第6章 神様に反応する良心


もともと人間は、神の子として作られたのですから、神様に反応する良心とも
本心とも言われる要素を持っています。人によってその強弱の違いがありますが、
これを神様の電波を受信できる受信機と考えてみてください。
神様は、その受信機に電波を送り、メッセージを送ることができます。しかし
その受信機が壊れていたり、感度が悪かったりするのですから、神様も大変です。

人間の側は、「何か聞こえてきた」と理解することができますが、その電波に耳
を傾け、その発信源に向かっていこうという「神のもとへ帰ろうとする心」は、
「自らの決断」を必要とします。これが、信仰であり、「人間の責任分担」です。

神様がほとんど準備され、人間がわずかな責任分担を果たすことで神様の摂理が
進みます。統一教会では、この人間の責任分担を「五パーセントの責任分担」と
言います。神様が九十五パーセント準備されているからというのです。

「神のもとへ帰ろうとする心」は、もともと人間に与えてくださった神の子として
の感性(受信機)に、神様が電波を流され、愛を注いでくださる結果、生まれてくる
ものですから、「神様が与えてくださるもの」と表現できるのです。でも、そこから
は、「自らの決断」「信仰」という人間の五パーセントの責任分担が必要とされます。

神様は何語で人間に語りかけるのでしょうか?これは、文鮮明先生が私たちに質問
された内容でした。答えは、何語でもなく、人間の言語中枢に直接語りかけるという
のです。これには私もうなりましたね、なるほどと。

私にも神様が確かに私の心に直接語られたという経験が何回かあります。その時は
ものすごく嬉しかったですね。

私と家内は一九七五年に韓国ソウルで千八百組の合同結婚式に参加しました。その夜
夢を見ました。結婚式に参加したカップルが一組ずつ神様の前で挨拶をするのです。
私たちの番が来ました。
まず敬礼をし、「天のお父様、あなたの息子です。こちらがあなたの娘です。」と言い
ました。その時、「うん、わかった」という強い思いが感じられたのです。

嬉しくて涙が出てきました。夢の中でも、実際でも涙を流していたのです。胸にこみ
上げてくる熱い思いにすぐ目がさめました。そして涙を流している自分を知り、これは
夢ではないと確信しました。夢だけど夢でなかったという体験です。

最近のことですが、私は昇華した(亡くなった)家内を通じて、神様の存在をとても
近くに感じさせてもらったことがあります。それは天国の愛の空気の雰囲気でした。
それはどこにいても母親の暖かい愛情に包まれている感じで、加湿器のある暖かい室内
のような雰囲気なのです。空気の密度が濃く、輝きがありました。
「天のお父様」と言えば、心の奥底で「何だい」という優しい声がジーンと響いてくる
のです。神様の姿は見えないのですが、その場におられるのははっきりとわかります。
とても嬉しいのです。

家内がある日、「神様がおられる光景を見せてあげるから起きて」と寝ていた私を
起こしました。これも夢の中のことです。そこは雪山でしたが、自然の雪山では
ありませんでした。そこに朝日が昇ってきました。白い雪山と雲が、真っ赤に染まり、
やがて金、銀、黄、緑、青と、息をのむような原色に染まっていくのです。神様は
テレビのように映像も見せることができるのです。