あなたが好きでした。
葉桜の緑が鮮やかな5月の校庭で、初めて見た時からずっと。

部室の窓から見えるテニスコートにあなたの姿を見つけられると、それだけでとても幸せで。
廊下で偶然すれ違うほんの数秒に、壊れそうなくらい胸をドキドキさせていた。

今思えば、それは子供っぽい片想いだったかもしれないけれど。
それでも確かにあの頃、あの場所で。


―――私はあなたに恋をしていました。
















緑深く、心深く


第1話 忘れていた恋の歌











甘ったるいチョコレートマフィンの最後のひとかけを飲み込んだところで、コンコンと硝子をノックする音が響いた。
頬杖をついたまま、じろりと目だけを動かしてノックした張本人を睨みつける。
硝子越しに手を合わせてにぱっと笑った珠子は、店に飛び込むと足早に私のところへやってきた。


「お待たせ、〜」
「お・そ・い!」
「ごめんってばー」


思いっきりむくれて見せると、珠子は私の真向かいに座りながら言い訳がましく「だってえぇぇ」と上目遣いにわたしを見て。


「ヒカルのヤツがいつまで待っても来ないんだもん!しょうがないから1人で先に来ちゃったよ!」
「ヒカル……って、天根君?何で天根君が来るの?」
「だって男子の幹事、ヒカルだもん」
「…………そうなの?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてませんが」


ていうか、聞いてたらこんな反応はしない、と思う。
いつもここぞってところで抜けてるんだよね、珠子って……こんなんでよくクラス委員が務まったよね、ホント……。
とりあえず話の前に飲み物買ってくる、と席を立ってレジカウンターの方へ駆けて行く珠子の背中を見送ってから、テーブルの上に広げられた名簿を何とはなしに眺めた。

中学を卒業してほぼ1年。
高校2年になってすぐ、またクラス会をやろうと言い出したのは珠子(どうして『また』なのかって言うと、高1の時にもう既に1回やってるから)。
あれよあれよという間に話は進んで、私は何故か珠子から半強制的に幹事の役目を任された。
とは言ってももう参加メンバー全員と連絡は取れてるし、することと言えば会場の手配とか2次会の場所のリサーチとか当日の金銭面の計算とかくらいなんだけど。
けど初っ端からこれだもんなぁ……引き受けるんじゃなかったかな。
ふう、と溜息をこぼしたところへちょうど戻ってきた珠子が、ジト目で私を睨みながら座る。


「……。今、幹事引き受けるんじゃなかったかなぁーとか思ってるでしょ」
「人の心を読まないでもらえませんか、珠子サン」
「親友を舐めるでないぞ!伊達に6年も付き合ってないんだからね!」
「……それじゃあ今私が考えてることを当ててみろ」
「んー……『キャラメルマキアートのおかわりが欲しい』!」
「はーずれー!!『早いとこ話を進めて!』でしたぁっ!」
「んなこと言ったってヒカルが来ないことにはさー」
「携帯にかけてみたの?」
「出やがらないんだよねー……」


また海で遊んでんのかなこれは、と呟いて珠子は抹茶クリームフラペチーノを一口すする。
私ももう残り僅かなアイスキャラメルマキアートのストローをくわえて、そのまま2人揃ってぼんやりと硝子の向こうの人の流れを眺めた。
海岸沿いの通りは、土曜日ということもあってそこそこ人通りも多い。
けど元々が小さな町だから、時たま人ごみの中に見覚えのある顔も見えたりして。
知らない男の子と連れ立って歩いていた高校のクラスメイトと目があって、ひらりと手を振ると可愛い仕草で手を振り替えして見せ付けるように腕を組んだ。
あっかんべーをしてみせるとイーッと歯をむいて笑って、もう一度手を振って行ってしまった。


「あんにゃろー」
「高校の友達?」
「そう。けどそっかー、彼氏いたのか……明後日クラス総出で吊るし上げだな」
「彼氏ナシのひがみか、醜いのぉ」
「……共学通ってるのに彼氏いない人に言われたくないですぅ」
「……女子校の方が彼氏出来る率高いって言うけどねっ」
「聞いたことないけど、そんなのっ!…………やめよう、空しいだけだわ」
「……そうだね……」


