いつの間に、こんなに君を好きになっていたんだろう。
どうしてかなんて知らない。
ただ君が好きなんだ。
緑深く、心深く
第14話 ただ、愛しくて
昨日の酒がまだ抜け切っていないのか、少し重たい頭を抱えて食堂に入ったら、ちょうど出てこようとしていたと見事にぶつかった。
「とわ!」
「っと……悪い、大丈夫?」
バランスを崩して後ろによろけたの腕を咄嗟に掴んで支える。
掴んだのとは反対の手から小さな財布が転がり落ちて、中の小銭が足元でじゃらっと音をたてた。
が体勢を立て直したのを確認してから手を離して財布を拾い上げる。
合宿期間中の食費の入ったそれは普段は珠子が持ってるヤツで、今はが管理してくれている。
「あーっすいません!」
「こっちこそ不注意でごめん。―――どうかした?」
「ちょっと牛乳切らしちゃって。コンビニ行くのに自転車借りますね!」
部の買出しに使ってる自転車の鍵を俺に見せて、は財布を受け取るとパタパタと足音を響かせて玄関の方へ走っていった。
その後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ってから改めて食堂に足を踏み入れると、綺麗に片付いたテーブルの一角で水の入ったグラス片手にダビデがひらっと手を振った。
「はよっス」
「おはよう、早いな」
「俺、昨日あんまり飲まなかったし。……サエさんも水飲む?」
「うん」
トレイにキレイに並べられたグラスをひとつ取って、傍にあったピッチャーから水を注いで寄越す。
グラスに口をつけたら、よく冷えたその水からほのかな酸味を感じて、俺は思わず軽く首を傾げた。
「ダビデ、これ」
「が用意してくれた。レモン絞ってあるから二日酔いにはいいだろうって」
「なるほど」
氷水の冷たさとレモンの組み合わせは確かにすっきりして、昨日の酒の残滓を洗い流してくれる感じがした。
半分ほど空けたところで一旦グラスを置くと、ダビデがピッチャーを取り上げて注ぎ足してくれる。
短く礼を言ってもう一口喉に流し込んでから。
俺はグラスを持ったまま、軽く椅子の背にもたれて口を開いた。
「ダビデ、悪かったな」
「……いきなり、何スか」
「前にお前に言ったことあっただろ、『女の子泣かせるな』ってさ。―――俺には言う資格なかったよ」
ダビデは何か言いたげに口を開いて、でも言葉が見つからなかったのか、すぐにまた閉じた。
手の中のグラスをゆらゆらと揺らしながら、その中で小さな波を立てる水をじっと見つめている。
俺も自分の手のグラスに視線を注ぐ。
微かに揺れる水の表面が窓から差し込む朝日を反射してきらきらと光っていた。
「―――ごめんな」
「別に気にしてない。サエさんは間違ったこと言ってないし」
「……そっか。そう言ってもらえて良かったよ」
ダビデが静かにグラスを傾ける。
俺もまた暫く無言でグラスの中身を飲み干した。
壁の時計の針のカチカチいう音と、開け放してある窓の外から聞こえる鳥の声だけが食堂内に響く。
短い沈黙の後、先に口を開いたのはダビデだった。
とても短い問い掛け。
「……サエさん、自覚したんだ」
「うん?―――ああ」
空になった二つのグラスに新しく水を注いで、俺は軽く頷いた。
ひとつをダビデの方へ押しやって、もうひとつの自分のグラスを手に取る。
真っ直ぐに向けられたダビデの視線を受け止めることに躊躇はなかった。
手のひらに感じるひんやりした感触を心地良く感じながら、もう一度頷いてゆっくりと言った。
「―――が好きだよ」
ダビデの表情は動かない。
そっか、と掠れた声で相槌を打って、一気にグラスを空にして。
小さな音をたててグラスを置くと、さっきと変わらない真っ直ぐな視線を俺に向けたまま、いつもと同じ淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「俺もまだ、好きだ」
「そう言うと思った」
「―――最初は、に気持ちを知ってもらって、認めてもらうだけで良かった」
「…………」
「でもそれが叶って距離が縮まったら、またどんどん欲が出てきて」
「……うん」
「だけどやっぱり、にとって俺は友達以上にはならないんだ。―――サエさんわかってる?辛そうな顔も笑ってる顔も、あいつの一番の表情はサエさんに関係してる時だって」
「…………」
「悔しいけど。が一番いい顔で笑うのは、サエさんの傍にいる時だぜ」
きっぱりとそう言いきったダビデの表情は、ひどく大人びて見えた。
いつの間にこんな顔するようになったんだろう、こいつ。
もっとずっと、ガキだと思ってたのにな。
「―――が笑ってられるなら、俺はそれでいいって思った」
「…………」
「俺が言うことじゃないかもしれないけど、あいつのこと泣かさないでやって」
「…………」
「そうしたら、俺もあいつのこと諦められると思うから」
