第16章 天法に違反するものとしての罪


「天法に違反するものとしての罪」と「神を傷つけるものとしての罪」。この
二つは、ほとんど同じ内容なのです。「天法」と言っても、そんなに難しい
ものではありません。原則は、旧約聖書の十戒の精神です。

1、わたしのほかに、なにものも神としてはならない。
2、自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
3、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
4、安息日(七日目)を覚えて、これを聖とせよ。
5、あなたの父と母を敬え。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはならない。
8、盗んではならない。
9、隣人について、偽証してはならない。
10、隣人の家をむさぼってはならない。

数千年前に書かれたものですが、日本はこの頃、縄文時代ですからいかにこの
内容が、精神的にもレベルの高いものだとわかりますね。

二千年前にイエス様は、この十戒の精神を要約すれば、
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ」
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」と説明しました。

ユダヤ教の教師が、「私の隣人とは誰か」という質問をし、それにたいしての
イエス様の答えが有名な「よきサマリア人の例え」でした。

真のお父様は、天法三ヶ条として、「夫、妻以外の相手と男女関係を持っては
いけない。公金を横領してはいけない。心情を蹂躙(じゅうりん)してはいけない」
と語っておられます。
人類の最初の罪、原罪について、アダムとエバは、神の言葉にそむいたことが、
どんなに大変なことかはわかってはいませんでした。ただ、エデンの園を追い
出され、神様を怒らせたことが悲しかっただけでした。

しかし、親である神様は二人への期待と願いが、巧妙なサタンと無知なアダムと
エバによって無残に打ち破られ、心は鋭いナイフで心臓をえぐられたような傷と
ショックを受けたのです。
やがて人類の良心はマヒし、神様がわからなくなりました。親である神様がいる
のに、「親なんていない」という言葉を聞き、神様はどんなに辛かったことで
しょうか。しかも、その子供たちがサタンの鎖につながれ不幸になっていくのを
黙って見ていなければならない神様だったのです。

世界中で一番悲しく、苦しく、辛い目にあい、心が傷だらけになっているのが
神様です。神様は、天の王座で、平和と喜びと愛の中におられる方ではありません。
だからこそ、苦しみや悲しみの中にある人を、神様はそっと助けられるのです。
ご父母様を通して、人類は神様が親であることを知りました。ご父母様の愛を受け、
喜んでいる子供の段階からもう少し大人になると、神様がどんなに苦労をされて
おられるかがわかるようになってきます。「神を傷つけるものとしての罪」が
わかるようになってきます。

あなたが、「自分なんて駄目なんだ」と思いこむと、神様は「本当は違うんだよ。
お前は自分が思う以上に、私にとってはかけがえのない大事な息子娘なんだよ。
サタンの罠にはまって、自分を傷つけてはいけない。」と、心に深い傷をおって
しまうのです。

「神様がわからない」「神様なんているものか」という言葉だけでも、神様は
傷つきます。「神を傷つけるものとしての罪」こそが、最大の罪であり、サタン
はこの問題で、人間を神様の前に讒訴(ざんそ)し、地獄に引いていこうとして
いるのです。

「神様、この人は本当は神様の子供なのに、自分は駄目だ、とんでもない罪人
で神様のもとに行く資格もないと言っています。親の思いも知らないとんでも
ない親不幸者ですね。親を悲しませる罪ゆえに、私が地獄に連れていきます」
と。自分でそう思わせておきながら、こんなふうに訴えるなんてひどいと思い
ませんか。サタンにはぜったい負けない、絶対許さないという決意、敵愾心
が必要です。