叶わないとわかってる恋はとても不毛で。

それでもあの人を好きだったのは、恋をしているのが楽しかったから。

それは子供じみた、『恋』への『恋心』。
















緑深く、心深く


第2話 それは幼さゆえの











「―――佐伯先輩」


ありがとうの替わりに私の口をついて出た自分の名前に、佐伯先輩は少し目を見開いた。


「えーっと……ごめん、誰だっけ?」
「え、あ、その」


佐伯先輩が不思議に思うのは至極尤もな話。
私は面と向かって名乗ったことも、話し掛けたこともなかったんだから。
ましてやこんな間近で顔を見たことだって初めてで。
いきなりのことにパニックに陥りそうになったところへ、聞き覚えのある声が佐伯先輩の後ろから聞こえて、肩越しに明るい色のクセっ毛がひょこりと覗いた。


「……あれ、?」
「あ、天根君」
「何してんの、こんなとこで」


……何してんだって、アナタを待ってたんですけど……。
寧ろ何してんだと問いたいのは私の方なんだけど。
クラス会のことで会う約束してるはずなのに、何で先輩や後輩連れて来てんのかな。
心の中でツッコむ私をよそに、天根君は佐伯先輩とぽつぽつと言葉を交わし始めた。


「なんだ、ダビデの知り合い?」
「中学の時のクラスメイト。で、珠子の友達」
「珠子の?」
「小5の時に引っ越してきて、珠子と仲良くなってそれからずっとつるんでた……」


天根君の科白の語尾はだんだんと小さく消え入るようになって、少しの沈黙の後私の方にじっと視線を投げ掛けて軽く首を傾げた。


「……んだったよな?」
「……まぁ大まかに言えばそうだね……」
「ああ、じゃあ君がちゃん?」


それを聞いた瞬間、私の手からボトっと財布が落ちた。
だって名乗った覚えもないのに、いきなり名前呼ばれたら誰だってビックリするでしょ!?
しかもそれがかつての片想いの相手、ついでに言えば初恋の人だよ……!
半ば呆然としている私の目の前で佐伯先輩はすっと屈んで落ちた財布を拾うと、笑いながら私の手にポンとそれを押し付けた。


「はい」
「あ、あ、す、すいません……!」
「名前間違えたかな、俺。確か珠子がよく話してた子の名前、ちゃんだと思ったんだけど」
「は、はい!ですっ」
「ああ、当たってた?ところでね、ちゃん」
「ははは、はひ!?」


…………はひってなんだ、私…………!
思いっきりもつれてうまく回らない自分の舌を引っこ抜いてやりたい気分。
そんな私を見て佐伯先輩はにっこりと屈託なく笑うと、私の肩越しに後ろを指差した。


「店員さんが困ってるし、まずは注文した方がいいと思うんだよ」
「あ、あああっはいっ」
「ああ、どうせだから一緒に頼んじゃおうか。まとめて払った方が早いしさ」
「かっ、構わないですけどっ」
ちゃんは何飲む?」
「ア、アイスのキャラメルマキアート……」
「サイズはショートでいい?トッピングは?」
「や、トッピングはしませんけど、あと珠子のサンドウィッチが―――」
「OK。持っていくから先に席に戻ってていいよ」
「はい……って、ええ!?」
ちゃんたちのテーブル、あそこの窓際のとこだろ?ちょうど隣のテーブルが空いてるから、先に戻って席とっておいてくれると助かるんだけど、頼める?」
「は、は、はいっ」


なんだかもう完全に佐伯先輩のペースに乗せられてて。
気がついたら椅子に座って、呆然と珠子の顔を見てた。
珠子はテーブルに行儀悪く頬杖をついて、呆れてんのか困ってんのか気の毒がってんのか、どうも今ひとつ判別しにくい表情で私の顔を覗きこんだ。


「……、正気保ててる?」
「…………まだ、ちょっと頭がボケてるかも……てゆうか、さ……佐伯先輩、は」
「サエちゃんたちならまだカウンターにいる」
「―――っ」


無意識に詰めていた息を一気に吐き出した途端、ガチガチに強張っていた肩からすとんと力が抜けて身体がテーブルに乗っかるように前にのめった。
すご……一気に肩が凝った……。
半分くらいに減った抹茶クリームフラペチーノのカップが目の前に差し出された。
無言で受け取って一口すすると、溶けかけた甘い抹茶味が冷やっこい食感を伴って口の中に広がった。