「……わかった」
頷いた俺の視線を真正面から受け止めて、ダビデは微かに笑った。
それからあっという間に数日が過ぎて、明日が合宿の最終日という夜。
夕食の後、誰が言い出したか花火でもしないかと言う話になった。
「花火って、今から買いに行くのか?」
「コンビニで売ってるじゃん、あれでいいだろ」
「はいはーい!僕ねーロケット花火が多めに入ってるのがいいな!」
『却下!!』
「なーんでー!?」
「お前真横に飛ばして遊ぶ気だろう!昔あれで俺らに火傷させたこと忘れたのかよ!」
「剣太郎君、そんなことしたの……?」
「子供の頃の話だよー!」
ぎゃーぎゃー騒ぎながらジャンケンで買出し係を決める。
その結果。
「……あのさ、何か裏で仕組んだりとか」
「してねーよ」
「気をつけて行ってくるのね」
「まぁゆっくり行って来なよ」
「あっ、ついでに何かお菓子とかジュースとかも買って来てよ!僕ポッキー食べたい!」
「……俺はチョコがちょこっと食べたい……ぷっ」
「つまんねーんだよダビデ!!」
「はいサエちゃん、チャリの鍵。のこと振り落とさないように、安全運転でヨロシク」
チャリの鍵を放って寄越して、慌ててそれを受け止めた俺を、珠子はにっこり笑って玄関から追い出した。
先に外に出て待っていたが振り返って俺を見る。
何故か困ったようなその表情に、俺は近寄りながら声をかけた。
「どうかした?」
「その、自転車が……」
「え?」
の傍にある何代前から使ってるのかすら定かでない、テニス部のボロチャリ。
玄関の薄暗い灯りの下で目を凝らして見てみたら、チェーンが外れていた。
何だこれ……いつの間に……。
「夕方に買い出し行ってもらった後、なんか様子がおかしかったんですよね、剣太郎君……」
「なるほどね……」
剣太郎のことだから無茶な乗り方してぶっ壊したんだな。
仕方ないな……。
「そんな距離でもないし、歩いていこうか」
「そうですねー」
「鍵は……いいか、このまま持ってても」
置いていったところでこの状態の自転車じゃ乗れやしないし。
色の剥げた小さなキーホルダーごとジーンズのポケットに突っ込んで、を促す。
パタパタとサンダルを鳴らして隣にが並んで。
俺たちはコンビニまでの道を歩き出した。
自慢じゃないけどこの辺は田舎で、灯りも少ない。
道の端にぽつりぽつりと立っている電灯の、弱々しくて少し心許ない光と月明かりだけが頼り。
他に人気もない、車の通りも途絶えた道をの歩調に合わせてゆっくり歩きながら、この間の夜と同じ他愛のない会話に花を咲かせる。
「自転車、修理に出さないとなぁ」
「新しいのにした方が早いんじゃないですか?」
「うーん、でもまだ乗れるし」
「でも怖いですよ、あれ。チェーンがじゃらんじゃらんいってて、いつ外れるかってひやひやしてたんですけど」
「相当古いヤツだからね。俺が六角に入ってきた時にはもう既にあの状態だったし」
「えー!?」
よほど驚いたのか、は足を止めて俺の顔を見上げる。
大きな目を更に丸くして呆れたように息を吐き出した。
「三年前から既にあんな錆び錆びだったんですか!?」
「うん」
「……新しいのにしましょうよ、危ないですよ……」
そう呟いて再び歩き出したの身体が、何かに躓いたのか唐突にガクリと前にのめった。
「きゃ……!」
「っ……」
咄嗟に腕を延ばして抱き留めたら。
ふわりとなびいた髪から微かにシャンプーの香りがして、俺の鼻先をくすぐった。
抱き留めた身体は華奢で頼りなくて、そして柔らかかった。
その柔らかさを身体で直に感じた瞬間に一気に愛しさが募って。
―――理性の箍が外れるっていうのはきっとこういうのを言うんだな、なんて。
頭の片隅では妙に冷静に考えながら、俺はそのまま強くの身体を抱きすくめていた。
「さ……」
俺の名前を呼ぼうとして、が声を詰まらせる。
抱きしめる力を少しだけ緩めると、小さな吐息が漏れた。
こっちを見上げようと僅かに顎を仰け反らせたの額や瞼や耳元に唇を滑らせると、俺の腕の中で華奢な身体が一瞬のうちに強張った。
それでも抱きしめた身体を離す気にはならない。
背中に回した手を右だけ持ち上げて、まだ少し湿り気の残る髪に指を差し入れる。
力が入ったままの細い肩が小さく震えて、少し掠れた声が今度こそ俺の名前を呼んだ。
「……サエ、先輩……」
「―――好きだよ」
震える唇にキスを落として。
大きく見開かれた目を覗き込んで、俺は同じ言葉を繰り返した。
「好きだ」
いつからかなんて、どうしてかなんて、知らない。
だけど好きなんだ。
誰よりも君のことが。
あまりのベタベタな展開に書いてて泣けてきました……。ともあれ残りあと一話!
ロケット花火は真横に飛ばしてはいけませんよー。
ヤクザの子供にあてちゃったりした日にはボコられますよー。(それはうちの弟)(※マジで実話です)