撮ろう」と三脚を準備しました。

 「はい、ママと一緒にチーズ」。こうして、我が家の特別な写真が撮影された

のです。葬儀の日程が決まるまでの間、我が家では、昔そうだったように、家族

そろって寝ようということで、私の遺体を囲んでの就寝となりました。それは、

本当に心やすまる平和な時間でした。

 8月27日には、川口の叔父さんとパパの兄夫婦が来ていろいろと準備を進め

てくださいました。また、昔パパが伝道したよし子ちゃんが、千葉からお花を持

って来てくださいました。パパの知り合いで、私も何回かお会いしたことのある

人たちが来てくださり、家の中のことを手伝ってくださいました。岐阜からよし

子ちゃんの親友の文子さんが来てくださって、子供たちにいろいろと信仰の話を

してくださったのは本当に感謝でした。

 親から話すのは、なかなか難しいところもあり、それに私は信仰について子供

にはおろか、人にもなかなか話せない人間でしたので、大助かりでした。


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 葬儀は、お通夜にあたる帰歓式が8月29日午後7時、告別式にあたる昇華式

が8月30日の午前10時から青葉台教会で行われることになりました。その後、

群馬県にある統一教会の尾瀬霊園に行って埋葬となります。

 これらの葬儀についても、小柳社長が葬儀委員長となってすべてを手配してく

ださいました。小柳社長は、教会の大先輩でありながらとても実務能力が高く、

信仰のポイントもしっかり押さえていて、素晴らしい方です。

 「我が家の子供たち。小柳社長の家に足を向けては寝れないんだよ。パパもマ

マも本当にお世話になったんだからね」

 小柳社長とパパと葬儀会社の方が、葬儀の具体的な式次第や費用について、家

で打ち合わせをしています。葬儀会社の方が、写真を見せながら費用の説明をし

ています。

 「まあ、ずいぶんお金がかかるのね。私の生命保険の分があるからなんとかな

るけど、この後私の収入が無くなるわけだから、あまりお金がかからないやり方

がいいわ」

 パパは、葬儀や埋葬、墓石などで合計200万円くらいかかるのでびっくりし

ています。その説明を聞きながらパパが質問しました。

「尾瀬霊園に遺体を運ぶ時、業者の車でないといけないのですか?あの黒い車

は好きじゃないな」


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「そうそう、私もいやだわ」

「10万円もするんですから、これをやめてうちの車に乗せてあげたい。家内

はいつもこの車に乗って関越自動車道で新潟に行ったんですから」

 法律的には埋葬許可書を持っていれば問題ないということで、棺が実際に車に

入るのかを調べることになりました。パパのお兄さんと川口の叔父さんが棺の寸

法を測り、パパの車を調べた結果、大丈夫ということで、我が家の車でパパが運

転することになりました。

 「私もパパの運転で、乗りなれた車で運んでもらうほうが嬉しいわ。業者さん

には悪いけど」

 これで10万円の節約ができます。それから、マイクロバスを借りるかどうか

という質問になりましたが、親戚や関係者はほとんど車で来るため、必要ないこ

とが分かりました。

 祭壇に飾るお花は、会社からできるだけ関係者に呼びかけて出していただくこ

とにし、次に式次第での挨拶を誰にやってもらうかという検討です。司会は、小

柳社長にやっていただくことになりました。29日の帰歓式は、私がずいぶんお

世話になり、親しくさせていただいた小林社長にお願いし、30日の昇華式は、

新潟で私を教会に導いてくださった大越さんと、その後私が伝道したトミ子さん

にお願いすることとなりました。

 小柳社長は、子供たちもこれだけ大きくなっているのだから、子供たちの挨拶

を入れたらどうかと言われ、次女がそれなら家族そろって歌を歌い、「ママを天


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国に送る言葉」をみんなで読んだらどうかと提案しました。

 家族そろって何を歌うかと議論が始まり、私が好きだった歌で、家族全員で歌

えるアメージンググレースに決まりました。それで、以前パパがNHKのテレビ

番組で録画してあったアメージンググレースの由来を、みんなでもう一度見まし

た。パパはインターネットで検索し、英語の歌詞をひっぱり出してきました。

 アメージンググレースは、「驚くべき主恵み」という意味で、歌詞も原文は

すごく長いのです。パパは最初の部分と最後の部分を日本語に訳し、それを使う

ことにしました。メロディがとても美しく好きな曲でしたが、こんな意味の深い

歌詞がついているとは私も知りませんでした。



  驚くべき主の恵み なんとやさしい響きだろう

  こんなみじめな私をも救ってくださった

  かつて私はうしなわれ、そしていま見出された

  かつて見えなかったものを 今や見ることができる


  この肉体と心が朽ちはてて 私のいのちが終わるとき

  私は 喜びと安らぎのいのちを宿す


