別に貴方じゃなくてもよかった。
でもいつの間にか、貴方じゃなきゃ駄目になってた。
Fairy Story -1-
仕事が終わって帰り支度を整えてロッカーを閉めた、その瞬間を狙いすましたように携帯が鳴った。
メールの着信を知らせる単調な着信音に、隣で念入りに化粧を直していたが振り向く。
「なーに、例の彼氏から?」
「……何度も言ってるけど、あいつは彼氏じゃないってば」
「そう言うけど、さぁ……」
「彼氏じゃない男とは駄目なんて、夢見がちな中学生みたいなこと言わないでよね」
「言ってないでしょ、そんなこと!」
軽く尖らせた唇には新色のルージュ。
拗ねた表情になると格段に幼さを増すの頬を軽くつついて笑って、私はバッグのストラップを掴んでくるりと身をひるがえすと、肩越しにひらりと手を振った。
「じゃあね、また月曜日に。彼氏によろしくー」
「……バイバイ」
更衣室を出てエレベーターに向かって歩きながら携帯を開く。
届いたメールは一通だけ。
簡潔を通り越して素っ気無い文面にざっと目を通してから、携帯をハーフコートのポケットに放り込む。
エレベーターの下降ボタンを押そうとして、伸ばした指先のマニキュアが剥がれていることに気付いて。
ふと綺麗に塗られていたの口紅を思い出して、私は我知らず小さな溜息をついた。
『いつもの店にいる』
たった八文字だけの素っ気無いメール。
『いつもの店』はうちの会社の最寄駅前にある、全国チェーンの居酒屋で。
そこの一階のカウンターテーブルで、いつものように先に飲み始めていたシマの隣の椅子を引く。
ちらっと横目でこっちを見たシマは、もう既に中身が半分に減っている中ジョッキをカウンターに置いて、軽く眉を顰めた。
「遅い」
「仕方ないでしょ、この時期は忙しいんだから」
「残業し過ぎで身体壊したら指差して笑ったるぞ」
「ちゃんと自己管理してるわよ。そっちこそ、飲み過ぎてレスキューでポカしたりしないでよね」
「するかアホ」
「うるさいバカ」
代わり映えのしない憎まれ口の応酬を一通りして。
コートを椅子の背にかけて座ったところへ注文を取りに来た店員にお酒といくつかおつまみを頼む。
まずお酒が運ばれてきて、シマが何も言わずに差し出したジョッキにグラスを合わせた。
カチン、とガラスのぶつかり合う音。
「お疲れさん」
「そっちもね。どうよ、ひよこさんたちの成長具合は」
「てんであかん、最悪や。揃って飲み込みが悪過ぎてやってられへん」
「教え方が悪いんじゃないの」
「アホか、これ以上ないってくらい完璧なメニュー組んどるわ!」
「完璧とか自分で言うなっつの」
「やかましい」
冷たく突っ込んだら、シマの大きな手がぐしゃぐしゃと容赦なく髪を引っ掻き回した。
地色が明るいおかげでカラーリングして傷めたりしたことがない、ストレートの私の髪。
さり気に自慢の指通りのいい私の髪を触るのが好きだと言って、シマは何かにつけてこうして触れる。
私もシマに触れられるのは嫌いじゃなかった。
髪に限ったことじゃなく。
一時間半ほどで店を出て、向かった先は私のアパート。
勝手知ったると言う風情でベッドに倒れ込むシマを放ってバスルームに向かう。
鏡に映った自分の顔を見たら、また微かな溜息がもれた。
薄い化粧は、ろくに直しもせずに一日過ごしたせいでほとんど剥げ落ちている。
化粧落としも兼ねた洗顔フォームでざっと洗って、フェイスタオルでぎゅっと顔を抑えた私の肩に不意に大きな手が掛かって、背中から抱きしめられた。
「いつまで顔洗っとんのや、」
「これからシャワーも浴びるんですけど」
「はァ?そんなんあとでええやろが」
「やだ。一日仕事して汗かいてるから、まずはゆっくりお風呂入りたいの!」
「そんなん知るか。俺はさっさとベッドに入りたい」
囁く声に続いて、生暖かい吐息が首筋をなぞって。
耳の後ろから頬から顎にかけてのラインを、ゆっくりと舌が這う。
肩越しに前に回した手が器用にブラウスのボタンを外して、ひやりと冷たい指先が鎖骨を撫でた。
私は深く息をついて、シマの身体に寄り掛かる。
大きくて指の長いシマの手が触れるたび、身体の奥から湧き上がる熱を感じる。
緩く引き結んだ唇から漏れる吐息も、熱を帯びていくのがわかった。
「……っん……」
「どうする」
耳元で囁くシマの、どこかからかうようなその口調に少しムッとしながら、それでも背筋をせりあがってくる感覚の波には逆らいきれずに。
「……ベッド、行く」
「素直で結構なこっちゃな」
「バカ、最、悪っ……」
うまく膝に力が入らない私の身体をシマは軽々と抱き上げてバスルームを出る。
ベッドへ下ろした私の上に覆い被さると、唇を重ねてきて下唇を噛んだ。
少し荒々しくて、でもどこか優しいシマのキス。
ゆっくりと腕を持ち上げて背中にしがみつくと、唇は更に深く重なり合う。
何度も角度を変えてキスを繰り返しながら器用に私の服を全て取り去って、シマの手が直に肌に触れてくる。
緩やかな愛撫を繰り返すその手と唇に身体を預けて、熱っぽい吐息に混じって時折堪えきれずに掠れた声を上げながら、私の意識は少しずつ融けていった。
―――目が覚めたら、すぐそこにシマの寝顔があった。
枕元のデジタル時計はもうすぐ三時になろうとしている。
目覚ましの機能がオンになったままのそれを手に取ってスイッチをオフにして、元の位置に戻そうとしたところで携帯がメールの着信を知らせた。
コートのポケットに入れたままだったはずの私の携帯は、時計の隣の充電器のホルダーにきちんと収まって、ほのかな光を発していた。
時計を戻した手をそのまま携帯に伸ばして、小さな音をたてて開く。
届いていたメールの、送り主の名前を見て。
私は中身を読まずにそのまま消去した。
―――送り主は男。
もう既に別れた、私の元彼氏。
彼と別れて以来半年、私に彼氏と呼べる相手はいない。
なら今隣に寝ている、それは何なのと訊かれれば、私は迷わずにこう答えるから。
『―――友達』
毎度のことですが、私に素敵なエロを求めても無駄です。
そして続きます。うわぁ最悪……。
05/03/26up