天国への昇天



青葉台教会の玄関には、私の名前が書かれた看板が立てられ、葬儀社の方が花

輪などを運び込んでいました。礼拝堂の中には祭壇が準備され、私の棺はその正

面に置かれました。娘たちが、丁寧に私のお化粧のチェックをしてくれました。

この時の私の顔を見ると、病院から帰ってきた時のおちゃめな笑顔ではなく、威

厳のある笑顔に変わっていました。遺体の顔も、時間とともに変わるものなんで

すね。

 金曜日なのに、聖歌隊の方々が来てくださっていて、既に聖歌の練習をしてお

られました。ありがたいことです。パパはピアノの演奏者の方と、アメージング

グレースの時の演奏について打ち合わせをしていました。

 午後7時の帰歓式の少し前に、新潟から私の妹夫婦が会場に到着しました。二

人は、椅子に座るやいなやハラハラと涙を流しました。8月14日に新潟の実家

で元気な私に会ったのに、15日後には葬儀会場での無言の対面となるのですか

ら、泣き出してしまうのは当然です。挨拶に行ったパパも、もらい泣きしてしま

いました。

 会場には、かつて私がお世話になった方や親しい方々、懐かしい教会の皆さん

がたくさん来てくださっていました。


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 午後7時、小柳社長の司会により、お通夜にあたる帰歓式が始まりました。聖

歌の賛美、代表祈祷、故人略歴紹介のあと、大越さんと小林社長のお話となりま

した。大越さんは、新潟で私を教会に導いてくださった方です。

 私は、商業高校を卒業したあと、証券会社に勤務し、社交ダンス部に所属しな

がら、楽しく生活していましたが、人間関係の問題で行きづまり、市内の本屋で

倉田百三の「出家とその弟子」の本を手にしている時に、大越さんに「幸せです

か?」と声をかけられたのです。この大越さんとパパは、同じ頃に新潟で増渕さ

んに伝道された霊の兄弟であり、良く知っている仲だったというのも、不思議な

話です。大越さんは、私が倒れた後、何度も病院に来てくださり、パパや子供た

ちの一番の心の支えになってくださいました。大越さん、これからもお願いしま

すね。

 続いて、小林社長のお話です。小林社長は、ここ数年私が一番お世話になった方

です。特にパパが外国で病気になり大変だった時、私が混乱しているのを見て、

「あなたの信仰はどこへ行ったの?あなたの信仰を現しなさい」と、私を正してく

ださった方で私の恩人とも言うべき方です。

 その小林社長が、私との思い出を語り、海外旅行に一緒に行きましょうと約束

したのに、と語り出すと、パパは涙がこみ上げてきて必死にこらえていました。

次女はそんなパパに気づき、パパをにらんで、泣いちゃ駄目と目くばせをしていま

す。


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献花、焼香の時間となりました。私の妹夫婦や、長女がアルバイトをしている

コンビ二のオーナーの奥様などが、悲しんでいる様子を見て、私は「悲しんでは

いけない。私は喜んで天国に行こうとしているんだから。このことをパパに伝え

て、喜んで送ってもらわなくちゃ」と焦りました。そしてパパに語りかけはじめ

ました。

 「パパ!パパ!私は喜んでいるんだからね。みんなに悲しまないで喜んで送っ

て欲しいと伝えてちょうだい」

パパははっとして、手にしていた式次第の後に、ボールペンで私のメッセージ

を書き始めました。パパは私からのメッセージを書きあげると、私の写真を見つ

めて深くうなずきました。祭壇に飾られた私の写真は、八月十五日にパパと二人

でコスモス畑で撮った写真から、パパがパパの手をデジタル処理で抜いたもので、

笑顔がとてもすてきな写真です。

 祭壇に飾る写真が必要となり、私の写真を探して、倒れる前日の8月15日に

コスモス畑でパパと二人で撮った写真が、一番いいということになり、急遽パパ

が得意の合成で作ったのです。

パパは、「パパの時にも、この写真のパパの部分を加工して使おうかな」と言

っています。きちんとした写真をほとんど撮っていないため、急に亡くなって残

された家族が、最初に困るのは、祭壇に飾る写真が無いということです。年賀状

の写真のために、最低1年に1回は家族写真を撮っていた我が家でも、一人だけ

のアップの写真は撮っていませんでした。


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 でき上がった私の写真は、緑とピンクのコスモス畑の中で、笑顔の私が微笑ん

