―――が笑っていられるなら。
あたしは、それだけでいいんだよ。
緑深く、心深く
番外編 願うのは誰の倖せ
「……告った?」
カタン、と音をたててテーブルの上でプラスティックカップが跳ねた。
慌てて倒れないようにそれを押さえてから、改めての顔を見つめる。
こないだうちに来た時のぐしゃぐしゃの泣き顔が嘘みたいに、とても穏やかな表情ではこっくりと頷いた。
「うん」
「……サエちゃんに?」
「他に誰がいるっつーの」
「…………」
「何かね、言葉に出したら少しすっきりした」
そう言って笑ったその笑顔はとても軽やかで。
何だかとてもホッとさせられた。
最近見たの顔は暗く沈んでいるものばかりだったから、余計に。
でもまさか告白しちゃうとは……。
「びっくり」
「びっくり?何で?」
寧ろ自分の方が驚いたって顔してが訊き返す。
アイスラテを一口すすって唇を湿らせてから、椅子の背にもたれて吐息と一緒に言葉を押し出した。
「んだってさー、その前の状況が状況だったしさぁ……」
「あの時、やりたいよーにやんなよなんて言ってくれてたから、告るつもりなの分かってんのかと思ってた」
「わかんないわよ。ヒカルとの間の誤解を解くつもりなんだろうなーとばっかり思ってたよ」
「それはそれは……期待を裏切っちゃった?」
「うんにゃ、そんなことはないですけどもー。でも、そっかぁ……」
サエちゃんに告白、したのかぁ。
どういう返事が返ってきたの?って訊きたかったけど、どうしようかちょっと迷ってたら。
どうもしっかり顔に出てたっぽくて、は苦笑して話してくれた。
「言っとくけどフラレたよ?」
「そーなの?」
「まだ元彼女さんのこと忘れられてないからって。ゴメンって言われちゃった」
「言われちゃった、って……アンタそんなあっさり」
「だってわかってたことだし。それにあきらめるつもりがないから言ったのよ、好きだって」
「諦めないの?」
「うん。―――まだ諦めない」
そう言って少し口の端をあげて笑ったは、もう本当にいつも通りのだった。
……ううん、いつもより少し大人びた、かもしれない。
落ち着いた柔らかな表情で、硝子の向こうに見える駅前の通りを眺めながら口を開く。
「……天根君がさ、うちまで謝りに来てくれた時にね」
「ヒカルが?」
「うん。―――私が佐伯先輩のこと好きでも諦める気ないって、言われて」
「そんなこと言ったの、あいつ」
「うん。半端な気持ちじゃないってわかって欲しいから、ちゃんと言っときたかったって、そう言われた」
「ふぅん……」
「その言葉を聞いてね、私も天根君みたいに、佐伯先輩にちゃんと自分の気持ち伝えたいって思ったんだ」
「…………」
「自分の中だけで完結させちゃったら、何のために好きになったのかわかんないじゃん?ちゃんと自分の気持ち先輩に知ってもらって、そしたらやっとスタート地点に立てるんじゃないかなぁって思ったんだよね」
そう言ったの顔は、六年間見てきた中で一等綺麗だった。
恋をしている女の子の顔。
「終わらせる為じゃなくて、始める為に告白しようってね、思ったんだ」
昼休みの屋上の片隅で、明るい色のクセっ毛が風に揺れていた。
余分に買って来たイチゴミルクのパックをこつんと軽くその頭にぶつけたら、ヒカルはゆっくりとこっちを振り返った。
一見無表情だけど、ちょっと元気ない感じの顔してる。
あたしとかバネちゃん・サエちゃんたちくらいだと思う、こういうヒカルの表情の些細な変化がわかるのって。
パックの角っこをぐりぐりと後頭部に押し付けたら、ヒカルはちょっとムッとして持ち上げた手で軽くそれを押し退けた。
「……何すんだ」
「オゴリ。いらないの?」
「いる。サンキュー」
途端に機嫌を直してそれを受け取る。ピンク色のパックはヒカルの手の中では妙に小さく見えた。
小学校卒業まではあたしと並んでもそんなに身長差なかったのになぁ……中学入ってから一気ににょきにょき伸びてきたんだよね、いまや手も足もやたらでかくてごつくって。
