第26章 人を愛するとは


「こんな夫は愛せない、許せない」という話を聞きました。私は、自分の娘と息子
のことを考えて、胸が苦しくなりました。私には三人の子供がいますが、長所もあ
れば短所もあります。親からすれば、みんな可愛い子供なのですが、結婚する時に
相手とその両親から、その子の良さをわかってもらえるかが心配です。

親としては、この子たちが結婚する時、相手とその親から、私と同じ思いで愛して
もらいたいと願うのです。
今年の春、次女が結婚したいという男性にアメリカで会った時、「欠点だらけで
人間的にも未熟な娘を好きになってくれてありがとう。これからは私に代わって娘
を生涯愛し、霊界にいっても永遠に愛してやってください」と泣きながら話しまし
た。相手の男性も真剣に聞いてくれました。

私は家内に二十四歳で初めて会った時、家内は地方を周りながら、安い飾り物を
販売していました。
 それで指に傷テープをしていて、恥かしいと思って手をひっこめました。この人
は、私より苦労している人だな、これからは神様に代わって、私がこの人を愛して
幸せにしてあげなければいけないと決意させられました。

 このように、人を愛するとは、その人の親と同じ気持ちになって、その人のあり
のままをすべて受けとめて、自分がその人を幸せにしてあげることではないでしょうか。

 さらに、その人の親とともに、天から見つめておられる神様の思いと祈りがあり
ます。
 その人が生まれる時、神様は「幸せになって欲しい、立派な大人になって欲しい」
と祈る思いで見つめておられました。そして子供の時、青年の時、悲しく苦しい時、
神様に助けを求めた時、直接答えることができずにいた時…。あなたがその人に会う
までに、積もり積もった神様の祈りと愛があるのです。その思いでその人を見ること
が、人を愛するということではないのでしょうか。

 希望や喜びや愛はどこから来るのでしょうか?それは心の中から沸き上がって来る
ものですが、これが沸き上がって来ないで枯れ、心が冷えているのが問題ですよね。
いったいどうしたらいいのでしょうか?

 喜びと愛は、やはり愛しあう男女の中に与えられます。恋愛では移ろいやすいので
すが、夫婦の愛の中に、落ち着いた信頼や安らぎ、感謝という形で現われて来ます。
男女としての性的な魅力はもちろんあるのですが、私の人生にこの人を準備し与えて
くださった神様からの私への愛と祈りを、具体的な生活の中で感じることができます。

 私は、家内との結婚生活の中で、私の心の傷や恨みが少しずつ癒(いや)され、素直
な純粋な心になっていくのがわかりました。さらに男として誰もが悩む最大の課題、
性欲が家内との性生活の中で、夫婦愛のひとつの形に高められていき、恥かしいこと
でもイヤらしいことでもなく、夫婦にとっての喜びの時間となり、性欲の葛藤では悩
まなくなりました。

 満ち足りたセックスは、お互いの信頼と愛情の積み重ねの中で得られるものであり、
ゆきずりの関係や不倫の中で得られるものではないことがわかりますから、危険なもの
には影響されませんでした。

 二十代よりも三十代、四十代、五十代とセックスで感じる肉体的な喜びも深いものと
なり、二人で神様に感謝する満たされた時間となりました。性は動物的な本能ではなく、
夫婦がひとつになり神様に近づくための、とても重要で神聖なものなのです。ただ単に
男女の欲望に身をまかせればいいのではなく、相手の気持ちを大事にし、 自分の最高
の愛情をもって、男性はむしろ性急な性欲をコントロールし、押さえながら、二人の
愛情を高めて行かなければならないものなのです。

 私は家内のお陰で、満ち足りた結婚生活を送ることができました。ちなみに、毎朝出
かけるときも必ず抱き締めてキスするのが我が家の大事な儀式でした。

 人生の喜びは、夫婦の愛の中に現れます。夫婦愛が充実している人は、心にゆとりが
あり、素直になり、美しくなり、明るくなります。子供もしっかり育ちます。そこは希望
と愛のあふれる喜びの世界であり、神様がともにおられる世界です。神様は愛の本体だ
からです。愛するところに神様はおられます。

 幸福の青い鳥は、まさに一番身近な家庭の中にいるのです。