第7章 父なる神様


キリスト教会では、神様に人格があり、「天のお父様」と呼ぶわけですが、
はじめはなかなかその実感がもてないのです。宇宙の真理のような存在、
究極的存在という理解は、東洋人にはある程度わかるのですが、「天のお父様」
というのが、わかりにくいのです。
これは実際のその人の家庭環境の中で、父親がすばらしくて尊敬できたり、
甘えたりできた人はわかるのですが、そうでない人は「怖い」「いや」と
いう感情が先だってしまうのです。
アメリカに行っている友人によると、アメリカでは五十パーセントが離婚家庭
の子供のため、「親の愛」「父の愛」と言っても理解できないのだそうです。

聖書の中でイエス様が、罪の女や取税人や漁師を愛してくださる姿が描かれて
いますが、イエス様は、「天のお父様」が私たちをどのように愛してくださって
いるかを、見せてくださったわけです。ですから、聖書の中で、イエス様が愛
してくださった人の中に、私もいると思うことにより、父の愛がわかります。

そして、一番具体的なのが、自分の親と、霊の親が自分をどう愛してくれたか、
そこに神様の愛を感じることができるのです。これは、よく言われることですが、
親になってみると、親のありがたさがよくわかります。
実際、私の子供も「お父さん、帰りにコンビニでミルクアメ買ってきて」とか
「オヤジ!あのプラモが欲しいんだけど」とか平気で電話してきます。でも、
親はそう言われて嬉しいんですね。どんなに遅くなっても、開いているコンビニ
を探して買っていきます。

神様が目の前にいると思って(実際にいらっしゃるのです)、「お父さん、
私はね」と親しみを込めて語りかけるのです。これが祈りです。神様は大喜び
です、どんな願いでもかなえてあげたいと思います。これが神様を働かせる
コツです。神様にも甘えるのです。
さあ、これを日々の生活の中で、祈りでどう深く感じていけるようになるか
やってみてください。神様を自分の父と実感できるようになると、世界は
大きく変わります。

神様が自分の父である、親であると実感できると、人は他人ではなく、兄弟
姉妹となります。ベートーベン第九の合唱、シラーの詩の世界ですね。人の
幸せを祈り、自分も何とかしてあげたいと思うようになります。

私も男性ですから、若くてきれいな女性を見るとつい目がいってしまいます。
しかしその女性の両親、兄弟の姿が見えてきます。恋人の姿が見えてきます。
幸せにしてあげたいという父なる神様の思いに共鳴すると、自分の娘になる
わけで、その自分の娘に、自己中心の欲望を向けようなどという意識にはなれ
ません。

神様が自分の親であると実感できると、他の教派や宗教にも親近感を感じられる
ようになります。なぜならすべての宗教をまとめ、それぞれの教祖を指導し、
人類の幸せを実現しようとされているのが神様なのですから。

若い時に田舎に開拓伝道に行き、よく野宿をしました。田舎では古い神社に
泊まりました。はじめの頃は、うすきみ悪かったのですが、覚悟を決め、まず
そこでお祈りしました。

「私は、今、神様の使命を受けてこの地に来ています。この神社に働いた日本の
神様たちよ、よく聞いてください。あなたがたも天の父と真の父母様に
よらなければ救われないのであり、そのためには、この地での私の伝道活動に
協力しなければなりません。」

これがよく効くのです。仏教でも同じ。仏壇でもお墓でも、そこで先祖の霊に
語りかけます。説教をするといったほうが正しいでしょう。神様がこちらに
ついていますから、ぜんぜん怖くありません。先祖には、感謝の気持ちも
忘れずに。
先祖に感謝すると、効果が大きいのです。これは、偶像崇拝ではなく先祖伝道
です。霊界にいる多くの先祖たちも、きちんと伝道してあげなければならない
のです。

最後に、「悪を滅ぼす」「すべてを焼き尽くす」という最後の審判についてです。
神様は、愛の世界を創造されようとしたわけですが、実際は天使長ルーシェルが
サタンとなり、悪の人間世界が生まれてしまいました。
             悪を完全に滅ぼし、善の世界にしなければ、神様は創造に失敗した神様に
なってしまいます。ここで、悪を滅ぼすとは、悪人を魂ごと消滅させること
ではなく、悪人も我が子ですから、悪を分離させ、善人にして救っていくこと
であり、神様は最後には、サタンさえも救わなければならないのです。
東京ディズニーランドで、マイケルジャクソンが出てくる立体映画がありました。
ロボットのような冷たい女王が、マイケルジャクソンの愛に触れ、金属の鎧
(よろい)が消えて美しい女性に生まれ変わるという物語です。
確かに悪をすべて消滅させるのですが、悪人を消滅させるのではありません。
ノアの箱船の時ですら、肉体の命は洪水で滅ぼしていますが、魂まで滅ぼして
いないではありませんか。

これが、親ということなのです。神様は親であるがゆえに、最後まで責任を持つ
お方なのです。愛の親であるということを、最後まで完結されようとしておられ
ます。だからこそ、長い時間をかけてきたのであり、滅ぼすつもりなら、とっくに
滅ぼせたのです。恐怖の審判とはぜんぜん違います。