第24章 難民キャンプで


二十年以上前、ベトナムの難民キャンプに取材に行きました。医療チームのボラ
ンティア活動の記録要員としてです。ベトナム国境近くには、カンボジア難民の
ための難民キャンプが作られていました。医療体制は遅れていて、日本から来た
医療チームはとても喜ばれ、大活躍です。

四十度近い暑さですが、夜冷えるため風邪をひく子供や老人が多く、薬がないため、
肺炎になっていき、これが一番危険でした。もともと医者にかかったことのある
人はほとんどいなくて、これ幸いと我も我もと診療所に押しかけ、医療チームは
食事の時間もありませんでした。

私は医療活動の取材の合間に、難民キャンプを見て回り、インタビューをしてみ
ました。きちんとした英語を話せる若者がけっこういて、取材は全然難しくあり
ませんでした。

同じチームのカメラマンは、「難民キャンプというから、アフリカみたいに、餓死
寸前でお腹がふくれている子供とか、食料を奪いあう様子とか、一目でそれとわか
る写真が欲しいのに、家はきちんとしているし、食事も配給されているし、写真が
撮れない」とぼやいていました。私もまったくそのとおりだなと思いながら、取材
を続けるうちに、重大なことに気づきました。

ここにいる二万人くらいの難民は、誰からも喜ばれていない存在なのです。自由と
移民の国アメリカが受け入れてくれるのは、英語が話せ、親戚がおり、技術才能の
ある人だけで、この中から百人もいないでしょう。ベトナム政府も迷惑で、半年後
くらいにはカンボジアに送りかえすのだそうです。カンボジアに送り返されれば
そこで、迫害され殺されるかもしれません。かつてのユダヤ人のように、誰から
も喜ばれていない人たちなのです。

食事があり、寝るところがあれば、それでいいではないかと、難民キャンプでは、
まずその準備をします。日本国内でも災害避難所はそうです。でも、そこにずっと
いる人にとって、将来の生活を描けない立場、何も期待されていない立場というの
は、希望のない辛い人生なのです。

その鉄条網の中に、私と同じ世代の青年で、明らかに私よりも優秀で英語の話せる
青年がいました。しかし、その青年の将来はおそらくとても厳しいものでしょう。
私は、そのキャンプで本を読ませ、映画を見せてあげたいと思いました。人間らし
さとは食べて寝るだけでなく、人との関係の中で愛し愛され、喜び、人のために生
き、自分が人に必要とされていることを実感しながら生きることではないでしょう
か。すばらしい本や映画には、そうした人間の姿が描かれています。そうしたもの
の無い生活は、いかに物やお金があっても、みじめで寂しい人生ではないでしょうか。