第12章 統一教会との出会い 私の場合


さて、今回は少し脱線して、私の入信にいたる人生経歴をお話ししてみたいと
思います。私は新潟の農家の次男として生まれました。祖母がある程度霊界の
見える人で、その影響も受けて小さい頃からお寺の講話を一緒に聞きに行った
りしていました。
農作業をしながら、「神様仏様はいつも私たちを見ておられるから、正直な生
き方をしなければならないよ。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありというのが
人生だよ」と、祖母はいつも語っていました。
父は海軍あがりの厳格な人で、よくたたかれ、柱にしばられたり、蔵の中に閉
じ込められました。「父親」というと「怖い」という気持ちが強く、教会に来
てから「天のお父様」と祈っても、「慕わしい」「やさしい」「会いたい」
「なんでも話したい」という気持ちになれず、ずいぶん苦労しました。
父と母はよく喧嘩をし、子供の私にとっては心に針が刺されるようにふるえ、
「どうして、自分の家はこういう愛のない家庭なのだろう?」と心の奥底で悩
んでいました。

「自分は、こんな親には絶対ならない。暖かい家庭を作る。子供に悲しい思い
をさせないぞ」この思いが、私の人生の出発点でした。

小学、中学とまじめで優等生のたぐいでしたが、高校二年の時の片思いで、
人生に目覚めたのです。今、思うと、「愛されたい」という思いを一方的に
自分が作りあげた架空の相手に向けたもので、相手にとっては迷惑なものだ
ったと思います。

これが、私の「愛の探求」の人生の出発であり、この女性には感謝しています。
それまで、文学など読んだことはありませんでしたが、「永遠の愛」をテーマ
として、文庫本を一日にほぼ一冊、むさぼるように読みました。高校二年から
三年にかけて、文学やさまざまな人生論を読みましたが、始めは遠くに見えた
光も、やがて見えなくなり、ますます道がわからなくなってしまいました。

                       彼女は、私に対して友達として接してくれましたが、恋人としての愛情を求め
る私とは、いつもすれ違い。高校生ですから当然のわけで、彼女のほうが大人
でした。
高校を卒業し、大学に入って別れると、永遠の愛だと思っていた彼女への思い
が、いつのまにか薄らぎ、他の女性に引かれていく自分の心を発見し、ショック
を受けました。彼女への思いを誇りにしていただけに、自分の心変わりが許せ
なかったのです。

                             「男女の愛は、永遠に続かないのだろうか?」

これが、大学一年の私のテーマであり、文学では解決できないことを知り、聖書
に解決のヒントがあるのではないかとひらめいて、新約聖書を買って読んでいま
した。わからないことばかりでしたが、イエス様の言葉は、胸にずしんと来るも
のばかりでした。
下宿の近くにカトリック教会があり、礼拝に数ヶ月通いました。プロテスタント
の教会にも行ってみましたが、いずれもイエス様のみ言葉からはほど遠い状態だ
と感じました。マリア像を買い、その前にローソクをともして祈っていました。

「神様。あなたがいらっしゃるのなら、私はどうしたらいいか道を教えてください」

ある日、統一教会の人たちがリヤカーで廃品回収しているのに出会いました。
もちろん統一教会が「異端」「親泣かせ」「偽キリスト」と言われていることは
知っていました。高校三年の時に社会のニュースとなった原理運動について、
新潟の地元新聞の読者欄に、「道を求める者として共感します。反対の声につぶ
されることなく頑張ってください」と書いて掲載されたことがあるからです。
リヤカーで廃品回収していた若者たちを見て、私は自分が恥ずかしくて、物かげ
に隠れてしまいました。
「彼らは道を見出し、それを実践している。私も道を求めているが、道に到達し
ていない」。
ある日、本屋から出てきて、街頭で伝道している統一教会の人と遭遇。出会いが
しらの交通事故のように、魅せられたように立ち止まってしまったのです。

                               「統一教会について知っています」
「神様は信じています」
「聖書を読んでいますが、わからないことばかりです」

やがて近くの統一教会の礼拝に行き、四日間のセミナーに参加しました。
「もっともらしいことを言っているが、聖書を自分に都合のいいように解釈
している」くらいの感想でしたが、神様への真剣さはそれまでのどこの教会
よりも強いものであり、それまでの孤独からは解放されました。

「ここには、これだけ真剣に神様を求め、聖書を実践しようとしている人
たちがいる」

これが、統一教会との出会いの初めだったのです。
でも、すぐに統一原理を信じられるほど、私は単純ではありませんでした。

 工学部のため、論理的実証的でないものはなかなか受け入れられず、信仰
生活では苦労しました。でも悩み多き信仰生活の結果が、この愛の学校の基礎
となったのですから、なにが幸いするかわからないものですね。