「……おーいしーい……」
「思った以上にショックが大きいね。あんたまだサエちゃんのこと好きだったの?」
「や、もうこの2年ですっかりあきらめついたというか、吹っ切ったつもり」
「じゃあ何でそんなんなってんの」
「だって!昔のこととはいえ一応好きだった人だよ、しかも初恋の!バリバリ片想いで終わった憧れの人がいきなり目と鼻の先から話し掛けてきたらそりゃ緊張するよ!!」
「初恋……また何ともリリカルかつベタな単語ね……」
「あー!話し掛けられたら何かとんでもないこと口走りそうな気がするー!どうしよう珠子ー!」
「ガンバレ」
「めっさヒトゴトだと思ってるわねあんた……」
「つうかもう吹っ切ってんでしょ?したらそこまで意識することないじゃん」
「……例えば今目の前にクリント・イーストウッドが現れたらアンタどうする?」
「……それは……!考えるだけで心臓が爆発しそう……」
「私の今の心境もそれと一緒なのっ!わかる!?」
「わかった」


あっさりと珠子は頷いて、私の手からフラペチーノを取り返すとストローをくわえた。
そのままちらりとカウンターの方へ視線を送る。
それにならって後ろを振り返ると、佐伯先輩たちはカウンターで出来上がりを待ちながら楽しげに何かしゃべっていて、まだこっちに来るまで少しかかりそうだった。
視線を戻した珠子がテーブルの上に身を乗り出してぽつりと言った。


「とどのつまりさ」
「うん?」
「つまり、あんたのサエちゃんへの想いって、タレントとか俳優とかいわゆる『手の届かない人』に抱くような憧れに限りなく近いもんだったってことだよね」
「……うん、まぁ否定はしない」
「あ、別に非難してるわけじゃないからね?」
「わかってるって。まぁ子供っぽい憧れではあったと思うけど。でもそういう恋愛もありでしょ?」
「まーね。子供の恋愛って結構そんなもんだよね。ま、全部が全部じゃないけど」
「でもどんな形でも、好きだったのは事実だよ」
「ま、そうだね」
「……懐かしいなぁ……」






入学して間もない5月のあの日。あれはGWに入る前日のこと。
体育の授業で体力テストがあって、50m走のタイムを計るために並んでたあたしたちのクラスとは別に、トラックで2組に分かれてリレーやってた人たちがいて。
その人たちが上級生だというのはすぐにわかった。

ついこないだまで小学生だった同じクラスの男子よりも格段に大人っぽく見えたから。
順番待ちしてる間、なんとはなしに眺めてたそのリレーは、赤いバトンを持ってる組の人が途中で1回コケちゃって、アンカーにバトンが渡った時には差は結構開いてた。
ああこれは白のチームが勝つなぁ……なんて思いながら眺めていたら赤のアンカーの人が。
別段必死に走ってるようには見えないのに、その人はどんどん距離を縮めてついには並んで、ゴール直前でとうとう白のアンカーを抜き去った。
ゴールして同じチームの人たちと小突きあって手を叩き合ってるその笑顔が、本当に楽しそうで。
私は50m走の順番がきてることにも気がつかないで、夢中でその人を見つめてた。

それが佐伯先輩だった。






「まーさーか、あんたの幼馴染とは思っても見なかったよ、あの時は」
「あんたと仲良くなって皆とつるまなくなってたから、接点ありそうでなかったもんね。でもホント、考えてみればあたしを介して知り合ってても全然おかしくなかったのにさ」
「だからきっと縁がなかったんだって。家は珠子んちの近くだわ、高校も珠子が一緒だわ、ちょっと顔を見ることくらいありそうなのに、先輩卒業してから今日まで全くそういうのなかったんだよ」
「そんなの偶然そうなっただけでしょ。縁があるかないかはわかんないじゃん」
「それに!もう、2年も前の話だし」


2年も前に終わった恋。
好きだった頃の気持ちを忘れた訳じゃないけど、でももうそれは思い出の中に残っているだけで。
今もあの頃と同じように佐伯先輩を好きかと訊かれたら、はっきりと違うと言える。
緊張するのは、珠子が言うように先輩をタレントとか俳優みたいな『手の届かない憧れの人』だと感じていたから、そういう人とあんなふうに話せるとは思っていなかったから。
きっとそれだけ。
そう言うと、珠子はまたフラペチーノを一口すすって、いまいち納得出来ないような表情でふぅん、と呟いた。


「……ま、がそう言うならいいけどさ」
「何、珠子は私に実らない片想いを続けさせたいんですか?」
「だぁかぁらぁー実らないかどうかはわかんないじゃん!」
「何言ってんの、だって先輩にはか―――」

「何の話?」




真上から響いた声に喉元まで出かけていた言葉が不自然に途切れた。
ストローをくわえたまま、珠子が私の頭の右上辺りに視線を動かしてくぐもった声で名前を呼ぶ。


「ひゃえひゃん」
「珠子、行儀悪いぞ。ほらサンドウィッチ、サーモンとポテトでいいんだよな?」
「おおさっすがサエちゃん!ゴチ!」
「何言ってんの、あとでちゃんと金払ってもらうぞ」
「えええケーチー!」


