遠くから見ていたあの頃は、考えたこともなかった。

あなただって他の子たちと同じ、普通の男の子なんだってこと。
















緑深く、心深く


第3話 ひっそりと花開くもの











駅前の書店で今日発売の雑誌を買って外に出た途端、横から声をかけられた。


「あれ、ちゃん?」
「―――佐伯先輩!?」


学生服の肩にテニスバッグを担いで、こっちを見て笑ったのは間違いなく佐伯先輩で。
その後ろで、同じ学生服姿の天根君がちょっと眼を丸くしてこっちを見ていた。


「偶然だね。今帰り?」
「えっ、はい、そうです!えーっと先輩と天根君はどうしてこんなとこに」


私たちの住んでいるところから電車で5つ目の、私の通う女子高の最寄り駅。
珠子や佐伯先輩たちの通う六角高は徒歩圏内の公立だから、こんなところで会うはずがない。
佐伯先輩は肩に掛けたバッグを軽く揺すりあげながら、駅とは反対方向に目をやった。


「練習試合の申し込みに行って来たところ」
「ああ……」


うちの高校のすぐ近くにある公立校の名前を出してそこですかと訊いたら、2人は揃って頷いた。
でもあそこって運動系の部活の成績はいまいちぱっとしなかったような……県下の強豪・全国大会常連の六角の練習相手としては、悪いけど役者不足じゃないのかな。
そんなふうに思ってたのが顔に出ていたのか、佐伯先輩と天根君は目を合わせて笑った。
さりげなく私の左右に並んで、佐伯先輩が軽く身体を屈めて私の顔を覗きこむ。


「今ちょうど、ダビデと何か食って帰ろうかって話してたんだ。ちゃんも一緒にどう?」
「え!?」
「このあと何か用事でもある?」
「いえ、ありませんけど……」
「じゃあ大丈夫だね。ダビデもいいだろ?」


佐伯先輩が振り向いて同意を求めると、天根君は少し何か考え込んでから、いつもと同じ何を考えてるのかよくわからない表情のまま口を開いた。
ドトールの店先に下がっている宣伝用の垂れ幕をじっと見つめて、ぽつりと一言、

「コーヒーと一緒にケーキも食べれば景気が良くなる……ぷっ」
「……ツッコミ役いないんだから程ほどにしとけよ」
「……相変わらずだね天根君……」
「…………」





















天根君の寒いダジャレに乗せられた訳でもないけど、何となく小腹がすいたなーと思ってアイスミルクティーと一緒にミルクレープを頼んだ。
会計を済ませて店の奥に行くと、自分の分の注文は佐伯先輩に頼んで席を取っていた天根君が腕を伸ばして、私の手からトレイを受け取ってテーブルに置いてくれた。
うーん、なかなか紳士的。
同い年の男の子で、こういう気の遣い方してくれる子ってあんまりいないよなぁ。
しかも高校入ってからこっち、男の子とこうしてお茶することなんて滅多にないし。何か新鮮。
そんなことを考えつつ椅子を引いて座りながらお礼を言った。


「ありがと」
「別に大したことじゃないし。……サエさんは?」
「ホットドッグ出来るまで少し時間かかるんだって。カウンターで待ってる」
「ふーん」
「そう言えば同窓会の2次会の店、どっかいいとこあった?」
「もうカラオケでいいんじゃないか?」
「そうだよね。珠子はあーだこーだ文句言ってたけど、高校生のクラス会で居酒屋なんか入れる訳ないんだし、それが1番妥当かなぁ」
「……はサエさんがいないと普段どおりに喋るんだよな」


ものすごく唐突に天根君が発した科白に、私は思わずアイスティーを吹きそうになった。
間一髪のところでそれを無理やり飲み込んだせいで派手にむせ返った私の目の前に、無造作にテーブル備え付けのペーパーナプキンが差し出される。
受け取ったそれで口元を押さえて何とか息を整えたら、私が落ち着くのを待っていたように天根君が小さな声で謝った。


「悪い」
「―――え、いや、謝られても。ていうかさ、そのこと……」
「あれ?目潤んでるけど、どうかした?大丈夫?」


タイミング良く(……悪くかな?)2人分の飲み物とホットドッグを乗せたトレイを手に佐伯先輩が戻ってきて、天根君はピタリと口を閉ざした。
珠子が喋った……ってことは絶対ない。そういうことホイホイ喋るような子じゃないから。
てことは私の態度が分かりやす過ぎるってことなんだろうか、やっぱり。
つまり佐伯先輩にもバッチリバレてるってこと……!?
ど、ど、ど、ど  う  し  よ  う  ……  !