小さなパックにストローさしてちみちみ飲んでる姿は、子供の頃とそう変わりはしないのに。
剣太郎にも負けないくらい甘ったれだった、同い年の幼馴染。
同い年なのにまるで弟みたいだった、大事な大事な幼馴染。
いつの間にか大きくなって、あたしに泣きつかなくなって、あたしの知らないうちに恋なんかしてた。
複雑な気分でその隣に座って、自分の分のパックにストローをぶっ刺して。
一口飲んでノドを潤してから、あたしは唐突に、本当に唐突に話を切り出した。
「―――、サエちゃんに告ったってさ」
「…………知ってる。それが何?」
軽い返事で平静を装ったつもりなんだろうけど、答えが返るまでの微妙な沈黙と微かに跳ね上がった眉がそれを裏切ってた。
素直じゃないんだから……。
我ながら意地が悪いなぁと思うけど何とか動揺を押し隠そうとしてるヒカルに更に訊いてみた。
「ふーん。じゃあサエちゃんOKしたってのも聞いたんだ?」
ぐしゃっ、とパックが握り潰されて。
まだ三分の一くらい残ってたっぽいイチゴミルクがストローの先から勢いよく飛び出してヒカルの手を濡らした。
「あーっ、何やってんのっ!」
「……マジで?」
「ほらハンカチっ!勿体無いなぁっ、せっかく人が奢ってやったのにっ」
「マジでサエさん、OKしたのか?」
さっきまでの我関せずって態度はどこへやら、イチゴミルクのせいでベタベタの手もほったらかしで、ヒカルはじっとあたしの顔を見て繰り返す。
明らかに動揺しているその表情を見たら、さすがにちょこっと罪悪感がこみ上げた。
……あーちょっと苛め過ぎたかな……。
「珠子!」
「嘘だよ!ゴメン、嘘ついた!サエちゃんOKしてないよ、フラれたって言ってた」
「…………お前なぁ……」
「ごめんってば。……ほら、手ぇ拭きなよ」
「……珠子、まだ怒ってんのか?」
ポケットから出したハンカチで手を拭いてやろうとしたあたしの耳元で、ぽつりとヒカルが言った。
どこか淋しそうな調子のその声に顔をあげたら、子供の頃一緒に迷子になった時に見せたのと同じ顔でじっとこっちを見てた。
でっかいナリしてても、やっぱりヒカルはヒカルだなって、こんな顔見ると思うのに。
でも、今のヒカルはどこか遠くて、掴めない。
小さく溜息をついて、無言のまま手を濡らしたイチゴミルクをキレイに拭き取ってやってから、あたしは不意打ちでヒカルの形のいいオデコにデコピンを一発食らわした。
「―――怒ってないよ。が許したんならこれ以上どうこう言う権利はあたしにはないもん」
「なら何でそういう意地の悪いこと言う?」
「アンタが素直じゃないからよ。とサエちゃんのこと、気になって仕方がないくせにさ」
あたしの指先が軽く弾いたオデコ、大きな手のひらで押さえて。
上目遣いにあたしを見つめるのは途方にくれた大きな子供。
中身のなくなったぐしゃぐしゃのパックの代わりに、飲みかけの自分のイチゴミルク、オデコを押さえてるのと反対の手にそっと押し付けて。
小さい声で訊いた。
「アンタ、どうすんの?」
「…………」
「に、諦める気ないって言ったって聞いてるけど」
「うん」
「悪いけど、ものすっごく可能性低い恋だと思うよ?」
我ながら酷いこと言ってるって思うけど。
それでも訊かずにはいられなかった。
あたしにすら教えてくれなかった、への恋心。
今までずっと隠してきてたその気持ちをどうして今になって表に出したの。
が、サエちゃんに二度目の恋をした今になって、どうして。
そうすることで、ヒカルは何を求めたの。
あたしの隣にいるヒカルは、確かに小さな頃から知ってる幼馴染の天根ヒカルで。
なのにに告白したと聞いたあの日からどうしてか、どこかヒカルは遠くて、まるで知らない男の子みたいで。
あたしはヒカルの気持ちとの気持ちの間の、自分の立ち位置が掴めなくって、困ってる。
「……、に」