佐伯先輩はブスくれる珠子の頭をポンと軽く叩いてから、トレイの上のカップをひとつ取って私の前に置いた。


「はい、ちゃんのキャラメルマキアート」
「あっ、すっすいませんありがとうございますっ」
「どういたしまして」
「あ、お金―――」
「ああ、いいよいいよ。そのくらい奢るから」
「えっ、でも……」
「サエちゃんひいき、ひーいーきー!何でだけー!?」
「珠子には今までに何度も奢ってるだろ?」


そう言って珠子を黙らせてから、先輩たちはおもむろに隣のテーブルをガタゴト動かして私たちの座ってる4人掛けのテーブルとくっつけた。
私の右側に佐伯先輩、更に隣にはロン毛の小柄な人、佐伯先輩の向かいに天根君、その隣には黒髪の背の高い人、と次々に腰を下ろしていく。
な、んでテーブルくっつける必要がっ……。
少し動いたら肩がくっつきそうな位置に佐伯先輩がいるもんだから、身動き取れなくなって固まってしまった私を意味ありげに見つめる珠子の隣、天根君と反対の席にまた別の人が腰掛ける。
私の左隣でも椅子を引く音がして、底抜けに明るい声が頭上で響いた。


「しっつれーしまっす!」
「は……えーと」
「あっ珠子ちゃんサンドウィッチ半分ちょーだい!」
「ヤダ」


私の左の席に座るなり、その坊主頭の小柄な子は珠子のサンドウィッチに手を伸ばして、そして思いっきり手の甲を引っ叩かれていた。
容赦ないな、珠子……。
うっすら赤くなった手の甲を押さえて、その子は恨みがましい目で珠子を睨んだ。


「痛いよ珠子ちゃんっ」
「自業自得。、コイツ剣太郎ね。あたしらより1つ下。覚えてる?」
「こんにちはー!」
「ど、どーも……」
「バネちゃんたちもわかるよね」
「あー……うん、覚えてマス」
「え、何でだ?」


珠子の言葉に頷いた私を見て驚いて声を上げたのは天根君の隣の黒髪の人―――黒羽先輩だった。
佐伯先輩の隣の人は木更津先輩、珠子の隣の人は樹先輩。だったよね、確か。
顔も名前も結構覚えてるもんだな、なんてしみじみしている間に珠子が適当に説明してくれる。


「あたしんちで昔の写真とか見てるし、それにバネちゃんたち中学じゃ有名だったじゃん」
「有名ってなんだよ、サエとか亮は女にモテてたからわかるけどよ」
「テニス部レギュラーってだけで結構有名だったんだよ?バネちゃんも結構モテてたのに、気付いてなかったんだ」
「ああ、バネは結構歳下に人気あったよな」
「そういう亮ちゃんは歳上ウケ良かったよね」
「…………マジか?」
「嘘言って何になるっつーの」


呆れたように珠子が切り返して、私の手からキャラメルマキアートのカップを取ると躊躇いもなく口をつける。
見れば抹茶クリームフラペチーノのカップはいつの間にか空になっていた。
遠慮も何もなしに飲んでいる珠子の手から、慌ててカップを奪い取る。


「ちょっと珠子、これ私のっ!」
「さっきあたしのフラペチーノあげたじゃん!」
「一口だけでしょお!?あーっもうこんなに飲んだー!」
「いいじゃん、のはサエちゃんのオゴリなんだからさー」
「奢ってもらえなかったからって拗ねて私に当たらないでもらえませんかー?」
「当たってないもん、がデブるのを阻止してあげてるんですぅ」
「そんなことしていただかなくてもちゃんと標準値維持してますぅー」
「でもあたしの方がまだ軽いもんね!」
「それは私の方が珠子より7p身長が高いからだと思うけど!」
「…………言うてはならんことを言ったなぁ〜」


ひく、とこめかみを引きつらせた珠子に向かって、いつものようにべーっと舌を出して勝利宣言。
……した瞬間に。

ぶはっ、と誰かが吹き出したのが聞こえて、我に返った私の目の前で佐伯先輩たちは思いっきり笑い出した。
そりゃあもう面白そうに。大爆笑。


……………………しまった…………。





















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珠子ちゃんはクリント・イーストウッドの大ファン(という設定)です。
いくつになってもセクスィーvなあの方が 
大 好 き です。(とどのつまり管理人の趣味)
そしてトミー・リー・ジョーンズも好きです。あの渋さがたまりません。(だからなんだ)