第1章 どれだけ人を愛しましたか?


幸福の青い鳥は、山の向こうではなく、あなたの家の中にいます。平凡な生活でも、
あなたの愛が夫婦親子の中で豊かに育っていれば、そこが天国です。今の生活の中
に天国を見出せない人は、来世に行ったからといって天国に入ることはできません。

ご主人や奥様との夫婦愛の中にも、神様は臨まれます。神様を中心にして、夫婦愛が
よりしっかりしたものとなり、幸福があふれ、まわりの人々に潤いと希望を与えられる
ようになるのです。

信仰の学び家は、「愛の学校」です。新約聖書に「わたしたちは、互いに愛し合おう
ではないか。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」というみ言葉があります。
これは、非常に重要な真理です。

あなたは、今までどれだけ人を愛しましたか?この愛は男女の愛ではなく、理解、信頼、
尊重、寛容、忍耐といった、普遍的な人類愛、つまり神様の愛で愛したかということです。
人間は、愛されて初めて、自分と他人を愛せるようになります。その出発点は家庭です。
親から十分に愛されて、「自分は大切にされているんだ」という実感を持ち、自分に自信を
持ち、自分を好きになれます。自分が大切にされたように、他人をも大切にするように
なります。

しかし、実際は簡単にはいきません。親との間で愛情のひずみがあり、誰もがなんらかの
心の傷を持っています。この心の傷と、愛されなかったという愛の恨(うら)みが、私たちの
人生を暗いものとします。

                                          青春時代は、異性に愛を求めます。「愛して欲しい」と。その相手だって「愛して欲しい」
のです。愛を持っていない者どうしが一緒になっても、何も生まれません。本当の愛が
なかったら、結婚生活もつまらないものになってしまうのです。

愛はどこにあるのですか?愛とは神様そのものの本質です。異性や人に愛を求めても、それは
得られません。

親からも異性からも、結婚しても得られない愛はどこから得られるのでしょうか?
愛の主体は、神様だと話しましたが、人間は堕落の結果、本性が麻痺し、神様がわからなく
なってしまいましたから、そのままではどうしようもありません。人間も不幸ですが、親で
ある神様はもっと辛く、苦しい立場です。そこで、救いのプログラムが組まれ、最終的に
救世主が遣(つか)わされたのです。

                  人間は、救世主を通じて本当の愛や、神様がわたしたちの親であること、親である神様が子供
である人間の帰りを待ちわびていること、そこですべての問題が解決され、救われることを知り
ました。
ですから、教義ではなく、ご父母様やみ言葉を通じて、神様がどのように私たちを愛してくださっ
ているかを学びましょう。
                                 ご父母様が示してくださった教えにもとづき、神様を自分の親として本当に心から思い、わから
なくてもまずそうイメージして、いつでも神様に語りかける。これが祈りです。

はじめは、何も見えない暗闇の中で、知らない相手に呼びかけているようで、「はたして神様に
届いているだろうか?」と不安になりますが、とにかく続けるのです。これが一番効果があります。
神様は、必ず祈りを聞き入れて下さいます。神様は、祈らなくても私たちの現状はわかっている
のですが、「おとうさん、買って買って!」と何度も子供に言われると、なんとかしてやりたいと
いう親心と同じなのです。

ですから無言の祈りよりも、言葉に出した祈りのほうが聞かれます。そして、最後に「あなたは、
この祈りに必ず応えてくださる方であることを私は信じています」と言えば確実です。
 本当に大変な時、「この祈りを聞いてくださらないなら、もういいです。あなたを頼りにしません」
と祈った婦人に、神様は解答を持った人をすぐ遣(つか)わした例があります。神様は親なのです。