死ですべてが終わるのか?




 愛する家族や友人が、目の前で心臓停止となり、医師からの死亡宣告を受けた

時、死とは何なのか思わず考えてしまいます。確かに呼吸も脈も止まり、体は冷

たくなっていきますが、これでその人は消滅してしまったのでしょうか?

 死が恐れられている最大の理由は、死によって自分の人生がすべて消滅してし

まうのではないか?という恐れからではないでしょうか。そして自分一人でその

恐怖に立ち向かわなければならないからではないでしょうか?

 死の向こうに、死後の世界がある、魂が永遠に生きるという考えは、古代から

あらゆる宗教で説かれ、信じられてきました。死者との会話が出来るという霊能

力を持った人もまれにおり、人々は死を生命のサイクルとして素直に受けいれて

いました。

 しかし、宗教心も科学の発達と経済を中心とした生活環境の中で薄れ、死後の

世界があるという実感を持って生活している人は、ほとんどいなくなってしまい

ました。

 人間関係が強かった昔は、近所での葬式や親戚の葬式で、死という厳粛な事実

に接することも多かったのですが、この頃は人生の中でそういう場に触れる機会

が少なくなってきています。それだけに、突然の事故やガン、脳卒中、心臓病な

どの死に直面した時の衝撃は大きく、悲しみや苦しみも大きくなってしまいます。

 死後の世界が本当にあるのなら、死の恐ろしさは大きく変わってきます。自分

が死ぬ時は、既に死んでいる懐かしい家族や友人と再会できる喜びの時でもあり、

安らぎの時ともなります。

 死後の世界は、本当にあるのかを研究してみましょう。



臨死体験者の見た死後の世界



医学的には死んだと判断された人が、奇跡的によみがえることを「臨死体験」

と言い、その間に見聞きした体験談が研究者の注目を集めています。

 日本でも昔から、大きな川やお花畑があり、そこに行こうとしたら、自分を呼

ぶ声で気がついたという話を聞かれたことがあると思います。

 臨死体験者を研究した書籍としては、立花隆氏の「臨死体験」、石井豊氏の

「臨死体験研究読本」、坂本政道氏の「死後体験V」などがあり、海外でも多く

の書籍が出版されています。

 これらの臨死体験談には、興味深い共通点があります。それは、

1:自分の体から自分の魂が抜け出し、その部屋の上で様子を見ている。

2:暗いトンネルのようなところを通りぬける。

3:まぶしい光の世界に入る。

4:亡くなった家族や知り合いなどが、自分を出迎えに来ている。

5:そこでは、懐かしい、暖かい思いに包まれる。

 よみがえった臨死体験者は、神や仏などの存在を確信するようになり、地上の

生活は、愛の訓練のためのものであると悟り、温和になると言われています。そ

して、もはや死を恐れなくなるようになります。



退行催眠による前世の記憶



 臨死体験は、極めてまれな体験で、臨死体験者を探すのは大変ですが、近年に

なって心理学者が、睡眠術をかけてその人の記憶を小さい頃に戻し、さらに産ま

れる前にまで戻すと、驚くべきことにまったく別の人格が現れるという現象が現

れました。これは世界中で確認され、退行催眠と言われています。この退行催眠

は、もともと幼少時の記憶を調べて、心の傷や性格の問題などを解決するために

始められたものですが、前世の記憶としか言いようのない物語が次々に現れ、世

界中の学者を驚かせました。

 この退行催眠による前世の記憶は、世界中の学者によって何千事例も研究され、

その結果、死後の世界が存在するとしか言えないという段階になってきています。



霊界からの通信、死者とのコンタクト



 最後に、きわめてまれなのですが、残された家族が亡くなった死者からの通信

を受ける、コンタクトがあったという例があります。亡くなった時間に、家族や

友人の夢枕に現れたとか、夢の中でこれから起こる危険を教えてもらって助かっ

たとか、いつも付けていた香水の香りがしたとか、生前の約束を果たしてくれた

とかいうものです。

 霊的な能力の強い霊能者と呼ばれる人が、媒介となって死者の思いや言葉を地

上の家族に語るという例もあります。いずれも、死者しか知りえない情報や家族

との秘密を語ったりして、どう考えても、霊界の存在を考えざるを得なくなって

しまいます。死ですべてが終わるのではなく、死後の世界があり、そこで魂が生

きていると考えざるを得ない事実が、今私たちの目の前に明らかになろうとして

いるのです。