寒々しいやり取りを早々に終わらせて、私は空っぽになったキャラメルマキアートのカップを捨てに立ち上がった。ついでにテーブルの上に出しっ放しだった財布も持って。


「新しいの買ってくる。珠子なんか食べる?」
「スモークサーモンとポテトサラダのサンドウィッチ」
「言っとくけど奢らないよ?」
「えーケチー!」
「遅刻してきた人が何を偉そうに……」
「それは言わないお約束よー」


おとっつあんたら、うううすまねぇゲホゴホ、と訳のわからない1人芝居をかましてる珠子はほったらかしてレジカウンターに向かった(6年付き合っても未だに時々この子がわからない……)。

混み始めていたレジ前の列の最後尾に並んで、ぼんやりとさっきの友達の笑顔を思い出す。
『幸せ』ってオーラが目に見えるような笑顔。
いいなぁ、彼氏……彼氏いない歴は歳の数だけ、ってのにいい加減ピリオドを打ちたいよ。
好きな人もいない状態でそんなこと言っても仕方ないけど……。
第1志望に落ちて入った今の高校は、レベルとしては第1志望とそれほど差もないし、何より学内の雰囲気も良いし仲のいい友達も出来てとても気に入ってる。
周りが同性ばっかりってぎすぎすしそうな感じするけど、うちの学校って昔お嬢様学校だった頃の名残なのか先生も生徒も学校全体の雰囲気がのーんびり和やかーで、派閥とかイジメとかってイヤなモノとは疎遠なんだよね。学校に関してこれという不満ってない。
出会いがないのが欠点と言えば欠点かな。(そんな学校に求めても仕方のないものを欠点て)。
でも彼氏を作ろうにも、出会いがなければ何も始まらないから。

中学の時は中学の時で楽しかった。
入学してすぐに好きな人が出来た。
近付くことも出来なかったけど、遠くから見てるだけで嬉しくて幸せで。
仲介してあげようか、と彼と知り合いだった珠子は何度も言ってくれたけど、どうしても彼の前に出る勇気が持てなくて、結局最後まで見ているだけだった恋。
ただ一度だけ、卒業を間近に控えたバレンタインに彼の自宅までチョコを持っていったことがあったんだけど、タイミング悪く彼は留守で小さな包みとカードをお姉さんに預けて終わった。
あれからもう、2年。
さっきも言ったようにここは小さな町で、彼の家の割と近所に住んでる珠子の家にしょっちゅう遊びに行ったりしているにもかかわらず、卒業した後に彼の姿を見たことは1回もなくて。
ああやっぱり縁がなかったってことなんだろうな、と1人で納得した。




とても好きだったけど。
あの頃の気持ちは、今も忘れてはいないけど。

―――それはきっともう、過去のもの。




ひとつ前に並んでいた人が、支払いを済ませてレジを離れた。
とん、と軽く肩がぶつかってきて、ぼんやりと1歩踏み出した瞬間の私の身体はバランスを失って後ろへよろけた。


うっそぉ……!


私の後ろには誰も並んでなかったはずで。次に来るだろう衝撃に思わずぎゅっと目を瞑った時。
ぱふ、と大きな手のひらが私の肩に触れて、ゆっくりと私の身体を前に押し戻した。




「危機一髪」


耳元で聞こえた声は、柔らかくて耳に心地よいハイバリトン。
肩を支えていた手のひらが離れたのを感じてからやっと、私は助けてもらったお礼を言わなくちゃ、と思い至って後ろを振り向いて。
そして口をついて出たのは、意図していたお礼の言葉じゃなかった。






「―――佐伯先輩」





















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何でかまた連載。自分の首を絞めている…………。
チョタ連載同様マッタリ予定。親友・珠子はオリジナルキャラでシクヨロですぅ(誰)。