でいて、髪には1輪のピンクのコスモスの花びらが飾られていて、とてもすてき

です。

 「パパ、ありがとう」

 子供たちによる、「お母さんを天国に送る言葉」が始まりました。

 子供たちは、気負うわけでもなく、とても素直に今の感謝の気持ちを語ってく

れました。

「みんな、とてもすてきだよ。ママはそんなみんなが誇りだよ。ママはいつでも

一緒で、みんなを守っているから、みんなも頑張るんだよ」。

 聖歌隊の年配の婦人には、この帰歓式の間中、祭壇の中央に掲げられた私の写

真が、口をパクパクしながらずっと語り続けていたのが見えたそうです。

 続いて祝歌、アメージンググレースです。



     Amazing Grace, how sweet the sound

     That saved a wretch like me

     I once was lost, but now am found

     Was blind, but now I see



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 最後にハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、アーメンの歌詞にし、お集まりいただ

いた方々が全員ハレルヤと賛美し、手を振っていただきました。葬儀というより

は、神様を讃えるすばらしい集会のようでした。

 「皆様、本当にありがとうございます。こんなにしていただいて申しわけあり

ません」

 最後にパパの挨拶です。パパは、はじめ考えていた形どおりの挨拶をやめ、悲

しまないで喜んで欲しいという私のメッセージを語り始めました。

 「家内はくも膜下出血で16日に突然倒れ、それから丸1日、私たち家族は神

様を忘れ、絶望と悲しみのどん底の中にいました。神様を恨むような気持ちさえ

ありました。でも次の日の夕方、下垣先生が来てくださり、神様の目的は奥様の

命を奪うことではありません。奥様は亡くなりませんと語ってくださり、子供も

私も急に霧が晴れたように、何の不安も無くなりました。家内はいつも家族と一

緒にいるんだと感じられるようになりました。

 家の中にも、家内がいるという気配が感じられるんです。時には私の体の中に

入っているようにも感じられます。それが、とても若くてきれいでにこにこして

いて、えっ!家内はこんなにきれいだっかなと思うほどなのです」

 「何よパパったら、今頃気がつくなんて。私の本当の美しさを分かっていなか

ったパパの目が節穴だったのよ」


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「実は、さきほど献花焼香中に、家内の思いが強く感じられて、あわててその内

容をメモしました。

 家内は、考えられないような素晴らしい世界に今向かっていて、自分でもびっ

くりしています。それで嬉しくて天国に向かっているのだから、悲しまないでい

ただきたい、喜んで送っていただきたいと語っておりますので、よろしくお願い

いたします」

 帰歓式が終わると、パパの兄夫婦の聖酒式が、祭壇の前で行われました。聖歌

隊が宴の時の聖歌を歌ってくださり、パパと子供たちが周囲でお祈りし、結婚式

のような感動的な儀式となりました。お姉さんは聖酒を飲む時に涙を流していま

した。

 妹のご主人は、「敏江さんは本当に幸せだったんだね」と言ってくれました。

パパのお兄さんは、「お別れ会で、こんなにしめっぽくないのは初めてです」と

喜んでくださいました。

 「パパ、小林社長のお話の時、パパが泣き出すんじゃないかと心配したよ。で

も最後のパパの挨拶、とても良かったよ」と次女が話しかけます。

 「ママ、すごいよね。自分が死んだ時、とてもこんな昇華式はしてもらえない

なと思ったよ。下垣先生のお話もとても感動的だったね。拍手したかったけど、

昇華式で拍手してはいけないの?」。長女も感動しています。

 「パパも拍手したいと思ったんだ。昇華式は本来、喜んで天国に送るお別れの

会なんだから、拍手してもいいと思うよ。明日は、下垣先生のお話のあと、我が


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家はみんなで拍手しよう。

 今日は、とても導かれて嬉しい帰歓式となったね。明日はもっと導かれて、パ

パのお兄さんやママの妹さんや親戚の人が、神様の愛を感じることの出来る昇華

式になれるよう、みんなでお祈りしようね」

 パパは、最後に私を万歳三唱して、私を式場から送り出したいと、この時思い

ました。

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