いつから、と聞かれたら、多分答えにつまる。

どこが、と訊かれても、多分同じで。


気がついたら、視線はいつだってあいつを追っていた。……それだけ。
















緑深く、心深く


第10話 届かないあと一歩











サービスラインギリギリに叩きつけられたボールが剣太郎の横を通り過ぎて。
悔しがってる剣太郎にサエさんは余裕ありげに笑ってみせて、次のサーブを打つ体勢に入る。
ギャラリーなんか全然気にしてない、集中してる感じの態度。
けどバウンドさせたボールを掴んだその一瞬、確かに視線はこっちを向いていた。
―――少し苛立ちの混じった目をしていた。


珠子もも、サエさんの視線には気付いていないみたいで。
オジィを間に挟んでベンチに座ったまま、二人揃ってはしゃいだ声を上げる。


「サエ先輩すごーい!」
「うっわー、なんかサエちゃん絶好調〜?」
「……好調好調……」
「もうそれ飽きた」
「…………」


自分ではなかなか気に入ってるダジャレは、全部口に出す前に珠子にあっさりと阻止される。
俺のすぐ真ん前、ベンチに座ったままでが小さく笑った。
その手の中には大きめのスケッチブック。今開いているページは真っ白い。


「……次、何描くんだ?」
「ん?うーん、どうしようかなぁって考え中。とりあえず枚数をこなさないとって感じだから、今は」
「枚数をこなせばナイスゥな絵も書けるかも……ぷっ」
「……珠子、そろそろバネ先輩呼んでこようか」
「そーだね」
「ちょ、ちょっと待てタンマ!」


この後樹っちゃんとやらなきゃいけねーのに、ここでバネさんの蹴りを食らうのは遠慮したい。
ノリで言ってるように聞こえないこともない科白だけど、珠子とならマジでやりかねないんだよな……。
珠子とは視線を交わして笑いながらベンチに座り直した。どうやらバネさんの蹴りは回避出来た、らしい。
またコートに視線を戻した二人にならって、俺もぼんやりとコートに目をやる。
少し風が出てきたのか、頭の上で木の枝が揺れる気配がした。





















―――ここ一ヵ月半くらいの間に、と俺たちの間の距離は大分縮まった、と思う。
一緒にいる時間が一気に増えて、俺やサエさんだけじゃなくてバネさんや樹っちゃん、剣太郎たちともすっかり親しくなって、まるでもうずっと昔から俺たちと一緒にいたような、そんな感じ。
サエさんはともかく、俺に対する態度も前と変わらなくて、とても救われている。
露骨に避けられても仕方のないようなことを俺はしたから。
感情に任せて動いて、を泣かせた。
謝ったからって許されることじゃなかったから、それが理由で避けられたり今までのように話せなくなっても、俺に文句を言う権利はない。
だけどは前と同じように笑ってくれる。
すげぇ嬉しい反面、それを少し辛く感じているのも、事実で。
最近は特に、何かっていうと考える。


―――俺はいつか、今以上にに近づけるだろうか。
あの人以上の存在になれるだろうか。


考えるだけ不毛な疑問。
だけど考えずにはいられない。





















風がまた少し強く吹いた。


「おっとっとっとっ」


声に反応して視線を下に向けると、地面に落ちた鉛筆を拾おうとして前屈みになるの姿。
鉛筆を取り戻すより先にその膝の上からスケッチブックが横にすべり落ちる。
地面に落ちるのと同時に、風に吹かれてページがバラバラとめくれる。
さっきまでの真っ白いページとは違う、いくつもの鉛筆画で埋め尽くされたページが目に映った。
悲鳴というか奇声というか、とにかく変な声を上げて、が慌ててスケッチブックに手を伸ばす。
それと同時に、咄嗟に、本当に咄嗟に身体が動いて。
よりも先にスケッチブックを拾い上げた。


「うきょあぁぁっ!」
「……大丈夫、汚れてない」
「あああありがとう!返して……っていうか中見ちゃダメだってばー!」
「つってももう中身見えちまったけど。たった今落とした時に」
「…………ばっちり?」
「バッチリ」


短く答えて頷くと、はあっという間に顔を真っ赤に染めた。
珠子がベンチから立ち上がって俺の隣に来て、軽く背伸びしながらスケッチブックの中を覗き込む。
その顔が何とも言えない表情になった。


「こーれはまた、見事にサエちゃんばっかだねー」
「…………」
「そりゃ見せらんないやね、サエちゃんには」
「サエ先輩じゃなくたって見せらんないわよ……」
「……上手い、と思うけど」


ぽつりと漏らした俺の言葉に、一瞬だけ珠子が目を見開く。
まさか俺がそんなこと言うとは思ってなかったんだろ。
がどう思ったのかはわからなかった。
真っ赤に染まったままの顔からは、猛烈に恥ずかしがってるってこと以外は読み取れない。
日焼け止めの効果か、俺たちのように焼けてない真っ白くて細っこい腕がこっちに伸びてきて、俺の手からそっとスケッチブックを取り上げた。


「……あ、りが、と……」
「マジで。の絵、久々に見たけど、相変わらず上手い」


それは間違いなく本心から言った言葉。
実際は絵の良し悪しなんて俺にはよくわからないけど(自慢にもならねーけど美術は大抵2か良くて3だ)。
の絵は好きだった。が絵を描いてる姿も。中学の頃からずっと。
真っ白いスケッチブックのページをものすごい勢いで埋めていく、細い指先とか。
絵に描いてる対象を真っ直ぐ見ている目とか、描いてる最中にもくるくる変わる表情とか、描き上がった瞬間のすげー嬉しそうに笑った顔とか、気がついたら目が追うようになってて。
いつまで見てても飽きなくて、それで気がついた、ああ俺こいつのこと好きなんだなって。




「俺は好きだぜ」
「え?」
「……の絵」
「……ありがとう、ダビデ君」


そう言ったら、はまだ赤い顔のままで嬉しそうに笑った。
地面に転がったままだった鉛筆を拾ってベンチに戻る。
珠子もベンチに座って、俺もまたさっきと同じ場所、のすぐ後ろでベンチの背もたれに寄り掛かった。
の膝の上でスケッチブックが大きく開かれて、2Bの鉛筆が軽い音をたてながら滑るように動き出す。
の視線は、真っ直ぐに。
ボールを追ってコートを走る、サエさんの姿を捉えていた。




「……まだ全然、サエさんには敵わない、か」
「え?何か言った、ダビデ君」
「別に」


短く答えた俺を怪訝な顔で見上げたに、無言でコートを指差してみせる。
サエさんがスマッシュを決めるところだった。
の視線はまた、真っ直ぐにサエさんだけを映した。






スケッチブックを埋め尽くす、何人ものサエさん。
それはの気持ちの表れなんだろう。
こいつの目が、気持ちが、真っ直ぐ向かう先が自分じゃないことを、俺は知ってる。
知ってるけど、それでも好きで、諦めるつもりもないけど。


それでも時々、考える。
俺はいつか、の中でサエさん以上の存在になれるだろうか。
どうしたら届くだろう。
いつか届かせることは出来るんだろうか。


答えはまだ見えない。





















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ダビデの普段の口調がさっぱりわからなくて、R&Dをメインに色々チェックして、それでも9割捏造。
ダジャレだけはもうホントなんつーか  無  理  。  (泣)