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われらは永遠のいのちとなり 太陽のように輝く

  主をたたえる歌は 始まってから絶えることがない


                                  パパは、肉体の生命が終わって永遠の生命への新しい出発をしようとしている

私の状態を考えてこの歌詞を選びましたが、まったくその通りで私の魂はどこか

に引き上げられていく直前のような感じなのです。暖かくてとても嬉しい、懐か

しい思いがこみ上げてきます。もうすぐ家族のみんなと別れるようになるんだな

と分かりますが、悲しさや辛さはまったく感じられません。むしろ、早くそちら

に行ってみたい、私を呼んでいる声に向かっていきたいという思いが強くなるの

です。そして、私のまわりに先祖の方々やずっと以前に亡くなられた方々が来て

いて、「何も心配はいりませんからね」と私を道案内するために来られているよ

うに感じられます。

 さて、我が家ではパパと子供たちによる歌の練習が始まりました。応援に来て

くださっている文子さんも、家族のようなものだから、当日一緒に歌いましょう

ということで入ってもらいました。パパは高校時代から持っていたオカリナを取

り出して、練習を始めました。パパは高校時代にブラスバンドをやっていて、音

楽的センスはかなりいいのです。オカリナの音色は素朴で、アメージンググレー

スによく合いますね。

 パパは、最後の歌詞はハレルヤハレルヤにし、葬儀に集まっていただいた皆さ


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んにも一緒に歌っていただこうと考え、子供たちに両手を上げて振らせました。

「パパ、息子の手の振り方は心がこもってなくて見っとも無いわ」

「はい、止めて。駄目だよ、そんな手の振り方じゃ。心をこめて振らなきゃ」

「そうよパパ、よく分かってくれたわね」

 遺体の前で歌の練習をする家族なんているでしょうか。でも、これが我が家な

んです。これがいいと思ったら、人がどう思おうと我が道を行くのが、私の愛す

るパパと子供たち。歌の練習は夜遅くまで続きました。パパは、その後、音が漏

れないようにとお風呂場に行って、オカリナの練習をしています。

 「そうよね。私と結婚したばかりの頃はよくオカリナを聞かせてくれたけど、

子供が生まれて仕事が忙しくなってからは吹いていないものね。でも、あのオカ

リナをよく何十年も取っておいたわね」

 音楽は人の心を潤します。家族そろって歌うのは、本当にひさしぶりです。昔、

長女が韓国に留学していた時、次女と息子とパパがカセットテープに、当時はや

っていたディズニー映画の「美女と野獣」の中の歌をおもしろおかしく歌い、長

女に送ってやったことがありましたが、あの時は家族そろって笑いころげながら

歌って、とても楽しいものでした。やはり、家族で歌を歌うとか、合奏するとか

は必要ですね。


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 練習の成果で、我が家のアメージンググレースはなんとか聴けるようになり、

続いて「お母さんを天国に送る言葉」作りです。まるで卒業式の送る言葉みたい

ですね。子供たちが、それぞれ私への言葉を書いて、パパがまとめることになり

ました。27日夜の締め切りでしたが、子供たちの文章はまるでバラバラ。結局

パパが、子供たちの気持ちをまとめて書くことになりました。

 28日の朝5時。パパは目が覚めてパソコンに向かいました。パパは何か閃い

たようです。一挙に書きあげると、長女から順に読む箇所を決め、プリントしま

した。

 歌の練習に続いて、我が家ではこの「お母さんを天国に送る言葉」の練習が

始まりました。葬儀はいよいよ明日の夕方から始まります。パパは、お友達に電

話して、ビデオの撮影も頼んでいました。さすがに自分でビデオカメラを操作す

るわけにはいきませんからね。

 私は、26日の深夜に我が家に帰ってから29日の午後4時まで、我が家で家

族そろってゆっくりすることができ、とても嬉しかったのです。公団のこのすて

きなマンションに、果たしていつまで住んでいられるだろうかと思ったことがあ

りましたが、やはりその時が来てしまったのですね。

 8月29日午後4時に、パパとパパのお兄さん、川口の叔父さん、息子が私の

入った棺を家からパパの車まで運びました。病院から帰って来たときは軽かった

私でしたが、棺に入れられ、ドライアイスがたくさん詰められると、パパたちに

はとても重かったようです。このマンションにはエレベーターがありませんでし


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たから、階段を注意しながら降りていきました。きれいに洗車した車に乗せられ、

20分ほど走って青葉台教会に到着しました。


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