ピンク色の小さなパックを握りつぶさないように、そっと大きな両手で包むように持って。
ヒカルがぽつりと呟いた。
「俺の気持ち知ってほしかった」
「…………」
「叶うとか叶わないとか、そーいうの考えてなかった」
「……考えなかった?」
「ん」
こっくりと頷いて。
真っ直ぐ前を向いたまま、ヒカルはぽつりぽつりと言葉を零す。
小さなその声を一言も聞き漏らさないように、あたしはじっと耳を傾けた。
「そーいうんじゃなくて、ただ……」
「ただ?」
「知ってもらって、認めてほしかった」
「認める?アンタの気持ちをってこと?」
「ん」
イチゴミルクを一口飲んで、ヒカルはちょっとだけ笑った。
「今の状態がキツくないって言ったら嘘だけど、はありがとうって言ってくれたから、同じくらいすっきりもしてる」
「ふぅん……」
「今はとりあえずが笑っていればそれでいい」
「笑って?」
「サエさんとのことで泣いてたから。俺も泣かしちゃったし」
「…………」
「諦めないけど。でももうこないだみたいに感情的になって突っ走ってバカやって泣かせたりとかしないように気をつける。―――あいつには笑っててほしいから」
言いたかったこと全部言った、って感じですっきりした顔して、ヒカルはゆっくりストローに口をつけた。
あたしはその横顔を、しばらくの間無言で見つめてた。
―――あたしも。
あたしもに笑っててほしいよ。
大事な大事な友達だから。
でもヒカルのこともサエちゃんのことも同じくらい大事なんだよ。
大事な大事な、幼馴染だから。
だからヒカルにも笑っててほしい。
サエちゃんにも笑っててほしいよ。
そんなふうに思うあたしは贅沢なのかな。
イチゴミルクのパックをすっかり空にしたヒカルが、黙りこんだあたしの顔を覗きこんだ。
それはもう、さっきまでの途方にくれた子供の顔じゃなかった。
ちゃんと男の顔してた。
「……珠子」
「……ん?」
「俺は大丈夫だから」
「…………」
「だから珠子はの味方でいてやれ」
……ばかヒカル。
本当はあんまり平気じゃないくせに。
この先、の気持ちがサエちゃんに向いてること確認するたびに、きっと一人でこっそり落ち込むくせに。
自分の味方しろとか、絶対言わないの。
「……言われなくってもわかってるよ、ばぁか」
「さっきまで泣きそうな顔してたくせに素直じゃない……スガオはスナオなのに……ぷっ」
「つまんない。ていうか自分で笑うな」
その場にいないバネちゃんの代わりに、後頭部にチョップ食らわして。
唇尖らせて拗ねてるヒカルの頬を軽くつねってから、スカートの埃払って立ち上がる。
ホントにバカ、だけど。
でもさっきのヒカルの言葉のおかげで、やっと自分の立ち位置を掴めた気が、した。
「……ヒカル」
「ん?」
立ち上がって思いっきり伸びをしたあたしを、まだ座ったままのヒカルが見上げる。
その顔を見下ろして、あたしはありったけの激励の気持ちを込めて言った。
「頑張って頑張って、でも当たって砕けちゃった時は、ちょっとくらいは甘やかしてやんよ」
「……おー」
「じゃ、あたし先に教室戻んね」
「うぃ」
ひらひら手を振るヒカルを置いて、あたしは屋上を後にした。
―――出来ることなら、もう誰も泣いたりなんかしてほしくないけど。
でもきっといつか、また誰か、泣く日が来るんだろうけど。
そしたら仕方ないから、あたしは泣いちゃった人を慰める、そのためにみんなを見てるから。
でも、それでも、出来ることなら誰も泣かずに済むように。
みんなみんな倖せになるように。
―――そう願うことだけは、せめて許して。
番外編と言うか、閑話と言うか。オリジナルキャラ・珠子視点でのお話でした。
佐伯連載なのに天根がホント出張り過ぎなんですけど、第2部に入る前にこれだけはどうしても書きたかったので。
因みに第2部は佐伯視点と天根視点の話を交互に書いていきます。ますます佐伯vs天根の色あいが濃くなっていきますが、あくまでもこれは佐伯連載です。私の中では(笑)。