「……いやっ、でも今はもう別に何もない訳だしっ……」
ちゃん?」
、声に出してる」
「へ?ああっ!」


真正面から2人に顔を覗きこまれて慌てて仰け反った瞬間、デザートフォークが指の間を滑って床に落ちた。


「あー!やっちゃった……」
「ああ、いいよ座ってて。代わりのもらってくるよ」
「えっあっすいませんっ!て言うか、自分で行きますからっ」
「いいからいいから」


そう言って席を立った佐伯先輩は、悪戯っぽい笑い方をしてからかうような口調で言った。


「この分だと次は席を立った途端にグラス倒しそうだからさ。大人しく座っといで」
「…………ハイ……」


何か私めっさ子供扱い……?
ずーんと落ち込んだ私の横を通り抜けざま、佐伯先輩はこないだ珠子にしてたみたいにポンと軽く頭を叩いていった。
それは叩くと言うよりは撫でるような感じで。
やっぱり子供扱いされてるっぽいなーと思わないでもなかったけど、今はそれよりも佐伯先輩に髪触られちゃった、ってことの方が重大事だった。
更に跳ね上がる鼓動を落ち着かせようとアイスティーに手を伸ばす。
氷が溶けて少し薄くなった冷たいアイスティーが喉を通ると、少し気分が落ち着いて。
そんな私をじっと見ていた天根君がまたぽつりと小さな声で呟いた。


「さっきの話。サエさんは気がついてないと思う。多分、大丈夫」
「……そうなの?」
「あの日のメンバーで気がついてるのは俺とキサさんくらい」
「キサさん……木更津先輩?」
「そう。だから安心しろってのも変だけど。別にサエさんに話したりしないから」
「あ、ありがと……あ、でもね!確かに昔は好きだったけど、今は何ていうか憧れだけ残ってるような感じでね。それで緊張してるだけなの、だからそのうち慣れると思うんだ……」
「……そう」


私の言い訳がましい科白に、天根君はこくりとひとつ頷いて。
そこへ新しいフォークを持って佐伯先輩が戻ってきて、それきりその話は終わった。































一緒に帰ってきた地元の駅の改札を抜けたところで、天根君は用事があるからと言ってあっという間に駅前商店街の人ごみへ紛れて行ってしまった。
夕方の買い物をしてる主婦のオバちゃんたちの中で頭2つ分くらい飛び出ている天根君の明るい色の後頭部を見ながら、佐伯先輩は仕方ないなと言うように小さな溜息をもらして。
そしておもむろにズボンのポケットから小さな鍵を取り出して、駐輪場の方に歩き出した。


ちゃん、家どこ?」
「い、家ですか?えと、6丁目です」
「結構近いな。俺チャリだから送るよ」


その言葉の意味を理解するまで数秒かかった。
自転車で送るって……2人乗りってこと、だよね……?
佐伯先輩の自転車の後ろに乗るって想像した途端、一気に頭に血が昇って顔が熱くなった。
そんなん絶対無理!私自転車から落ちるよ、絶対落ちる―――!!


「いっいいです大丈夫ですバスで帰りますから!!」
「それだと少し待つことになるよ、6丁目ってことはバスあれだろ?」


佐伯先輩の指差した先で、うちの方面に向かう唯一の路線バスがぷしゅーとマヌケな音をたててドアを閉めて発車するところだった。


「あっ、ああーっ!」
「次のバス30分くらいは待たないと来ないよ、確か」
「〜〜〜っ」
「さて、行こうか」


ポンと私の肩を叩いて、佐伯先輩は再び歩き出した。
私は遠ざかるバスを恨めしく見つめながら、仕方なくその後ろについていった。
何だかこの間から私、佐伯先輩のペースに乗せられっぱなしのような気がする……。


銀色の自転車(ママチャリだった)(佐伯先輩がママチャリ……)を引っ張り出してテニスバッグをカゴに突っ込んでから、佐伯先輩がこっちを振り返る。


「後ろにどうぞ」
「はっ、はいっ!すいません失礼しますっ」
「そんな畏まるほどのことかなぁ。……ああ、しっかり掴まってないと落ちるよ」


ギクシャクした動きで自転車の荷台に横座りした私を見て先輩は苦笑して、そしてその科白と同時に大きな手のひらが私の両手を掴んで引っ張って。
私の両腕は佐伯先輩のウエストにしっかりと回された。
引っ張られた勢いで佐伯先輩の学ランの背中に頬がくっつく。


「…………!!」
「よーっと」


背後で声にならない叫びを上げる私には気がつかずに、先輩はノンビリした掛け声に合わせて緩やかに自転車を漕ぎ出した。
駅前を抜けて少しすると、見慣れた海岸沿いの道へ出る。
海からは気持ちのいい風が吹いていて、馴染みの深い潮の香りが鼻先をくすぐった。
いつもならその風と香りをゆっくりと楽しむところなんだけど、今日に限ってはそんな余裕はない。
普段より3倍増しのこの胸の鼓動が、背中越しに先輩にバレてるのかと思うと……!
肩とか腕とかにものすごい力が入ってて、明日は絶対肩こりが酷いだろうなとか的外れなこと考えてたとこへ、不意に佐伯先輩に話し掛けられた。


