第17章 罪の実感


この講座は、あなた自身の、祈り、み言葉の学び、愛の実践、が必要とされます。

愛の実践についてのワンポイント。イエス様も「自分を愛するように、あなたの
隣人を愛せよ」と語っておられますが、「自分を大切にする=自分を愛する」と
いうことは、とても大切なことです。
この場合の自分とは、神様が自分に与えてくださった可能性、個性、価値であり、
神様の一部でもあります。ですから、「自分を愛する」とは、「神様を愛する」
ことであり、自己中心や身勝手な自分を大切にすることではありません。

自分の心をいつも見つめる、そして心に働きかける神様の声をいつでも聞ける
ように心の耳を全開にしている。あなたもすでにやっていますね。

さて、本題に入りましょう。「罪の実感」についてです。
罪にはサタンに騙(だま)されて自分を傷つけるものとしての罪。
サタンに騙(だま)されて他人を傷つけるものとしての罪。
天法をおかすものとしての罪。
神様を傷つけるものとしての罪。
この四つがありました。いずれも神様の悲しみとなります。

罪人は、自分の罪がわかりません。神様の立場、視点に立って初めて罪がわかる
のです。罪の実感というのも、信仰のレベルが高まり、神様の痛みが感じられる
ようになってわかることです。
罪の実感の本当の意味とは、自分が神様のみこころに背(そむ)いて堕落したアダム
とエバそのものであるとして、神に悔い改めの祈りをすることと、信仰の先輩が
教えてくれました。

神の前に不信仰をおかしたアダムとエバ、神様に従わないユダヤ民族、イエス様
を十字架につけたのも自分なのです。聖書を読んで、人間のおろかさや不信仰が
わかりますが、それは他人の話ではなく、全部自分のことなのです。聖書を自分
の話として読んでください。「罪の実感」は、時間がかかりますので、焦る必要
はありません。
それよりもサタンの存在がわかり、人間の愚かさがわかってきます。神様のこと
を知ろうとすると、最初にサタンがわかるのです。
今までサタンの牢獄の中で、「自分はどうせ駄目な人間だ。正しく生きようとし
てもしょせん無理。苦しくて大変。それよりみんなと同じように楽に生きよう」
と思っていたのに、目覚めてこの牢獄から出ようとする人間を見つけると、サタン
はあわてて攻撃にかかります。目覚めた神の子が増えるとサタンは困りますから、
幼いうちにつぶしてしまいたいのです。体や肩が重くなります。とても眠くなっ
たりします。
プールから出ようとすると水の抵抗があるように、現状のままの世界に留めて
おきたいというサタンの抵抗があるのです。

まず、あなたの信仰を無くさせようとしますが、あなたが挫折(ざせつ)しないと
みるや、サタンは弱い周囲を攻撃します。夫や子供という何も知らない家族を攻め
てきます。
戦いですから、守りの弱い所を攻めてくるのです。ですから、よく祈り家族を愛
して心をひとつにして守りましょう。大丈夫です。神様がついています。

怖がることはありません。大丈夫です。神様、ご父母様、イエス様、天使、先祖の
霊が守っています。いつも神様がともにおられることを確信して、悪霊を追い払う
決意をし、み言葉、祈り、聖歌を心の中でとなえるのです。

霊的に高い信仰者の歩みは、つねに悪霊との戦いなのです。ですから、祈って支え
あうことも重要なのです。私もいつもみなさんのために祈っています。
悪霊といっても、お化けのような怖いものではありませんから大丈夫。それに、
言っては失礼ですが、みなさんのところに行く悪霊は、同じくらいのレベルの悪霊
で、大親分が出ていくわけではありませんから、「神様とご父母様のみ名により
命令する。立ち去れ!」と毅然と命令しましょう。
聖歌は効きます。悪霊を追い払うような、勇ましい曲を数曲選び、事務所や自宅で
歌いこめる。歩く時も、心の中で歌う。自宅では、聖歌のカセットをいつも流し
ているというのもいいですね。
「サタンに狙われているなんて恐ろしい」と弱気になるのではなく、「私が目覚め
たから、サタンが必死に攻撃をかけているな」と理解し、ますますみ言葉を学び、
祈り、愛の実践を行うことを決意するのです。