甘やかさないで、どうか。
これ以上貴方を縛りたくはないのに。
Fairy Story -2-
二度目に目を覚ました時、時計のデジタル文字は九時半をさしていた。
隣に寝ていたはずのシマの姿はなくて、でもダイバーズウォッチは時計の隣に置かれたままで、キッチンからはコーヒーの香りが漂ってくる。
起き上がらずに毛布に包まったままぼんやりしていたら、二つのマグカップを片手で器用に持ったシマがキッチンから出てきて。
私の顔を見て呆れたように小さく笑った。
「いつまで寝とる気や。いい加減起きんかい」
「……休みの日ぐらいゆっくり寝かせてよ」
「起きろ、俺が暇で敵わん」
「わっがまま……」
苦々しく呟いた私の顔目掛けてTシャツが投げつけられた。
顔面にぶつかる直前で受け止めて、文句を言おうとしたら次にショートパンツが放られた。
人んちのクロゼット勝手に漁るな、と言う文句もシマには効かない。
今更、と鼻で笑われるのがオチだ。
「ちょっと、投げないでよっ」
「コーヒー冷めるぞ」
「シマっ」
声を荒げた私の方をちらとも見ないで、TVの電源をオンにしてマグカップを傾ける。
聞く気ゼロのその横顔を睨みつけて、布団の中で服を着て。
ベッドから這い出してテーブルの向かいの椅子に腰を下ろすと、まだ十分に温かいコーヒーのカップが目の前に押し出された。
私の好みに合わせた、ミルクたっぷり、砂糖たっぷりの甘いコーヒー。
「サンクス」
「たまには俺より先に起きて茶のひとつも入れようと言う気にはならへんのか」
「めんどい。ていうか、シマより先に起きるのなんか無理」
「情けないやっちゃなー」
「休みの日まで早起きするアンタの気が知れないよ……」
「しゃあないやんか、起きる気がなくても自然に目が覚めるんや」
身についた生活習慣っちゅーヤツやな、と呟いてまたマグカップに口をつける。
つまらなそうにTVのチャンネルを切り替えながら飲んでいる、シマのコーヒーはブラック。
いつも思うけど、何であんな苦いの平気な顔して飲めるんだろう。
そういえば『あいつ』もコーヒーはブラックだった。
私が砂糖とミルク入れてんの見て、思いっきり眉しかめてたっけなぁ……。
甘いコーヒーを飲みながらぼんやりとそんなことを考えていたら、不意に頬をつねられた。
何すんの、と言いかけた私の唇を、テーブルの上に身を乗り出したシマの唇が塞ぐ。
舌先に微かにコーヒーの苦味を残して、すぐに唇は離れた。
「……苦い」
「言うほど苦くもないやろ。つか、朝っぱらからそんな顔してんなや」
「そんな顔ってどんな顔よ」
「少なくとも甘ったるいコーヒー飲みながらする顔やないな」
「そんな酷い顔してた?」
「しとった。―――原因は昨日のメールか?また、あいつからか」
「……何よ、起きてたの?」
「起こされたんじゃ、ボケ」
ほんの僅かだけ、声が低くなる。
不機嫌そうに眉をしかめた表情の中から私に向けられた視線は、眉間のシワとは対照的に気遣いに満ちた優しいものだった。
『昨日のメール』の所為で『あいつ』を思い出してるのを見抜いて。
気を遣ってくれてる。
「―――大丈夫よ、読まないで消しちゃったし」
「……やっぱり、俺が出て話つけた方がいいのんちゃうんか」
「気持ちだけ受け取っとく。……何度も言ってるけど、これは私とあいつの問題だから、シマは気にしないで」
「…………」
出来るだけ自然に笑って甘いコーヒーを飲み込む。
シマは少しの間私の顔を見つめていたけれど、それ以上何も言うことはせずに。
それきりその話題には触れないまま、ブランチを食べてから自分のアパートへと帰って行った。
またメールする、とだけ言い残して。
シマが帰ったあと、特にすることもなくて、食器の片付けを始めた時。
テーブルの上で携帯が鳴った。
濡れた手を拭いてシンクを離れ、鳴り続ける携帯を手に取って開く。
液晶に浮かぶ10桁の数字。発信者の名前はそこにはなかった、けれど。
コールは五回鳴っても、十回鳴っても、まだ止まない。
迷った挙句に通話ボタンを押した右手の親指は微かに震えていた。
そっと耳元に押し当てた小さなツールから聞こえてきたのは、以前幾度となく心をときめかせた声。
『……もしもし』
「…………」
『俺、だけど』
「……何か用?」
『昨日のメール、読んでくれたか?』
どこか甘えるようなその声は、もうどうしたって愛しくは思えない。
耳元から聞こえてくる声に感じるのは嫌な息苦しさだけ。
ふと、ついさっきまで私を見つめていたシマの眼差しを思い起こして、泣き出したい気分に駆られた。
今、シマが傍にいてくれたら。
―――甘えては、駄目。
これ以上甘えてはいけないと自分に言い聞かせて、携帯を持つ手に力を籠めて。
電話の向こうで繰り返し私を呼ぶ声に答える前に乾いた唇を軽く舐めたら、するはずのないコーヒーの苦味を感じたように思った。
何が書きたいのさ自分。
05/04/03up