ちゃんてさ」
「はっはいっ!?」
「もしかして俺のこと嫌い?」
「―――へぇっ!?」


あんまり驚いたものだから思いっきり声が裏返って。
一瞬沈黙した先輩は、次いで思いっきり笑い出した。


「あっはははははは!」
「…………」
「ふっ、くくくくく……ははははは!」


……何だか私こないだから先輩に笑われてばっかりな感じが……。
先輩は一頻り笑った後、自転車のスピードを少し落としてチラッとこっちを振り返った。


「ごめんごめん、気悪くした?」
「……イエ」
ちゃんってホントに面白いな。一緒にいると飽きないよ」
「そ、そうですか……?」


一緒にいて飽きないって……素直に喜んでいいもんかな……。


「でね」
「あ、はい」
「さっきの質問なんだけど。俺のこと嫌い?」
「そっそんなことないです!!」
「そう?ならいいんだけどね。こないだも今日も、俺と話す時だけ妙にぎこちなかったから、何か気になっちゃってさ」
「嫌いだなんて、むしろ……その、中学の時、に」
「うん?」
「私、美術部で。美術室からよくテニス部の練習見てて、その……先輩に憧れた、ので」
「―――え、俺に?」
「…………はい。だからこうやって話すのとか、すごい緊張しちゃって。別に先輩が嫌いとか苦手とか、そういうんじゃないです。ホントに全然そんなんじゃ」
「そうだったんだ。そっか、ありがとう」
「は……」


ありがとう、なんて。
まさかお礼を言われるとは思わなくて、私はちょっと面食らった。
そんな理由で?って呆れられるんじゃないかと思ってたのに。
他に歩行者のいない道をゆったりと走りながら、佐伯先輩はもう一度そうだったのか、と呟いて。


「―――でも、俺なんかのどこが良かったの?」
「え?」
「憧れてた、ってヤツ!ちゃんみたいなイイコにそんなふうに言ってもらえて嬉しいけど、俺みたいな男のどこに憧れてもらえるような要素があったのかなーと思ってさ」


―――どこがって。
先輩はカッコ良かったよ!!
走っててもテニスしてても、友達と笑ってるだけだって、すごくカッコ良かった。
先輩に憧れてる子も片想いしてる子も、私だけじゃなくてたくさんいたのに。


「私―――」
「だって俺、普通の男だしさ。今も結構俗っぽいこと考えてるし」
「なんですか、それ……?」
「うーん、言ったら怒られそうだから言えないなー」
「……じゃあ怒らないから教えて下さい」
「ホントに怒らない?」


佐伯先輩は少し間を空けてから、軽い口調で言った。


ちゃん思ってたより胸大きいんだ、とか」
「〜〜〜っ!?」
「背中に当たる感触が気持ちいいなーとか、ちゃん着やせするタイプなんだーとか」
「なっ、なっなっ……」
「あれ、怒らないって言ったよね?」


ちょっとこっちを振り向いて悪戯っぽい口調で念を押す。
真っ赤になって口をパクパクさせてる私の顔を見て、面白そうに笑ったその顔は。
私の知ってる佐伯先輩の笑顔とは、微妙に違ってた。
『憧れの先輩』じゃなくて、まるで『クラスメイトの男の子』みたいな。


「俺は教えろって言われたから、正直に言っただけなんだけど」
「……せっ、先輩のエッチ!」
「男なんてみんなこんなもんだって」
「…………こんなもんって」
「可愛い女の子は好きだし、女の子の身体にも興味あるよ。可愛い女の子から『憧れてました』なんて言われたら嬉しくて舞い上がったりもするしね」
「…………そういうもんですか」
「そういうもんなんだよ」


くすくすと笑い含みの声が返る。
何か私、からかわれてる……?
微かに軋んだブレーキ音をたてて自転車が止まって。
うまいこと自転車のバランスを取りながら上半身だけこっちを向いた佐伯先輩は、とても優しい笑顔で私を見つめて手を伸ばしてそっと頭を撫でてくれた。


「変なこと言ってからかってごめんな?」
「やっぱりからかってたんですか!?」
「だからごめんって。でもそんな緊張する必要ないってわかった?」
「え……ええとそれは」
「毎回あんなふうにガチガチに緊張してたら疲れちゃうからさ、もっと気楽にしてな?」
「……はい」
「お、素直。やっぱりイイコだね、ちゃん」
「子供扱いしないで下さいよー!」
「はいはい。さてと、暗くならないうちに行こうか。あ、そろそろナビしてくれないと、このまま俺んちまで連れてっちゃうよ、いい?」
「えええええ!?」


勢いよく走り出した自転車から振り落とされないように慌てて先輩にしがみついて大声を上げたら、佐伯先輩は「冗談だって!」と楽しそうに声を上げて笑った。






――― その日から佐伯先輩は『憧れていた先輩』ではなくなった。
『手の届かない憧れの人』という綺麗なだけの偶像じゃなく。
少しだけ特別な、『身近な男の子』になった。





















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中高生の男の子なんて大抵みんな(以下自主規制)。
むしろ興味ないとか言ってる子の方がおかしいって!不健全だって!
そしてサエは至って健全な男子学生なので結構スケベだと思います。(笑)