死んでからのこと




 突然の事故や病気で、肉体の生命が終わった後、人間はどうなるのか?ここか

ら先は、臨死体験者や退行催眠の事例、そして霊能者の言葉から共通している事

により、話を進めていきましょう。

 心臓が止まり、肉体の生命が終わると、魂は自分の体から抜け出してしばらく

その場の様子を見ているようです。これは、自分が死んだということが分からず、

なぜそのに自分の肉体が横たわっているのか、自分が話しかけても家族や友人の

反応がなぜないのか、分からないためのようです。

 やがて、自分が死んでしまったことや、もとの肉体には戻れないということを

悟り、その場を離れます。守護霊や道案内の霊が来て連れて行く場合もあるよう

です。魂はどんどんと上昇し、やがて現実の地上世界とは別の世界に入って行き

ます。暗いトンネルのようなところを通過するとか、大きな川を渡るとか、お花

畑を越えて行くとかのさまざまな表現があります。

 これは、おそらく生前の生き方や信じていた宗教の違いなどの違いによるもの

で、一律ではないものと思われます。



自分の行く場所は自分の良心が決める



霊界は、大きく分けると、神様に近い楽園と、中間霊界、悪事を働いた人が行

く地獄の三つの層に分けられています。これは人間の堕落により、人間の心が悪

に染まり、悪い思いに引きずり込まれるようになった結果、出来上がった世界で

あり、本来神様が願った世界ではありません。

 魂は、肉体がありませんから、自分の思いがそのまま姿となっています。愛と

善意を持った人は、整った優しい顔と姿をしていますが、悪意と憎しみを持って

いる人は、恐ろしい形相をし、姿も崩れ、悪臭がただよっています。生きている

時は、肩書きや地位により、自分の心を隠していることが出来ましたが、霊界で

は、すべてが明らかにされてしまいます。自分の魂の状態は、一目瞭然ですから

醜い姿で人前に出て行くことは恥ずかしく、辛くてとても出来ません。必然的に

自分の姿に一番ふさわしい場所を自分で選び、そこに落ち着くことになります。

 仏教では、閻魔大王が死んだ人間の行く場所を決めると言われていましたが、

正確なところは、40日くらい後に、自分で自分の住みやすい場所を選んでいる

ようです。



自分の人生のすべてが瞬間的に表示される
 


 霊界で自分の落ち着く場所を決める前に、自分が生きていた時に何をしてきた

かが、すべて明らかにされる恐ろしい行事があります。それは、自分を出迎えに

来ている多くの人々の前で、良心の記憶が映像のように巨大スクリーンに瞬時に

写しだされるのです。

 霊界は、人への愛と善意が一番大切とされる世界ですから、殺人、強盗、脅迫

妬み、嫉妬、不倫、姦淫、自殺などは最も問題となります。これらの記憶は、大

きく映し出され、同時に自分がいかに悪いことをしてきたかが、自分でも分かる

ようになります。これが、仏教で閻魔大王による裁きと言われていた内容だった

のかもしれません。そして、このあと自分の行くべき所を探していくのです。

 恨みや憎しみを持った人々が、相手を追い回し血を流しながら争っている世界

は、光の届かない暗い世界であり、悪臭と悲鳴が漂う恐ろしい世界です。これが

地獄と表現されてきた世界です。

 熱心に信仰を持つわけでもなく、人に迷惑をかけなければいいと考えて生きて

きた多くの人が行く場所が中間霊界です。梅雨空のようにどんよりとしていて、

すっきりした表情をしていません。自分の人生で何が間違っていたのかが、まだ

分かっていません。神様という存在についても、まだ分かりません。

 何らかの宗教を信じ、人のために善意で生きてきた人は、楽園という、神様に

一番近い世界で、喜びの中で生活しています。キリスト教はキリスト教、仏教は

仏教というようにそれぞれの宗教を信じてきた人たちでグループを作り、そこの

中に所属しています。



神は目に見えない光のような存在
 


 神様の存在については、楽園に入るレベルの人は、誰でも感じることが出来ま

す。とてもまぶしく、暖かくやさしい光のような存在として表現されています。

これが神様、仏様として表現されてきた究極の存在と思われます。

 この神様、仏様と表現されてきた存在は、すべての人類に親としての愛情をい

だき、誰もが幸せになることを願っています。キリスト教を信じる者だけが救わ

れて、信じない者は地獄に落ちて滅びるなどという存在ではありません。地獄は

本来神様が作った世界ではありませんから、地獄にいる最後の一人が救われて神

様の子になるまで、神様にとって心の休まる時はありません。

 ですから、楽園に入ることの出来る人というのは、それぞれの宗教をどれだけ

熱心に信じてきたかではなく、親である神様の思いに立って、どれだけ人々を愛

し、人々の渇いた魂を親である神様につないだかが基準となっているのです。

 霊界では、生きることは愛することというこの神様からの大原則を学び、その

ことを、自分が関係する地上の家族に伝え、地上の家族がそのような正しい生き

方をするようになって初めて、自分たちも今いる霊界のレベルから一歩上に上が

ることができ、楽になることが出来るようになっているのです。